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短編小説【牛若丸の霊】

その昔、千本の刀を奪おうと悲願を立て、道行く人を襲い、通りかかった武者と決闘して999本まで集めた武蔵坊弁慶。

京の五条大橋にて笛を吹きつつ通りすがり、最後の一本を目掛けて襲ってきた弁慶を返り討ちにした牛若丸(源義経)の伝説は有名だろう。

真夜中になると、その牛若丸の霊が“なぜか”うちの学校に出没すると言う校内都市伝説があった。

気がつけば笛の音色が聴こえてきて、校内をまるで五条大橋で弁慶と対峙したそのときのように歩いて行くのだと言う。

二つ謎(と言うかツッコミ所)があって、

まず、なぜ義経では無く若い頃(牛若丸)のままの姿で現世を浮遊しているのかと言う謎と、

なぜ自身が生涯を絶った「衣河館」(岩手県平泉町)からは『Google』の調べによると車で9時間31分も掛かり、約812.9kmも離れたうちの学校に現れるのかと言う謎だ。

それはさておき、当時その話しは校内の誰もが知っていた。

ここは最近だとウイスキーの銘柄『知多』でお馴染みの愛知県知多半島の先端、美浜町。

僕らが通っていた日本福祉大学付属高校は、そんな美浜町に大きなキャンパスを構える日本福祉大学の敷地内にポツンと建っている。

私立であるにも関わらず設備の整っていない殺風景な古い校舎で、夏は熱中症で病院に搬送される生徒が続出し、冬は凍え死にそうな寒さが襲ってくるとても劣悪な環境下にある。

一番近いコンビニは歩いて30分も掛かる所にしか無いし、学校を出たら辺り一面田んぼしかないので当然高校生があそぶ場所なんか無い。

街路灯も少なく夜は学校どころか街全体が想像を絶する真っ暗闇に覆われてしまうので、確かに幽霊が出そうな不気味さはあるかもしれない。

それだけ聞くと最悪なのだが、三階からは広大な海を見渡すことができ、時々カニが廊下を歩いていたりもする、名古屋周辺では観ることのできない自然に囲まれた田舎の学校ならではのある意味ファンタジーな景色を堪能できる場所でもあった。

うちの学校の部活動は野球部もサッカー部もバレー部も…どれも特に強い訳では無いが、
和太鼓部だけが愛知県内ではトップを死守しており“全国大会常連校”と言うことで有名だった。

和太鼓とは、何を隠そうあの和太鼓だ。お祭りとか盆踊りでよく見るあの楽器だ。

ももクロが主演を務める高校演劇を題材にした青春映画『幕が上がる』のモデルにもなった「全国高等学校総合文化祭」と言う、演劇部を始めとする文化部にとっては“文化部のインターハイ”と呼ばれる程の歴史の長い大きな規模の大会があるらしく、和太鼓部は毎年県大会を突破しこの大会の「郷土芸能部門」に愛知県代表として連続出場している。また、卒業してプロの奏者になったメンバーも何人か排出しているらしい。

僕のクラスメイトにも、小学生ぐらいの頃から地域の和太鼓グループに入っていて、この部活に入るためにうちの学校に入学したみたいなヤツが何人かいた。

夏休みが終わり、文化祭を一ヶ月先に控えた9月のある日。

僕らのクラスは中庭にどて丼の模擬店を出店することになった。

模擬店の中堅リーダー的なポジションを任された僕は毎日、放課後から完全下校時間ギリギリまで調理室でクラスメイト達とどて丼を作り味の検証を行っていた。

更に生徒会執行部の役割もあり、生徒会室と調理室を行き来し、文化祭の準備に追われていた僕は家に帰ってからケータイを調理室に置いて来てしまったことに気付いた。

只でさえ頻繁に連絡を取り合いバタバタするこの時期に、ケータイが無くなるのは非常にまずい。

幸い、家から学校へは自転車で通える距離にあった。

僕はやむを得ず生徒会執行部の人間としてはあるまじき行為だが、ケータイを取り戻すために真夜中の学校への侵入を試みた。

自転車を最寄の知多奥田駅に隣接する駐輪場に停め、学校へと足を進めた。

完全下校時間は過ぎたが、遅くまで作業をしている大学の職員もいるため校門は閉鎖されておらず、高校の校舎も職員室の明かりがついていたのでまだ完全に施錠される前であることが分かった。

昇降口は既に施錠されてしまっていたが教職員専用の入り口が空いていたので、そこからなんとか校舎に侵入することができた。

人目につかぬよう警戒しながら廊下を真っ直ぐ進み調理室へ辿り着くと、クラスメイト達と作業していた調理台の上に置き去りにしてしまった自分のケータイを確認できた。

見事にケータイを回収することに成功した僕は調理室の窓から外へ飛び出し、そのまま真夜中の学校から脱出しようとしていた。

すると、不思議な笛の音が聴こえてきた。

♪...♪...♪...

まるで我々日本人特有のDNAにだけ伝わる独特な風情のある“和の響き”で、初めて聴くのにどこか懐かしいと感じさせるような澄み切ったその音色はとても美しく魅力的なのだが、真夜中の学校ではかえって不気味である。

その音を感じながら、ふとあの牛若丸の霊の校内都市伝説を思い出した。

もしかして、これがその牛若丸の霊なのだろうか?

あの都市伝説は、本当なのだろうか?

怯えるどころか、こうなってきたら正体を突き止めずにはいられない。

気付けば僕は、音がする方へ真っ直ぐ歩いていた。

音は、和太鼓部がいつも練習で使っている第二体育館の方面から聴こえてくる。

だんだん音の方へ、近づいてきた。

第二体育館の横にある和太鼓部が楽器や演奏で使う小道具をしまっている倉庫あたりに、何やら動く人影のようなモノを確認できた。

それがその音の主であることは、言うまでも無く確定的だ。

シルエットから笛はいわゆるリコーダーや尺八のような縦にして吹くタイプでは無く、歌口と指孔が横一列に直線上に空いているあの牛若丸と同じ形状であることが分かった。

いよいよ都市伝説に、真実味が増してきた。

額からヒヤッとした汗が流れるのを感じながら、第二体育館の物陰からこっそり音の主の方を覗いてみると、僕はその正体に愕然とした。

ワックスとヘアスプレーでガッツリとスタイリングされた今時のヘアスタイルには似つかわしくない黒い着物姿の男が、黄昏ながら笛を吹いていた。

その笛とは、和太鼓部が演奏するときに使用している『篠笛』という竹で作られた木管楽器だ。

暗闇と目が隠れるほどの長い前髪のせいで顔は見えずらかったが、しばらく見ているうちにそれが誰なのかはすぐに分かった。

一年前に、卒業した和太鼓部の“幸福先輩”だ。

幸福先輩は、全校生徒がほぼほぼ知っている校内ではめちゃくちゃ有名な人だった。

あだ名の由来は、いつも部活の練習着で『幸福洗脳』と言う訝しいボックスロゴ(文字)が入ったTシャツを着ていることからそう呼ばれ始めたらしい。

見た目は、整った顔立ちで身長も高くて格好良い人だ。

しかし、クラスメイトの和太鼓部員たちの噂によると、自意識過剰で、意見を言うときの話し方は常に上から目線で、上下関係を問わず誰に対しても傲岸不遜な態度を取り、コーチや同級生の部員からなにか自分が思っている事とは違う意見を言われるとすぐ否定的な口調で言い返し拗ねてしまう厄介者らしく、「幸福先輩って喋らなければモテるのにね。」と言われているらしい。

その一方で、実は後輩思いで優しい所もあり人一倍モチベーションの高い先輩でもあることから色んな人から愛されてもいるようだ。

過去の文化祭や新歓フェスで何度も幸福先輩の出ている演奏を観たことがあるが、ステージ上の幸福先輩は普段の幸福先輩とは違って凛々しくて会場にいる人たち皆を引き込むような魅力があった。

毎回、その演奏を観ては「さすが和太鼓部だ。」と感心させられたものだ。

しかし、そんな幸福先輩が真夜中になぜ母校で篠笛を吹いているのだろう?

幸福先輩に気を取られていると、右手に握り締めていた取り戻したばかりのケータイをうっかり床に落としてしまった。

カタッ...

床に落ちたケータイの物音と同時に、先程までずっと鳴り響いていた篠笛のメロディーがピタリと止まる。

幸福先輩は演奏の手を止め、すぐ近くにあった楽器ケースに篠笛を丁重にしまい音の方へ振り向いた。

黒ずくめの大きなシルエットが、ゆっくりとこちらに近付いて来る。

急に鼓動が早くなり、ヒヤッとした汗が背中あたりを流れるのが分かる。

まるで殺人鬼から狙われているかのように、このシルエットが僕の所に到達するまでの約10秒間は重苦しく、とてつもなく長い時間に感じられた。

身長が高くて長い前髪から覗く鋭い目をしたその顔は暗闇のせいで威圧感があり、もはや恐怖以外の何ものでもない。

「あれっ…君って確か、生徒会の井戸君だよね?」

先程までの恐怖のシルエットがまるで嘘であったかのように、拍子抜けした声で話しかけて来た。

「はっ…はい。お久しぶりです、幸福先輩。」

幸福先輩とは、クラスメイトで和太鼓部の木村がきっかけで何回か喋ったことはあった。

木村は幸福先輩と同じ地元で幼馴染らしく、先輩後輩の上下関係を感じさせないくらい仲が良かった。

私学フェスや文化祭で和太鼓部と生徒会が一緒になることが多く、その時に木村を含めた三人で少し話す程度でちゃんと会話したことはない。

幸福先輩が僕のことを覚えていたことに、とても驚いた。

「ほら。これ、君のだろ?」

そう言って、幸福先輩は僕が落としたケータイを拾って渡してくれた。

「ありがとうございます。あの…どうしてここで笛吹いてるんですか?」

聞かずにはいられなかったこの質問を、真っ直ぐ幸福先輩に投げてみた。

すると、僕が知っている現役和太鼓部員の頃のいつもギラギラしていたイメージの幸福先輩からは意外な答えが返ってきた。

「俺さ、自分がなんなのか分からなくなっちゃったんだよね。ここを卒業してからさ。」

「なにかあったんですか?」

「ここは俺に色んなものを与えてくれた。スポーツも勉強も得意じゃなかった俺に、和太鼓部という居場所を。俺にとって特別な場所なんだ。」

「分かりますよ。先輩、ステージの上ではめちゃくちゃ輝いてましたし。」

幸福先輩は、どこか寂しげな目をしながら話していた。

「色んな人が俺たちの演奏を観てくれて、色んな人が俺たちのことを覚えてくれて。全国大会みたいな広い世界で勝負して、賞も受賞して。

楽しかった、本当に。そんな日々を過ごしてるうちに、思うようになったんだ。

俺は、特別な存在なんだ。選ばれし人間なんだ。大志を抱け。大きな夢を持て…ってさ。」

「...はい。」

「でも、現実は違ったんだ。ここにいない俺は、もう何者でもない。誰からも求められてないんだ。」

先程までずっと聴こえてきた笛の音が、だんだん嘆きのメロディーのようなものに思えてきた。

卒業してもなお、この地を訪れ過去の残像に思いをはせながら只ひたすらに笛のメロディーを奏でるその姿勢からは、充分過ぎるほどの郷土愛と思いの強さを感じられた。

「あの…自分に言われても説得力ないかもなんですが、幸福先輩ならきっとどこへ行っても大丈夫だと思いますよ。

僕、先輩の演奏を舞台袖から観るの好きでした。いつも自信に満ち溢れていて沢山パワー貰ってました。

和太鼓部じゃなくなっても、幸福先輩は幸福先輩です。

きっといます。先輩のことを必要としている人が。その人たちを、笑顔にしてあげて下さい。」

幸福先輩に感化されたのか、自分でも驚く程の文字数が口から溢れ出た。

「ありがとう。少し、勇気貰ったよ。

俺、どうしても叶えたい夢があってさ。東京行こうか迷ってたんだけど、決心ついたよ。

ここで笛吹くのも、もう辞める。過去ばっかり見てても仕方ないしな。じゃあな。」

そう言って、幸福先輩は笑顔で去っていった。


牛若丸の霊の正体は、意外な人物だった。

と、なぜこんなことを急に思い出したのかと言うと今日、同窓会で三年ぶりに再会した木村とちょっとだけ幸福先輩の話しになったからだ。

あれから幸福先輩は本当に東京へ行き、現在は役者をやりながら高校時代にやっていた和太鼓や篠笛もたまにライブハウスで演奏しているらしい。

売れてはいないが元気そうだと言う話しを聞いて、少し安心した自分がいた。

「なあなあ、そう言えばあの都市伝説の牛若丸の霊って本当だったのかよ?」

「そんな訳ねーだろ。どうせ誰かが流したデマだっつーの。」

「ってか、お前信じてたの?マジ受けるんだけど。」

「あはは。バカじゃーん。」

あの夜の出来事は、僕以外の誰も知らない。

このことは誰にも話さず、自分が真夜中の学校に不法侵入した事実と共に墓場まで持って行くつもりだ。

《終》

(2019年 執筆作品)


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