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「電力会社の憂鬱」 第三章

第三章 事故と故意

中央制御室

日本海発電所の中央制御室は、4セットある。1・2、3・4、5・6、7・8号機、それぞれ2基づつ同室に併設されている。
完全なミラー方式なため、運転員が勘違いしないよう、一方は薄いブルー、もう一方はイエローに基調色を変えてあった。
部屋の雰囲気は、まさに宇宙戦艦のコックピットのような感じで、上段に100を超える四角いアラーム点滅装置が並んでいる。
中段は、数々のバロメーターや数値を示すデジタル機器、下段には各種スイッチ類。
運転員の誤操作を防止するためか、色を変えたり、アクリルカバーが取り付けられたりしているものもある。
何気なく配置されているようだが、実は徹底的に人間工学的に計算された結果である。
見た目の格好良さから、宇宙船のメカを描く漫画家などが、参考にしたいということで、何度か見学にも訪れている。

中央制御室はまさに原子力発電所の中枢であり、巨大な設備を全てこの場所でコントロールしている。
プラントの運転中は、この場所以外に基本的には人はいない。
もちろん原子力発電所の運転は24時間絶え間ないので、運転員は5チーム3交代で、昼夜別たず勤務についており、中央制御室内での監視業務や巡回点検業務をこなしている。
一日で見ると、3交代に入る3チームと、休日の1チーム、残り1チームは日勤、いわゆる机上勤務チームで、何かあった時の遊軍となる。
この体制が3日ずつ続く。
運転員の構成は運転課長、運転係長を含め、1チーム10人程度。
加えて休祭日は、何かが起きた際の司令塔として、所長と次長の4人の内、誰かが当番として決められた場所で寝起きすることになっている。

19○○年2月、土曜日の午後。
真冬の日本海にしては珍しく快晴で、気温も高く、心安らぐ平穏な昼下がりであった。
日本海1・2号機中央制御室。
現在、夏場のフル稼働を目指して、1号機は定期点検中である。
他の機器と同様、中央制御室の機器も、ばらばらに分解点検を行っており、足の踏み場もない状態である。
反対に、2号機側は静寂に包まれていた。
今勤務中の運転員は、あと2時間程度で夜勤者との引継ぎ時間で、一日のスケジュールをほぼこなし終え、全員が中央制御室に戻ってきていた。

「課長、息子さん、子会社の『西日本プラント』に就職が決まったそうですね。おめでとうございます。」
係長の上田が声をかけた。
「ああ、ありがとう。
海野所長にお世話になって、なんとか滑り込んだよ。」
と課長の武村一郎。
この武村も浜波出身である。
「でも、課長の家も元々漁師でしょ。
2代続けて継がなくてもいいんですか?」
「それなんよ。わしがこんなんやから、息子は漁師を継ぐ気でおったみたいや。機械が好きやから、船の機関士になりたかったらしいわ。ところが、わしに似て船酔いするたちやったみたいや。
何度か爺さんに連れられて沖に出したんやが、どうしてもだめで、爺さんもこいつはあかん言うて匙投げたんよ。」
「漁師が船酔いって、致命傷やね。」
「えらい落ち込んどったが、海野さんが次長時代に家まできてくれてね。
機械が好きやったら、工業高校の機械科に頑張って入れ。卒業したら面倒みてやる。
と言ってくれたんよ。
そこから、わが子とは思われんくらい頑張りよってね。
西日本電力は成績が足らんかったけど、いい会社に入れてもろうたよ。
所長には感謝してもしきれんよ。やっと安心して定年を迎えられる。」
「え、課長、定年なんですか?」
「俺は次の8月で60歳。」
「見えませんね。でも課長くらいになると、定年になったら2~3年は西日本プラントに出向させてもらえるんでしょ?
息子さんの上司になるかも、ですね。」
「そうなったら最高やけどな。」
と武村は嬉しそうに話した。
「そうだ。
課長のお祝いを兼ねて、今日の勤務が終わったら、みんなで街に出ないか?
事務課の上野の奥さんの実家がステーキハウスやっていて、本当に美味いらしいぞ。上野に連絡しとくよ。」
「行きましょう、行きましょう。ステーキか。」
「課長は実家だからいいけど、俺たちは寮だから、料理飽きているしな。」
「寮のおばちゃんの料理、美味いって評判なんじゃないんか?」
と武村。
「料理の味は良いんですよ。
でも取り合わせがちょっと。
昨日の晩ご飯は、アジの塩焼きときつねうどんですよ。
この取り合わせ、どう思います?」
みんなどっと沸いた。
「よし。じゃ6時半のバス集合だ。ただし割り勘やで。」
武村は今のメンバーを気に入っていた。

「あと、高宮係長にも声かけないか?
他の課の飲み会には、よく顔を出してくれるらしいよ。
各課の飲み会に顔を出すと、どんな仕事をしてるのか一番わかりやすいらしいよ。あんな美人と、一度飲みたいな。」
「町役場の宴会にもよく声がかかってるらしいね。町の若手職員なんか、デレデレらしいよ。」
係長の上田は、一瞬武村の顔が曇ったのを見逃さなかった。
上田は、
「まあ今日は課長のお祝いだし、高宮を誘うのは次にしよう。
それと課長は割り勘て言ってるけど、課長の分は全員で負担だぜ。
課長、ワインでもなんでも、好きな酒も飲んでください。」
「悪いな。」
と武村。
「1本何万円ていうワインもあるから、みんな覚悟しとけよ。」
「ファーイ。任せといてください。」

緩和と緊張

みんながステーキで盛り上がっていると、突然、発電所の異常を知らせるページングが鳴り響いた。
「なんだ。」
全員が一斉に2号機の警報盤に全神経を向けた。
その瞬間、警報が発報しだした。
『復水器抽出ガスモニター高』
武村は慌てて当直課長席に座りなおした。
係長の上田は、目を凝らしてバロメーターを睨んでいる。
「異常な上がり方です。ピンホールとかのレベルではありません。」
本来、放射能が含まれていない二次系の冷却水に、蒸気発生器で何かが起きて、放射能を含む一次系の冷却水が漏れだしてきた。
それを「復水器」に設置してあるモニターが放射能を捉えたという意味である。「復水器」は、タービンで仕事を終えた蒸気を、再び水に戻すための設備である。
上田の報告では、その数値の上がるスピードは、これまでに経験したこともないようなものということである。
 
「すぐに、手動停止すべきです。
課長よろしいですか?」
「まて、少し様子をみよう。」
と武村。
異常が出た場合、そのまま正常値に戻るケースもあるので、武村の指示は常套である。
また警報が発報した。
「今度はなんだ。」
『ブローダウン水モニター高』
一次系の冷却水が二次系に漏れ出すと、二次系の蒸気量と圧力が上がる。
機器を守るために、自動的に二次系の蒸気をブローする。
すなわち大気に放出するのだ。
その放出する蒸気の放射能モニターも上がり始めたという警報だ。
要は放射能を含んだ蒸気が大気中に放出し始めたということである。
 
「だめだ、課長!手動停止させてください!」
運転員は普段から「運転訓練センター」で厳しい訓練を受けており、異常時の運転動作は体で覚えこんでいる。
その時、当番幹部とのホットラインが鳴った。
「ちょっと待て!」
と武村。
今日の当番は、事務次長の山本である。
武村は、かいつまんで状況を説明した。
上田が叫びだした。
「課長。手動停止を!
今日の当番は山本さんでしょ!
事務屋の指示なんか、聞いても無駄だ!」
着任半年が経過したとはいえ、事務系の人間に原子力のすべてを理解できるはずもない。
誰もが思ってはいる事だが、切羽詰まった上田は口に出してしまった。

その時、
『加圧器圧力低』警報が発報。
一次系の冷却水が二次系に大量に漏れると、一次系の圧力と水位が下がる。
加圧器という設備で、その判断が自動的になされている。
「課長!もうだめです。
これ以上水位が低下すると、ECCSが作動する!」
ECCSとは非常用炉心冷却装置という。
何らかの原因で冷却水を喪失し、炉心がむき出しになる恐れのある場合、別系統の安全注入系から冷却水を注入する。
実際にECCSが作動した事例は、日本ではまだない。
武村は上田の怒号を無視して、固まったようにホットラインでしゃべり続けている。
「安全注入弁の電源を止める?!
そんなことをすれば、燃料がむき出しになり、酷い場合は溶融します。
膨大な放射能が放出されて、全国に影響を及ぼす大災害。
いや大惨事です。」 
「・・・・・・・・」
何か小声で会話する声がした後、武村は受話器を叩き切った。
 
振りむきざま、
「上田!原子炉手動停止!」
上田がアクリルカバーを開け、真っ赤なグリップを右に回した。
「制御棒挿入確認。」
すぐに出力が落ち始めた。
「出力75パーセント、60パーセント、 45パーセント・・・・。」
武村の指示が続く。
「A蒸気発生器、隔離。」
「山田と佐竹!現場確認!
弁不調の際は現場で増し締め!
2人で確認し合え!」
「はい、分かりました。」
「走れ!」
2号機には蒸気発生器が2台ある。
事故を起こした方を系統から切り離し、問題のないB蒸気発生器のみにし、そちらの系統を冷却に使用するという作戦である。
続いて。
「加圧器補助スプレー起動せよ!」
「伸ちゃん!
お前はこれだけを見ていろ。
問題が起きれば、即報告。返事は?」
「イエッサー!」
加圧器に設置されている補助スプレーで、冷却水を供給し一次系の温度を下げると共に水位の低下をできるだけ防ぐ措置である。

原子炉の手動停止を命じてからの武村の指示は流れるように見事であった。
上田は思った。
こういう場合、武村課長の見習うべき持論がある。
指示する相手の名前を呼ぶこと。
指示はできるだけ単純にすること。
現場に行かせること。
一郎さんが帰ってきた!
 
「出力0。 プラント温態停止。」
全員、ホッとした。
温態停止とは、プラントは無事停止したものの、原子炉格納容器内の温度と放射能濃度は高く、人間が入ることは出来ない状況。
冷態停止はそれが改善され、入ることが可能という意味である。
温態停止から冷態停止までは、時間を置くしか手がない。
しかし次の瞬間。
正確に言うと7秒後。
また警報が響いた。
『加圧器圧力低・水位低マッチング』 
ECCSが作動したのだ。
加圧器の圧力低下だけではECCSは作動しない。
しかしそれに加えて水位も下がっていることを確認すると、確実に一次系の冷却水が喪失していると判断し、注入弁を開けるというシーケンスである。
 
「間に合わなかった。」
中央制御室一同茫然と突っ立っていた。

いつの間にか引継ぎの時間をオーバーしており、夜勤勤務員や、何が起きたのかと集まった1号機担当者で、1・2号機中央制御室はごった返していた。

しばらくして、武村が、
「すまん。俺の判断が遅れたからだ。
みんなは良くやってくれた。
礼を言う。」
すると、今度は自宅にいる海野に電話した。
連絡が遅くなったことと、自分の判断ミスの詫びと、事故の次第を説明した。 
 
「復水器モニターのレベルは?」
「レベルよりも問題は上がり方です。
尋常ではありませんでした。
ピンホールとかではなく、何か物理的に引き裂かれたかのようなイメージでした。」
「放出レベルは?」
「各地のモニタリングポストの数値は上がっていませんし、発電所敷地境界でも基準値以下です。」
「原子炉の状態は?」
「温態停止です。冷態停止までは48時間かかります。」
 
「ECCSが動いたとなると、記者が色めき立つな。
今から山本に通報連絡の指示をしてから、そっちに向かう。
それと、武村。」
「はい。」
「おまえの判断ミスなんかではない。
プラントは設計通り作動して、設計通り、安全に停止したということだ。
元気をだせ。」

武村は涙を隠せなかった。

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