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「育成には愛が必要」の深掘り(朝渋・北野さんのトークイベントを聞いて)

「後輩を育成をするのに大事なこと」と聞かれた時に、いつからか「結局、愛なんだよなぁ」と感じていた。だけど「愛」という言葉を真面目に伝えるのは恥ずかしくて、How Toや各論としてアウトプットすることが多かった。

今日 、朝渋で『オープネス』と『分断を生むエジソン』の著者・北野唯我さんのトークイベントに参加して、育成における「愛」がちょっと分解できたので整理していく。

私の原体験

客室乗務員時代、組織内には15の班があり、班長のもと15人ほどのメンバーが縦割りアサインされ、その中で育成や事例シェアなどを行っていた。
年度毎に班はシャッフルされるのだが、3月になると、新しい年度では誰がどの班で、誰が班長で・・という話題で盛り上がる。

私は入社6年目頃から班長を任され、退職するまでの約4年間、4つの班を率いていた。(2、3年目の頃は班長なんて絶対やりたくなかったんですが笑)

色々と悩みながらもやっていた中、上司や班員、班外のメンバーからこんな言葉をもらうようになった。
「(上期は別の班長が担当していた班を下期から担当した時)ニシさんが班長になってから、班の雰囲気がいい方向に向いている」
「来年からこの班じゃなくなるの嫌です!」
「正直言ってニシさんの班が今ある班の中で一番入りたいです」

それはめちゃくちゃ嬉しかった。
だけどそういうふうにできたのは何でか?ということにあまり向き合っていなかったように思う。
なんとなく、「メンバーに愛情をかけることなのかも」と薄々思いつつ、それ以上の深堀りはしていなかった。

朝渋に参加して

今日、北野さんのトークの中に育成における「愛」を紐解く気づきがあった。

【主観と客観の話】
客観だけで語る人は、心理的安全性を高めきれない。
相手の主観に立って、その人からみた世界を理解することが心理的安全性を高めるには大事。

確かに悩んでいたり、モチベーションが落ちているメンバーに対して、「〇〇という目標のために、もう少し頑張ろう!」とか「あなたの仕事は会社にとってはこんな意味があって・・」という声かけをいきなりするのは、あまり効果がない。自分が逆の立場でも建前上の納得しかできない。
メンバーが何に悩んでいて、なぜその悩みが相手にとって足枷になっているのか、を理解する。必ずしも共感はしなくていいけど、理解。それから一緒にどうしていこうかを考える。
そして相手を理解するためには、相手に本音で話してもらわないといけないし、必然的に心理的安全性が必要になる。

【期待の話】
期待には2つあって、一つは「相手がが自分に対してこんな事してくれるだろう」「相手が自分に期待して欲しい」という期待。もう一つは「相手が事業やプロジェクトに対して結果を出して成長して欲しい」という期待。

「(育成する)相手が自分に感謝して欲しい」「この人を育成することで周りから評価を得たい」と、期待の矢印が自分に向いている時、たいてい上手くいかなかった。信頼が得られず、その後の関係性もうまく築けなかった経験がある。
期待の矢印が相手に向いているとき、時に相手にとって耳の痛いフィードバックをしなければいけない時があって、伝える方も「嫌われる、拒絶される怖さ」と向き合わなければならない。
ただ、短期的には拒絶されても、自分も相手も同じゴールを一緒に本気で目指して、時間がかかっても成長してくれた時の喜びは半端ない。

愛とは時間と精神的成熟

まとめると、私は「育成に愛が必要だ」と思う時に、時間と精神的成熟を指していたのだと気づいた。

相手の主観に立って理解することにはとても時間がかかるし(時には待つことも)、期待の矢印を自分に向けるのではなく、相手の成長に向けるためには、育成する側に嫌わる勇気・恐怖と向き合う精神的成熟が必要になる。

この気づきが得られた今日の朝渋は最高だったし、愛や時間といったキーワードでもう一冊の『エジソン』の方の理解がより進みそうなので、これを踏まえてもう一度読んでみることにする。

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