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Andrew Kovacs Studio: week_1

東大のSEKISUI HOUSE-KUMA LABの寄付講座である国際デザインスタジオで、Ensamble Studioスタジオ(2回言ってる)とAndrew Kovacsスタジオが開講された。僕はAndrew Kovacsスタジオを取ることができたので、せっかくなので感想や思ったことを記録しておこうと思う。思えば前々回のスタジオも国際スタジオで、SCI-ArcやPrincetonとかと合同スタジオだったので、その時ももう少し丁寧にやれたら良かったのになぁという思いもある。
学部4年あたりからずっと気になっていて、留学のきっかけにもなった建築家の一人なので、自分にとっては非常に貴重でラッキーな機会である。オンラインとはいえ、この機会を生かして新しい視点を得たい。

第一週はキックオフミーティングだったので、アンドリュー・コバックがどのような建築家なのか、彼の手法について簡単に触れ、スタジオの課題について改めて整理したいと思う。

01. Andrew Kovacs

アンドリュー・コバックはロサンゼルスの若手建築家で、シラキュース大学、プリンストン大学からREX、OMA、アトリエワンを経て、現在はOffice Kovacsという事務所を主宰している。去年か一昨年までUCLAで教えていたが、今はUSCで教えている。

彼の特徴的で中心的なプロジェクトが、「個人的趣向のアーカイヴ(Archive of Affinities)」である。これは、彼がインターネットで見つけた画像や、集めたオブジェクトのスキャン画像などを収集し、個人的データベースを作るというものである。彼はこのデータベースの組み合わせから建築を作ることを試みている。図面のコラージュによるドローイングや、オブジェクトを組み合わせて作られる模型は"less is more"の対極にあるように感じる。

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fig.1 Archive of Affinities

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fig.2 Chicago Model

彼のデータベースからコラージュにより建築を作る手法は「新コラージュ主義」と呼ばれる流れに位置づけられる(この呼称は平野さんが名付けたのだろうか……?)。そしてこの新コラージュ主義は、オブジェクト指向存在論(Object Oriented Ontology)という哲学の考え方から派生したものであるようだが、この大局的な位置づけの話はまた別の機会にしたい。

徹底的にものを収集してそれをコラージュするこの姿勢は、個人的趣向の設計プロセスの客観化と言えるのではないかと思う。
例えば算数や数学ができる人は「センスがある」と言われることが多いが、実際は膨大な問題数をこなし、知らない問題に対しても過去に解いた類似する問題を(無)意識的に参照して解き方を導いているという話がある。
設計でもリファレンスと言って、過去の建築の空間を参照するのはよくある話である。理想の空間に近いものを参照するのか、参照するものから理想の空間が見いだされていくのか、鶏と卵だが、設計のプロセスはなんだかんだブラックボックスになってしまいがちだと僕は思っている。どこからそのスタディ模型の形が生まれたのか、という時に「たくさん手を動かしてできました」というのは納得できない。多くの建築に触れ、無意識にいくつかの建築や空間を参照しているのではないか。それは「経験」と言うのかもしれないが、やはりブラックボックス的だと思う。
その点、個人的趣向のアーカイヴは、アンドリューのセンスについてのデータであり、数が増えるほど客観的なものとなる。そのアーカイヴからコラージュにより作られた建築はアンドリューの趣向・主観性を客観的に見える形で具現化することができているのではないか。

02. VERY BIG ART

今回のスタジオのテーマは "VERY BIG ART" というもので、パブリックアートと公共空間について考えるスタジオである。キックオフミーティングでは、まずパブリックアートとしての建築が公共空間を魅力的にしている例がいくつか紹介された。

まず、ヘザウィック設計のヴェッセルが例に挙げられた。これはアートや彫刻とも言えるが、そのスケールの大きさから建築としても捉えられる。しかし建築のように内部空間はなく、特定の機能も持っていない。これはしばしば「フォリー」と呼ばれる(意味のない小屋、装飾の建築など、その定義はあいまいらしい)。しかしこのフォリーは、その周辺環境を大きく変え、そして観光地として人々が訪れている。この巨大なフォリーは "destination art" (旅行目的地としてのアート)として、建築とパブリックアートの境界を曖昧にしたと言える。

次の例はロサンゼルスのポールスミスの店舗である。これは壁がすべてピンクに塗られており、その壁を背景に人々が写真を撮っている。いわゆるインスタ映えだが、店舗の前の広場的な空間を人々が楽しむ空間に変えることに成功している。

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fig. 3 Paul SmithのPink Wall

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fig.4 投稿の様子

他にも同じくロサンゼルスのディズニーコンサートホールの前の広場では、人々がゲーリーの建築の前で写真を撮るし、ピサの斜塔では人がピサの斜塔を支えるジェスチャーをして撮影を楽しむ。

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fig. 5 ピサの斜塔

そしてピサの斜塔は世界各地にコピーが作られ、そこでも同じ現象が起きているなど、ピサの斜塔の真正性や機能、内部空間と切り離された働きがある。そしてピサの斜塔はお土産品となり、人々の手のひらサイズとなり、スケールすらも超えてしまっている。

建築がコピーされたり、お土産として小さなオブジェクトとなっていく過程の逆をたどっていくと、公共空間を魅力的にする建築スケールの "destination art" を作り出すことができるのではないか、新しい形の公共空間を生み出せるのではないか、ということがこのスタジオの試みである(と今は考えている)。

アートは自己の表現、デザインは機能性や相手のためのもので、建築はデザインであると言われることもあるが、果たしてそうなのだろうか。パブリックアートが上記の例のように公共空間にもたらす影響は、インスタ映えだけなのであろうか。

03. Public Art / Private Art

今週の課題として、1. 公共空間の事例収集、2. 敷地候補の選定、3. James Winesの "De-Architecture" の中のPublic Art / Private Artを読む、という3つが課された。
De-Architectureの冒頭でJames Winesは次のように述べている。

"パブリックアートは文化的な洗練さを提供し、メディアや不動産を刺激するような議論を引き起こすため、同じ場所に配置されるであろう他のオブジェクトよりも好まれる。"
"問題の根源は今日のパブリックアートの概念とそれに対する姿勢にある。
(1) パブリックアートは、大きなスケールでの活動ができる優れたアーティストであれば誰でも創造することができる
(2) パブリックアートは建築や公共空間のために、環境へ「感じの良いアクセント」を提供する装飾物の形式である
(3) パブリックアートは人々を文化に触れさせるためには良いものである
(4) パブリックアートは都市景観と人々のコミュニケーションを助ける
(5) パブリックアートは、アーティストが有名になり評価されるにつれて、その作品の価値も向上するので、健全な投資である"

まず冒頭を読んで、インナーシティに対する不動産投資のために、パブリックアートが利用されていたのではないかと思った。特に、都市のアメニティの向上のためにパブリックアートが用いられるとの記述もあるので、僕が卒論で調べていたジェントリフィケーションの話につながっていそう。この本が書かれたのが1987年で、特にこの手の話が問題として取り上げられ始めた頃ではないかと思う。

と、ここまで書いたものの、De-architectureのPublic Art / Private Artは60ページ程あり(しかも英語で)、全然読み進められていないので今回は一旦終わりにする。次週はエスキスの感想と本の感想が書けるといいなあ。

次回はこちら。


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