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Andrew Kovacs Studio: week_5

5週目。今回はBenjamin Ballというアーティストのレクチャーから始まった。後で聞いたが、Andrewが毎回ゲストを呼んでレクチャーをしてもらうらしい。毎回1時間弱で、どれも非常に面白い。毎週お腹いっぱいになる。本当に毎回ゲストが来るの贅沢。

その後にエスキスだったが、Benは途中で抜けて自分の番が終わった後に戻ってきた。少し残念。しかし、レクチャーと他の人のエスキスも含め、面白い人だった。制作している作品もパブリックアート的なものが多く、どれもきれいな上に新しさを感じるものだった。

前回はこちら。

01. Ball-Nogues Studio

今日ゲストで来てくれたBenjamin Ballと、Gaston Noguesの共同主催するBall-Nogues Studioの作品をいくつか紹介していただいた。
まず初めにスタジオの様子を紹介してくれたが、そこは設計事務所+工房、アトリエといった感じだった。新しい素材の実験をそこで行っているそうだが、ジャン・プルーヴェも自身の工房を持っていたのを思い出した。この人のすごいところの一つとして、実際に作られた作品が非常に多いことだ。サイトに載っている作品が全てかは分からないが、年間で大体15作品ほど作るらしい。これだけの数の作品を施工(?)までできるのは、自身の工房ですぐに実践できることもあるだろう。

このスタジオは糸や紙、スチールなど様々な素材でパビリオンやインスタレーションなどを制作しており、そのノウハウが次の作品に生かされていくという過程がある。また、Benが初めに言っていたのが、作品の新しさは新しいプロセスから生まれるということだった。

Pulp Pavilionという作品は、Coachella Valley Music and Arts Festivalで制作されたパビリオンである。このパビリオンでは、ロープにパルプと水、絵の具を混ぜたものを吹きかけて固めることで、軽さの割に強い構造を実現している。紙を再利用しているため、安価で環境にもよく、パビリオンの展示が終わった後も簡単にリサイクルできるそうだ。乾燥した砂漠での展示という環境も逆手に取り、パルプの乾燥を早めるのに利用している。
パルプを吹き付けるという施工方法や、環境への適応、そしてフェス中の使われ方など、どのフェーズで見ても新しさ、面白さが見られる。

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fig.1 Pulp Pavilion

また、作品同士が分かりやすく関連しているのがTalus DomeYucca Craterである。Talus Domeはスチールの球体を積層させて作られたオブジェで、人工的な様子でありながら、地形に沿ったランドスケープにも見える。そして中は空洞になっており、周囲の景色を反射した球体と視線の抜けが全体像をあいまいにする。球体を扱った作品は他にもいくつかあり、それらも面白いのだが、このオブジェを作る際に使われた型枠のフレームが、そのまま次のYucca Craterに利用されているのである。

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fig. 2 Talus Dome

Yucca Craterはそのフレームをひっくり返し、中をプールにして砂漠に設置するという大胆なプロジェクトで、型枠という施工のツールそのものがオブジェクトとなるという手法である。これはTalus Domeのプロセスそのものも作品としてデザインしたということになるだろう。Benはこれらの作品を"cross designed"されたものと述べている。

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fig. 3,4 Yucca Crater

紹介された作品が多く、全ての感想は書ききれないが、制作された作品それ自体も、その過程も特徴的で面白いものが多かった。これらの作品を見て、T/ADSのPAFF (PROJECTILE ACOUSTIC FIBRE FOREST)を思い出した。これは、施工する人が目隠しをして、音が聞こえたほうにファブリックを投げて施工していく(って感じだったような)一見奇妙な施工方法のパビリオンだが、人の感覚や偶然性といったデザインしにくいものを作品に組み込む手法が実践されている。市民参加もランドスケープも偶然性も、そのままデザインするのは難しく、それらを包括できるプロセスや手法自体を、メタな視点でデザインする必要があるのかもしれない。

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fig. 5 PAFF

なお、Ball-Noguesの作品で個人的に特に好きだったのは、Welcome Terrace East & Westである。昔、軍人寮として使われていた施設の前のひび割れた地面の舗装を改装するというプロジェクトで、歴史性を引き継ぐため、日本の金継ぎを参照して、ひび割れをテラゾで埋めてしまうというものである。重い車が通っても大丈夫らしく実用的で、テラゾもかわいい感じで、やり方もシンプルである。

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fig. 6 Welcome Terrace East & West

02. Intervention in Ginza

前回に引き続き銀座を敷地にパブリックアートの提案についてレビュー。前回の指摘を受け新たに模型を作りプレゼンした。今回は様々な具体的な指摘をもらえたので、話の順に書いていきたい。

まず、よりファサードらしい形での提案が良いという指摘については、できるだけ平面的なオブジェクトを使うようにした。また、集めたオブジェクトに加えて、普通にスチボを切って置いたりした。しかし、白い壁がただ立っているだけだと微妙だったので、金銀の色紙や模様のある紙を貼った。そして建築のファサードらしさのために、窓や扉など開口っぽい穴をあけてみた。集めたオブジェクトだけで模型を作るのは限界もあるように思っていたが、模型材料も普通に集めた物なので、まあいいかと思い使ってみた。ちなみに立面写真は遠くからカメラを最大ズームにして、一部分ずつ取って6,7枚の写真を合成した。模型から絵を作るのがまだまだ楽しい。

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fig. 7,8 模型立面1,2

そして、前回に誘発されるアクティビティを想定するように言われていたので、渋谷のスクランブル交差点など以前のリサーチを見ながら、起こりそうな活動をリストアップした。オブジェクトを配置、制作する際になんとなくそれらを一つずつあてはめていった。以下はそのリスト。とりあえず思いつくものを書いていった。サッカーは、以前に渋谷のスクランブルをドリブルして突っ切る人を見たため。

sitting on the bench/grass
picnic
lying on the bed/grass
look in at the window
go up stairs
walk along the facade
look at oneself by mirror
open a door/window
climb a fence/ladder
take a photo
play an instrument
sing rap
dance
play soccer
enjoy drinking
read a book

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fig. 9,10,11 模型写真

模型を作っているときにも感じていたが、もうこのスケール(1:200)では検討できないから、部分模型で1:50程度で考えないとなあと思っていた。Andrewにもやはりそれを指摘され、一つのアクティビティごとに一つの模型を大きめなスケールで作り、全体を今回くらいの模型で表現した方がいいと言われた。

言い訳(?)をすると、模型材料がなくなってきた、模型作るのが大変だから中間で頑張ろうと思っていた……。まあそんなにめちゃくちゃな時間がかかる模型でもないので怠慢でした……。でもリストに対応して模型作るのやばそう。次回はどうしようか。

続いて、ファサードらしさを出すのと同時に、動線についても整理するために、奥行きをおよそ3mにして、全体として薄い建造物となるようにした。完全に壁だけだと寂しいし、5車線あったので、1車線分を充てることにした。歩行者天国の際は1車線のファサードを中心に様々なアクティビティが展開され、通常時は歩行者の通路として機能する。歩行者ネットワークとしても機能するように、もっと敷地の範囲を全体にしてもいいかもしれない。

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fig. 12 平面ダイアグラム

模型写真と航空写真を合わせたこの絵はAndrewが良いと言っていたが、もっと敷地を広げるなら端が見えないようにして、これが無限に続いている感じにした方がいいと言われた。このような表現の指摘は意外と普段のエスキスや講評では少ないのでありがたい。
また、銀座の街を改めて分析的に見てみるようにと言われた。ルイス・カーンのフィラデルフィアのダイアグラムを見ると、人や車の流れが矢印で表現されている。例えば銀座の車道や歩道の幅、交通の流れなどを分析してみることで、ネットワークの広げ方や寸法などのヒントが得られるかもしれないとのこと。また、銀座のどの範囲に展開するのか、銀座をどう定義するかにも関係するだろう。

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fig. 13 Louis I. Kahn Traffic Study project

思えばこのスタジオで、freestyle modelでパブリックアートを考えると言われ、普段の設計でやっているリサーチを少なめにとりあえず模型を作ってきていたが、ここにきてリサーチをする必要性を感じた。普段はいつもリサーチしてダイアグラム作って足踏みしてなかなか設計に進まない、という感じだったので、手を動かしながら理論を考えていく感じが新鮮である。大学院になってやっとそのプロセスを経験したのかという感じではあるが……。

次に、どのようにここへアクセスするのかと言われ、香港の歩行者デッキを紹介された。香港は"City without ground"と呼ばれているらしい。物理的に建築やデッキ、スロープなどで地面がほとんどなくなっていることに加えて、そもそも香港に"ground"という概念が文化的にないのだそう。そしてそれが徐々にpublicとprivateの関係を再編しているということである。時間と空間の認識がコンパクトシティやネットワーク、歩行者デッキや公共交通などによってゆがめられている可能性がある。

確かに歩行者デッキみたいなものは日本でも多く見られるが、この提案を宙に浮かせてしまうのか、車動線と完全に切り分けるのかは考えた方がよさそう。単純に、日本の道路は歩行者の道の幅が狭いところが多い。過密化すると地面から離れていく感覚もある。大通りは歩行者に対して閉じすぎていると言えるかもしれない。歩行者天国のテーマからこの議論もできそう。1車線で、しかも背丈の低い物での介入で、都市構造を再編できるような案にしたい。

最後に、このファサードの高さ、大きさについて。模型を作っているときに、前回の模型は大きすぎて小さなスケールを考えにくかったこと、銀座の既存のファサードは高さが高すぎて人々に介入の余地(それが直接的でなくても)がないように感じたので、高さを2~5m程度に抑えようと思って作った。

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fig. 14 模型立面3

まずAndrewは背景の建築がもっと有名建築の方が議論が明白になると言っていた。確かにその通りなのだが、実際に銀座の中央通りを切り取ると意外とこんなものになってしまう。もう少しいい場所を切り取ればいいのかもしれないが。また、青木淳の並木通りのエルメスや伊東豊雄は中央通りでないし。表現の仕方をもう少し考えたい。また、2~5mの高さについてももう少し検討したい。

そして平野さんからは、GINZA SIXに背景が変わると見え方も変わって面白い、そしてそれが街区全体での巨大な開発に対する批判になりうるというコメントをもらった。確かに一つ目の立面と二つ目の立面の印象はかなり違う。もともとブランドによる大きな看板ファサードのプライベートアート化に対する批判(?)のつもりだったが、巨大さやBignessに対する批判にもなるのかもしれない。平面的で都市的なメガストラクチャーと、ボリュームとしての大きさで、privateとpublicが異なる様相になるような気がする。

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fig. 15 模型立面4

前回のJamesの指摘により、小さいスケールで考え始めたために、考えるべき課題や議論がより明確になってきたように思う。しかも、操作のスケールが小さくなったにも関わらず、考える課題は大きくなったような。しかし散らかってきたような気もするし、毎回新しいゲストの人がいらっしゃるので、次回までに初見の人でもある程度分かるように説明を組み立てなおしたい。課題文をもう一度読み直そうと思う。また、リサーチとか議論とか、この案をより説得力のあるものにする材料を集めたい。
ちなみに次回は中間講評だと思っていたが、中間はないらしい。今まで通りゲストレクチャー&レビューだとか。なんとなく中間があった方が一回ゴリゴリ作れるような気がするけど。というかこの案は最終的にどうやって着地するのだろう。急に最終講評になって終わりそうで少し不安。

03. Post-Modernism and Public Art

他の人の講評の際に、ポストモダニズムは何がいいのかという話になった。AndrewもBenもポストモダンは好きと言っていたが、Andrewは特に、人々に訴える魅力があることが良い点であると言っていた。これは、建築をそんなに知らない人にも分かりやすく面白いということだと思う。ポップアートと同様に幅広い人にアプローチできるということだ。ポストモダンはモダニズムに比べてより多くのボキャブラリーを使っている。そのボキャブラリーは必ずしも伝統的な建築のそれではない。

自分も今までの課題で、リサーチから得られた課題の解決だけでなく、潜在的な課題を提示する、またはその課題についての姿勢、マニフェストを示すためのメディアとしても建築を利用してきたつもりである。幅広い人にアプローチする、分かりやすさという意味で、ポストモダニズムを参照することも多かった。しかしそれと同時に、安易な分かりやすさが陳腐化を招くようにも思うし、分かりやすさが無ければ人々に普及していかない。これはあらゆる文化の発展に伴うジレンマだろう。

以前、渋谷の展示会でコードギアスの脚本を書いた大河内一楼さんと少しお話する機会があった。秋葉原の文化がその広がりにより陳腐化、記号化しているのではないか、という疑問を投げかけるために卒業制作を作ったという話をした。正確にどのように回答を頂いたか覚えていないが「アニメでもなんでも裾野が必要である。作品のファンはピラミッドの構造で、コアなファンが少なくライトなファンが多い。裾野を広げて全体が盛り上がるのが良い」という旨だったと思う。ファンはピラミッドの構造であるという話は、当たり前ながらも、当時の自分にははっとさせられる話だった。

秋葉原の個室が都市に表出している、といった話は都市と言ったパブリックな領域に個室的、プライベートなものが進出しているということだと考えていた。しかしそれと同時に、それらは秋葉原らしさを非常に分かりやすく表している。秋葉原らしさを作り上げているといってもいい。パブリックアートに重要な要素の一つは分かりやすさだと思う。分かりやすさは公共性なのではないか。秋葉原のプライベートなものの表出はどのように考えればいいのだろうか。

秋葉原の事もそうだが、もっと単純に、ポストモダニズム建築は楽しい。デコンとか分かりやすく面白い。確かAndrewも言っていた気がするが、建築はもっと面白くていいと思う。自分がA+Uの2017年5月号に感じる魅力は、建築の楽しさ、ユーモアと、そこに隠されたメッセージだ。分かりやすさと深淵な魅力の両方が建築には必要なのではないか。

Why so serious? Smiling is so much more preferable to tears. It takes a lot of intelligence to design a smart joke. I think many of my friends share this feeling about the value of humor - it uplifts the feeling of a room.
なぜそんなに深刻になるのでしょう?涙よりも笑顔の方がずっといいと思います。スマートなジョークを考えるには相当の知性が必要です。多くの友人たちが、ユーモアの価値について同じ気持ちを共有していると思います。ユーモアはその場の雰囲気を高揚させてくれます。

Architects can work as social critics; with subtle messages under a humorous cloak, charged with political motivations.
建築家は、社会の批評家としての役割を果たすことができます―政治的な思惑に満ち、ユーモアに包まれた巧妙なメッセージを送ることによって。
(A+U 2017年5月号、p63)

これはJimenez Laiのインタビューでの一説であり、自分が卒業制作あたりから考えていることである。また、UCLA M.S.AUD Entertainment Studioのアジェンダには以下のようにある。

Architects have always been storytellers for the environment, and there is no better time than 2020 to champion the futures we want, to advocate, through story, a world of possibility and hope.
建築家は常に環境を語るストーリーテラーである。そして、私たちが望む未来を守り、物語を通じて可能性と希望を唱えるのに、2020年より適した時期はない。

ポストモダニズムを現代で考えることで、建築家として戦略的なヒントが得られるのではないかと思っている。


と、ここまで書いたものの、やはり単純に、楽しいことがまずは大事である。Andrewも再三、Have fun!と言っている。楽しめてはいる。

今回の講評は、前回よりも案が分かりやすくなったのもあってか、何を言っているのか英語が聞き取りやすかった。しかしやはり厳しさはある。発表はともかくとして、議論がやはり難しい……。
そして気づけば次回でスタジオの半分が終了する。早い。
そろそろ模型写真と合わせて他の表現も出してみようかなあ。

次回はこちら。


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