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Andrew Kovacs Studio: week_4

前回のエスキスでは、今回までにやることは明示されなかったが、個人的には銀座で案を発展させていくのが良いというアドバイスを受けていたので、銀座のファサードとパブリックアート、歩行者天国あたりのことを考えながら模型を製作した。

前回同様、エスキスの前にレクチャーがあった。今回はなんと、De-Architectureの著者であるJames Winesがレクチャーをしてくれた。その後にAndrewとJamesがエスキスという形。今回も贅沢な回である。James Winesは建築家で芸術家。建築も作っているがモニュメントやパブリックアートも作っている。

結局GWにはDe-Architectureを読めませんでした……。レクチャーの内容と一緒に別記事にまとめて書きたいと思います。

前回はこちら。

01. 青木淳のファサード論

銀座にはきらびやかなファサードの建築が多く存在する。レンゾ・ピアノのエルメスやGINZA SIXなど、例を挙げればきりがないが、今年の3月にできた青木淳のLOUIS VUITTON GINZA NAMIKI(ルイ・ヴィトン銀座並木通り店、2004年のものと区別するため2021年オープンの方はこちらの表記)に先日たまたま行ってきたので、それを中心にファサードと建築の関係、アートと建築の関係について考えてみた。

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fig. 1 LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI

まず、青木淳は新建築2004年10月号で、ファサードと建築の関係についてヴェンチューリの「ラスベガス」と、自身の設計したルイ・ヴィトン銀座並木通り店を参照、比較しながら語っている。

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fig. 2 ルイ・ヴィトン銀座並木通り店(2004年時)

ヴェンチューリは内部空間の意味内容を伝えるために空間や構造が歪められている近代建築を批判し、空間や構造に対して、意味内容は看板(装飾)として付加されれば良いとした。青木淳はこれに対して、まず伝えるべき意味内容があることに対して疑問を呈していた。

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fig. 3 Duck v.s. Decorated Shed

もし「実体」との対で「装飾」を置くなら、ここで言われている「包装」は実質を欠いているという意味で「装飾」である。しかし、その装飾はけして実質を飾っているものではないのである。その「装飾」のあり方は、ファッションの役割に近い。『衣服の向こう側に裸体と言う実質を想定してはならない。衣服を剥いでも、現れてくるのはもうひとつの別の衣服なのである。衣服は身体という実体の外皮でもなければ、皮膜でもない。』(『モードの迷宮』、鷲田清一)
こうした日本の包みなりファッションという「装飾」は、それが包み隠している実体と等価である。
(新建築2004年10月号、p103)

つまり、装飾は内部空間を装飾しているのではなく、装飾それ自体として存在しているということである。LOUIS VUITTON NAGOYA(1999)で青木淳は、外装のみの設計を任され、装飾により内部空間と等価な価値を持つ「虚の実体」を浮かび上がらせたという。ルイ・ヴィトン銀座並木通り店でも同様に、装飾が生み出した虚の実体により、実体のある装飾が奥行きを持つことができたと語っている。

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fig. 4 LOUIS VUITTON NAGOYA(1999)

しかし、2021年のLOUIS VUITTON GINZA NAMIKIでは、その解釈を煮え切らないものとし、LOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJIと合わせて、新しい解釈を提示した。

「LOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJI」では、まず外装のデザインがほぼ確定した後に、インテリア・デザインの参照源として、「スーパーヨット」が浮上してきた。小屋があってそこに装飾が付加される、ではなく、装飾があってそれが内部世界の構築のきっかけとなっていった。表層が、本来的にはそれ自体では形を持たない内部の性格を規定していった。小屋が先にあるのではない。まず外殻、つまり装飾があって、ついで、その裏面に接する部分のあり方が決まり、そこから内側に向かって徐々に、外殻の世界が浸透していった。小屋と装飾の前後関係が逆転しはじめていったのだった。
(新建築2021年4月号、p77)

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fig. 5 LOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJI(2019)

ヴェンチューリの小屋と装飾の関係は、小屋があって装飾がある。LOUIS VUITTON NAGOYAやルイ・ヴィトン銀座並木通り店では小屋と装飾が等価、そしてLOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJIやLOUIS VUITTON GINZA NAMIKIでは装飾があって小屋がある、ということである。

これらのファサードの解釈をそれぞれ小屋先行、等価、装飾先行とすると、GINZA SIXの付け替えできるファサードやのれんは小屋先行であると感じる。レンゾ・ピアノのエルメスは等価だろう。しかも実体としての内部と虚の実体としての内部が本当に等価で、高度に融合していると感じる。

しかし、装飾先行は設計のプロセスとしてはそうであっても、結局は小屋先行や等価なファサードから抜け出せていないように感じる。確かにLOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJIは外装からテーマが生まれ、内部空間を規定したかもしれないが、内部空間もしくはテーマ、意味内容の表出としてのファサードのようにも見えるのではないか。

02. 銀座のファサードとパブリックアート

以上の青木淳のファサード論に新しさと疑問を感じたところで、銀座のファサードをパブリックアートと関連付けたい。

と言うのも、自分が装飾先行に疑問を持つ要因の一つとして、内部空間、テナントの大きな力があるように思うからだ。ルイ・ヴィトンは言わずと知れた高級ブランドであり、結局その強力なコンテンツが建築に先行している。コンテンツとは英語で「中身、内容」という意味である。
加えて、銀座のファサードはほぼ全てがそのブランドのイメージを表象し、他者との関係性がないように思える。
そして今回のVery Big Artの課題の観点から見ると、これらのファサードは非常に美しい巨大なアートと呼べる一方で、街の人々に参加の余地が少ない、美術館の展示品と同じなのではないかと思う。つまり、現在の銀座のファサードは商業的に利用されたPrivate Artなのではないか(この辺りの議論はまだ不明瞭なので引き続き考えたい……)。

そこで、テナントを持たない、ましてや内部空間を持たないファサードのみの建造物を考えることでより、より純粋にファサードの持つ可能性や、ファサードの生み出す虚の実体、奥行き、建築を構成する方法論などが考えられるのではないか。機能のない建築、装飾のみを作れば、装飾の役割を純粋に考えられるのではないか。また、それを道路中央に配置することで、人々が様々なアクティビティを楽しみ、歩行者天国がよりパブリックな空間となるのではないかと考えた。

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fig. 6,7,8 模型立面

模型を作りながら考えていたことは、ファサードそれ自体がアクティビティを誘発するのはなかなか難しく、突起物や付属物などが簡単に人々に行動を起こさせるのではないかと思った。例えば鏡面があれば自分の姿を見るし、フェンスがあれば上るかもしれない。これらはファサードがアクティビティを生んでいるが、階段やベンチ、道などの付属物の方が分かりやすく簡単に行動を起こさせることができる。

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fig. 9 ファサード付近のアクティビティ

加えて、道を二分するようにこれらのオブジェクトを配置することで、片側から見たらもう片方の道と向こう側のファサードが奥に見え、奥行きを生み出し、青木淳の言う「虚の実体」のようなものが作ろうとした。

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fig. 10 二分する道

ここから講評で指摘されたことについて。まずAndrewは、これらのオブジェクトがもっと平面的で、ファサードに近い形の方がいいとのこと。その方が銀座のファサードに関するアイデアがはっきりするという。また、誘発されるアクティビティをもう少し具体的に想定したほうがいいとも言われた。
確かに模型を作りながら、もっと平面的な方がコンセプトがはっきりすると思ったが、上にも書いたように、付属物の方がアクティビティに寄与するように思ったので、これについて質問した。すると、動線について考えてみること、階段や窓など、建築のエレメントについて考えてみることの2点を言われた。Jamesがそれに付け加えて、もっと小さなスケールでファサードを構成すること、それらを人々に分かりやすく理解させることを言った。

これらのオブジェクトを道路に配置するため、歩行者天国の時間外の交通の動線なども含めて考えることは必要だし、きっかけになるかもしれない。
また、もっと平面的にするというのは難しく思えたが、Jamesの言うように、小さなスケールで考えたら、建築のエレメントについて考えられるようになり、もう少し発展するかもしれない。分かりやすさについてはDe-Architectureにもあったような気がするが、どのように表現すればいいかはまだ思いつかない。

また、Andrewはどのようにdocumentationを作るかを考えた方が良い、立面図などがヒントになるかもしれないと言っていた。documentationの意味するところが理解しきれていないが、全体像の提示の方法ということだろうか?次回要質問。


ひとまずこの辺で講評については終わりにする。他にも話はあったが、(英語的な意味でも)理解できていない、整理できていないことが多い。また、前回のAlexの時も感じたが、やはり英語が聞こえない。厳しさを感じる。録音を何度も聞き返す……。

そして今回はファサードが大事だったので立面ぽい写真も少し多めに撮った。これも前回同様、模型写真は面白い絵になるなあという気持ちになった。曇りだったけど、それでも外で撮ると光の入り方が全然違う。

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fig. 11 立面模型写真

振り返りがほぼ1週間遅れになってしまった。次々回が中間講評なので、頑張らねば……!

次回はこちら。


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