花嫁

15年越しの花嫁

スタンドマイクを前に、

「ユーチューバーになりたい!!」

スピーチの冒頭で僕はこう叫んだ。凍り付いた会場。わずかな失笑がちらほら聞こえるだけで、僕自身も凍り付いた。咄嗟に出た一言は、

「皆さん、今の笑うところですよ(笑)!」

だった。幾何か和んだ会場の中で、僕はスピーチを続けた。最初の滑り出しは見事にこけたものの、そこから徐々に本題へ。二人のこれまでを見守ってきた身として、心からの、渾身のスピーチを披露した。

自慢ではないが、過去に聞いたどのスピーチよりも良いスピーチだったと、複数人からフィードバックを貰った。それが何より嬉しかった。

スピーチは、15年越しに結婚をした友人夫妻に向けてのものだった。


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新郎側で招待された結婚式だった。その新郎とは大学も学部もサークルも同じという、腐れ縁のような間柄だ。大切な親友の一人でもある。彼との出会いは大学への入学直後。お互いにバンド好きという事で意気投合した。そして、同じバンドサークルへ入った。一緒にバンドも組んだ。

見るからに細いわりに背が高く、マッチ棒のようなルックス。九州出身という事もあり、関西弁とは程遠いイントネーション。ある酒盛りの場で、珍事があった。

友人A:「お前めっちゃなまってるやん(笑)」
彼:「なまってないって~~~~(九州弁)」
一同:(大爆笑)

全員が腹を抱えて笑い転げたのを今でもよく覚えている。彼の名言の一つとして、サークルメンバーで集まる際には必ずその話題がでてくる。その度に全員が笑顔になり、学生の時と変わらない雰囲気が醸し出される。

彼はリーダーのようなタイプではなかったが、ユニークな存在として、サークルメンバー間では重宝された。ちょっとしたスパイス的存在だ。おかげで数々の伝説を残してくれた。今思い出しても笑ってしまう。お腹が痛い。


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入学後しばらくして、彼から相談があった。

彼:「今度、合コンするっちゃけど…」

入学間もない段階でコンパを設定できるとは凄いな!と思いながら、僕も当時はコンパに参加したことがなかったので、どうアドバイスしていいものか躊躇した。「とりあえず、楽しんで来いよ。」それくらいしか伝える事が出来なかった。

数日後、彼に状況を聴いた。どうやら一人の女の子と仲良くなったらしい。お互い18歳、初めてのコンパ。何とも初々しいではないか。相手の女の子は神戸の女子大に通う神戸在住の帰国子女。「なんでお前がその子やねん(笑)」とサークル仲間と彼をいじり倒した。照れくさそうに強がる彼を僕は微笑ましく見つめていた。


関係性を深めた二人はその後付き合った。
お互いに初めての彼氏彼女だった。


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喜怒哀楽を含め学生時代を共に過ごした彼等だったが、彼は就職活動に悩み、うつ病と診断された。夜な夜な眠る事ができず、食欲もなく、どんどんやせ細っていく彼を心配した。彼女も余程心配した事だろう。

就職活動にいわゆる「失敗」した彼は、卒業後地元九州に帰る事になった。彼女はそのまま関西で就職が決まっていた。二人の遠距離恋愛がスタートした。二人が22歳の時である。

月に1回程度、彼が関西にやって来る。彼女は当時、南堀江に住んでいた。1泊2日という限られた時間の中で、二人は関係性を育んだ。だが、時には別れ話も出たそうだ。

学生時代に付き合っていたカップルが卒業後に破綻してしまうケースはよくある事。むしろ、遠距離恋愛の中で関係性を育み続けることの方が至難といってもいいくらいだろう。

時折、サークルのメンバーで集まった際、彼女との状況について彼に尋ねた。「結婚」に踏み出せない何かを、彼はコンプレックスの様に抱えていたのだと思う。深く聞こうとしても、話を濁すばかりだった。

女性は出産という人生の大きなイベントがある。その時期について敏感になる女性の気持ちも良く分かる気がする。だが、彼女は彼を急かす事はなかった。彼女は、彼を「見守り」続けた。

遠距離恋愛は、実に10年もの歳月に渡って続いた。

正直、彼等がどうなるのか分からなかった。彼等も相当悩んだ事だろう。不安と心配とで、彼の事はずっと気がかりだった。


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ある日突然、彼から連絡があった。

「招待状を送りたいので住所を教えて欲しい」

ようやく結婚の運びとなったらしい。俺は我が事のように嬉しかった。そして、いつもの如く涙を流した。二人の10数年に渡る歳月を想うと、自然と涙が零れ落ちた。何より嬉しかった。

連絡のやり取りの中で、彼から、新郎側の代表として乾杯のスピーチをしてくれないかと依頼があった。もちろん、二つ返事で引き受けた。スピーチの依頼をしてくれたこと自体が俺は嬉しかった。誰に、何を伝えようか…ない頭を捻り、心を込めてスピーチを創り込んだ。

式の当日、二人が初めて出合った神戸へ向かった。阪急神戸線の車窓から見える六甲山を眺めながら、俺は一人既に感涙に浸っていた。会場はハーバーランド近くの、海に割と隣接した場所だった。神戸は僕自身にとっても思い入れのある場所。この街で式を開き招待してくれたことを改めて感謝した。

披露宴が始まり、いよいよ僕のスピーチの番になった。入念に司会の方と打ち合わせをしていたおかげで、マイクスタンド前に移動するまではスムーズだった。だが、事前にスピーチ内容を準備していたものの、やはり緊張はする。頭が真っ白になった。咄嗟に出た一言が、冒頭で記載した、

「ユーチューバーになりたい!!」

だった。彼が九州出身という事もあり、ザ・マンザイで優勝した博多華丸・大吉のネタを放り込んだのだが、凍り付いた会場の空気で更に頭が真っ白になった。幸い、失笑してくれた友人の御陰で正気を取り戻した。冷静さを取り戻した僕は、以下のようにスピーチをした。


○○(新郎)、○○さん(新婦)、今日は僕も心待ちにしていた日です。ご結婚、本当におめでとうございます。二人を勝手に見守って来た身としては、何と表現して良いか分からない、それくらい心から嬉しい限りです。

ところで、僕の好きな言葉があります。それは、「『愛』とは『日常』である」という言葉です。この言葉は、まさに二人のためにあるような言葉だと思っています。

10年以上に渡る遠距離恋愛。時には、「その相手で大丈夫なのか?」と、○○さん(新婦)は友人達から心配や、時には揶揄されたこともあったでしょう。それでも、二人は着実に『日常』を積み重ねてこられたのだと思います。二人だけの大切な『日常』を積み重ねてこられたのだと。そう、僕は思っています。

その間、○○(新郎)をずっと信じてきた。○○さん(新婦)のその懐の大きさに、彼もきっと救われたのだと思います。

私の信条として大切にしている言葉があります。

「信じるとは相手に対する期待ではなく、自分自身への覚悟である」

という言葉です。その言葉を○○さん(新婦)は体現された。だからこそ、今日という日を迎える事が出来た。本当に、よく待たれましたね。あなたに心から敬意を表します。同時に、筋違いかも知れませんが、彼の一番近くで、彼を見守ってくれた事に感謝の意を述べたい。本当にありがとうございます。

(中略)

乾杯!!


こうして、彼等は18歳から15年もの歳月を経て結婚をした。お互いに初めて付き合った者同士として。こんな美談はあるだろうか。頑固一徹の新郎である友人を、見守り、信じ続けた彼女。

必然と自身に問いが生まれる。

心から、相手を信じ続ける事ができるのか?

少なくとも今の俺には出来ない。信じるとは、とてつもなく偉大な行為であると思っている。それを体現した彼女を、彼を心から尊敬している。

何気ない日常を重ねる中で愛を育み、結婚というイニシエーションを終え、彼等は今も仲睦まじく暮らしている。二人の関係性がいかに良好であるか、その関係性を保ち続けてきたからこそ、彼等の今がある。

彼等が結婚して数年後の昨年12月、プライベートで彼等が住む九州の自宅を訪問した。二人の生活感を感じながら、二人はお互いを良い意味でディスりながら、それでも仲良く関係性を保ちながら、「日常」を重ねていた。

妻である彼女のおもてなしを沢山受け、おいとまの準備をしていたところ、彼女は僕にこっそりとこう教えてくれた。

「カズマさんが今日いらっしゃる事、○○(新郎)はとても楽しみにしていましたよ。本当にありがとうございます。」

その言葉だけで俺は感極まってしまった。

彼も紆余曲折、様々な辛酸を舐めながら、それでも懸命に生き、今がある。

その彼を、10余年に渡って支え続けた彼女。決して相手を見限ることなく、互いを信じ、二人が積み重ねてきた「日常」を想うと、本当に今でも涙がでる。

こんなに心温まる「物語」があるだろうか。
少なくとも俺は、他に知らない。


おわり

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