ammoflight(アンモフライト)活動休止してから何してた? 〜ジストニア克服までの道のり1〜


どうも。改めて自己紹介させていただきます。
葛西一茂(シゲ)と申します。

約9年前まで、アンモフライトと言うバンドでドラムを叩いておりました。
バンドが活動休止となってからは、運よく地元の企業に入社する事ができ
会社員を続けておりました。
現在は転職をして別の会社に勤めております。
そして妻・子・自分と家族3人で元気に暮らしております。

ammoflight(アンモフライト)ってどんなバンドだった?

はい笑  もう活動休止しておりまして、どんなバンドだったかは下記をご覧ください。
【youtube】

【wiki】

簡単にまとめると2012年に小田原にて結成した4人組バンドです。
ざっくりしすぎて全然紹介になってないじゃないかとつっこまれそうですが、もうだいぶ昔のことなのでここはサラッと説明させていただきました笑

そもそも自分がアンモフライトを辞めてた理由ってなんだっけ?

そしてここからが本題です。
「体が思うように動かない…」これが理由です。
いやいや!
普通に生活できてるし、ある程度は演奏もできるしどういう事?!
怠けた事を言っているように聞こえますが、これが後々自分の人生に大きく関わってくる事となります。

どういう状況だったか説明させてもらうと、
メジャーデビューをして1年が経とうとした時、
全国ツアーを回っていた時に体に異変を感じました。
「あれ?右足になんか違和感があるな…」これが最初に感じた異変でした。
「でもツアー中で練習不足だろうしもっと練習してやろう」そう思うことにして違和感は感じながらも、ツアーを乗り切りました。

右足の違和感がさらに酷くなっていく事に

ツアー後に右足を強化する為にとにかく練習あるのみと意気込んで、
ひたすら練習をしました。
練習といっても色々あるかと思いますが、とにかく右足を酷使するトレーニン後をひたすらやっていました。
ところが…練習すればするほど右足の違和感が増していく事に。

そしてついに悲劇が訪れます…
「あれい叩けていたフレーズができなくなっている?!」
「そんなわけあるかい!」思い、何度も叩いてみる事に。
やっぱり右足が動かない…
フレーズ自体は全く難しいものではなく、テンポ150の右足8分連打のフレーズです。(連打っていっても4回踏むだけ)
言葉で表現しにくのですが、ペダルから足を上げようとしても足が上がらない状態になってました。
さらに、フォームが崩れてしまったのか、その頃には演奏時に全身が硬直して演奏もままならない状態になってました。
流石にこれはおかしいと思い、病院に行こうと決めました。

とりあえず病院に行ってみた

日常生活は全く問題なし。
ただドラムを演奏する時にだけ、「右足が動かない」+「全身が硬直する」症状がありました。
自分でもどこが悪いのか、分からなかった為に総合病院に行く事に。

受付を済ませた後にまず内科にて血液検査をすることに… 
結果は問題なし!

次は、整形外科にてレントゲン検査…
結果は問題なし!

次は、睡眠時無呼吸症候群の検査…←当時こんな状況が理解できずに眠れなかった為
結果は問題なし!

そして最後の医師の問診で心療内科を勧められる事に…
しかし、当時は「心の問題で体が動かない訳はない!」と確信していた為、ここで病院に行くことはやめました。

低迷期

当時自分はこれらの症状が何が原因だったか全くわかりませんでした。
病院に行ったり練習したり色々と考えられる手は尽くしたものの改善することはありませんでした。
そしていつの日か「気持ちの問題だ」と解釈して時間だけが過ぎていきました。
当時、他メンバーや音楽仲間にこの事を相談すればよかったと思いましたが「体が動かない=気持ちの問題」と決めつけていた為、誰にも相談する事はありませんでした。
だって皆んなそれぞれ寝る暇を惜しんで努力しているのに、
自分だけ「体が動きません」なんて後ろめたい事は言えませんでした。
同時にバンドも低迷期に突入し、カオスな状況にどっぷりハマってしまいました。

ドラマーとしての分岐点

そんなある日、バンドのリーダーより「各々の今後について一度考えて欲しい」と提案がありました。
きっと続ける覚悟を問われたのだと思う一方「救われた」そう思ってしまった自分がいました。
そして自分はこの問いかけに対して「違う道に進みたい」と回答しました。
なぜらなドラムを演奏すればするほど体が動かなくなってしまうスパイラルに陥っておりこの状態でドラムを続けていたら、一生ドラムを叩けなくなってしまうのではないか…そう思ったからでした。
こうして自分の「音楽のみ(ドラマーだけ)で生きていく事」を諦めることにしました。

後にジストニアと言う症状を知ることに

そこからは、一旦普通に働いてみようと言う思いから地元の企業に入社しシャカリキ働きました。笑
そんな会社員として再スタートを切った自分でしたが、
ある日、SNSの記事が目に止まりました。
それは「RADWINPS の山口さんがジストニアを発症」と言うニュースでした。
その記事を読んだ時「自分もジストニアだったんだ」と確信した事と、
憧れであるドラマーの活動ができない状態になってしまう事の悲しさが込み上げてきました。
さらに「原因不明の病かつ治療法がない」と絶望的なものでした。
そして、ジストニアと言う症状を調べてみると、
ドラマーだけではなくピアニスト・バイオリニスト・ギターリスト・ボーカリストと様々な奏者にも発症するとの事でした。
当時音楽をやっている時期にこの事を知っていたら違う決断ができたのではないかと思いましたが
「過去を振り返ってはしょうがない。」
「きっと近い将来この病も治せる時がくる」
そう自分に言い聞かせて目の前の事に集中することにしました。

まとめ

長くなりましたが、なぜ今更こんな事を記事にしたかと言うと、
心から音楽を生きがいにしている全ての方々にとって、このような事態はあってはならない事だと考えております。
自分が経験したからこそ、楽器が演奏できなくなる悲しみを知っております。だからこそ私の経験談を記事にすることで、同じ症状をもつ方々の解決の糸口になればと思い書き留めました。

次回

現在は1年半前よりジストニアの治療を始め、ほぼ完全復活状態に戻る事ができました。
次回は「ジストニアになる原因」・「治療法」について記事にいたします。

それでは また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?