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保育園に子どもを預けるのは可哀想ではない!という主張に感じた違和感の正体

2ヶ月前に、グローバル企業で働かれている女性だけを集めた、とある研修に参加しました。研修自体はとても有意義で学びがあり、また、たくさんの素晴らしい女性の方々に出会えたこと、とても貴重な経験をさせていただきました。これについてはまた後日書こうと思います。

その研修のアフターパーティで、色々な方とお話しさせていただきました。研修にはやはり、お子さんをお持ちの方も多数いらっしゃいました。もちろんみなさんお子さんをお持ちでも働いていらっしゃる方々です。どんな文脈でそのような話になったのかは忘れましたが、私が次のように言いました。

「せっかく子どもを保育園に預けているんだから、意味のある仕事をしたい」

それに対して、お一人の女性がとても強く、「それは違うと思う」と言われました。子どもは保育園で先生やお友達とたくさんの関わり合いをして有意義に過ごしている、と。

ほんとうに短い、たったこれだけのやりとりです。今考えると、あまり話しが噛み合ってない気もしますが…たったこれだけのやりとりのあと、随分悩みました。保育園に預けているのは可哀想と思っている、と思われたのかな?と思いました。(思う、が多い…)その方とそれ以上お話しできなかったので、聞けなかったのですが…

強く言われたので心に残ってしまいましたが、保育園に預けているのは可哀想ではない、という主張は良く聞きます。特に、預けている多くの母親からすると、逆に、保育園に預けているなんて可哀想だ、と言われるのはとても辛いことだと思います。(男性でこの部分で悩んでいる方を見聞きしたことがないのでここでは母親と書きます)

最近はそんなことを言う人も少なくなったかもしれませんが、言われるんですよね。私もそんな風に言われたらやっぱり傷付きます。しかし事実は、子どもたちは本当に楽しそうに保育園で先生やお友達と遊んでいます。迎えに行くと、もう来たの?と言われるのもあるあるですよね。

だけど、なんで、可哀想ではない、という主張のほうに、もやもやするんだろう、とだいぶ考えていました。これを言われたすぐは、子どもを言い訳に、自分の仕事に関連付けてはダメなのかな、自分は甘いのかな…と思ってました。

子どもは保育園で楽しそうに遊んでいるという事実のほかに、もう一つ自分にとっては目を背けられない事実があります。それは、子どもが保育園に行きたくない!と泣くことがあるという事実です。特に上の子は酷く、10ヶ月頃から保育園に通っていますが、泣かないで行けるようになったのは年中組からです。長かった、ほんとうに長かったです。そして下の子、上の子とくらべるとだいぶマシですが、それでもたまに教室に入りたくない、と泣きます。

子どもが泣いているとき、私はどうしようもなく、自分で泣き止ませてあげたい、と思ってしまうのです。先生に抱っこされ、お母さんとバイバイしたあと楽しく遊んでいるのも知っているけれど、泣いているその瞬間は、お母さんを求めている、その事実があり、それに応えていない自分に、どうしようもなく、遣る瀬無さを感じてしまうのです。

自分は仕事が育児よりも好きだけど、子どもが可愛くないわけじゃないし、できれば子どもたちには泣かないで、寂しくない日々を送ってほしい。パーマンに出てくるコピーロボットがあったら、仕事も育児も100%完璧にできるんじゃないかなんて切望してしまいます。(完璧主義なのかな?)100%なんてどだい無理な話ではあるけれど、子どもに泣かれるのがとても辛く思ってしまう自分にとって、泣いてるのに自分が抱っこできない、という事実がシンドイのです。自分が選んだことなのに。

自分のこういった気持ちをつらつらと考えてた時に気付きました。保育園に子どもを預けることは可哀想ではない!と言われると、自分のその気持ちをどこか否定されたように感じてしまうのです。子どもたちをずっと抱っこしていたい、という気持ちに無理やり蓋をされてしまったような。自分にとっては無理やり預けているのに等しいところを肯定して欲しくはないんだと気付きました。

自分で書いてても、何言ってるんだ?という感じですね。仕事もしたいし、子どもともずっと一緒にいたい。ただそれを肯定されたかったのかもしれないです。同じように感じたことがある方はいらっしゃいますか?

サポートいただいた分で他にできない経験をして、記事にしたいと思います。 ここまで読んで頂きありがとうございます!