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中森明菜「Fin」

「Fin」
作詞:松本一起 作曲:佐藤健 編曲:佐藤準

1986年9月25日発売のシングル曲。

当時のヒット曲は、石井明美「CHA-CHA-CHA」、田原俊彦「あッ」、
菊池桃子「Say Yes!」、吉川晃司「すべてはこの夜に」、
チェッカーズ「NANA」、中山美穂「ツイてるねノッてるね」、
1986オメガトライブ「COSMIC LOVE」、安全地帯「Friend」、
BOØWY「B・BLUE」、荻野目洋子「六本木純情派」、
西村知美「わたし・ドリーミング」、渡辺美里「BELEIVE」、
南野陽子「接近(アプローチ)」、とんねるず「人情岬」、
福永恵規「ハートのIgnition」、河合その子「悲しい夜を止めて」、
渡辺満里奈 with おニャン子クラブ「深呼吸して」など
(改めて見ると、おニャン子ソロ勢いい曲もらってるなぁ)。

「ジプシー・クイーン」で大人の女性を演じた彼女が
本作で更にその方向性を深めていく。

本作のヒット時期は、次のアルバム「CRIMSON」の写真撮影のためにニューヨークを訪れる時期と重なる。
都会の女性をイメージした「CRIMSON」とコンセプトがかなり重なっている曲なので、計算ずくだったのか非常にソフトランディングなイメージ戦略だと思う。
(「CRIMSON」は近年のシティーポップブームで再評価を受けているらしい。そう考えると「Fin」もまた、中森明菜のシティーポップ作品として語れるのかも知れない。)

夜景の煌めきのような印象的なイントロから始まるミディアムチューン。
同年発売のアルバム「不思議」のアレンジを踏襲したような、浮揚感のあるサウンドアレンジ・コーラスとリバーブのかかったヴォーカルが印象的だ。

明菜の曲にしては派手なコンセプトがない曲だが、聴いているとそのアレンジに明確なフックがあることに気付く。
それは、規則的なリズムが曲を支配していること。

ふわっとしたメロディーの上にリズムを重ねる。
異なる音色であるリズムの数を、タイミングを少しずらせながら増えたり減ったりさせることで、この曲に緩急…つまり起承転結、盛り上がりを絶妙にコントロールしている。
そしてそのリズムの重ね合いが、これまたニューヨーク繁華街(つまり都会)の24時間、静寂の夜から日中の混雑までをイメージさせることに貢献していると、個人的には思う。

比較的リラックスした彼女のヴォーカルは、アルバム「不思議」で彼女が目指した「歌声もサウンドの一部」という思想と通じている。
そこに上述の異なる音色のリズムを組み合わせることによって、BGM的になりかねない曲にインパクトが加わっている。

特に派手ではないこの曲をなぜ僕が好きなのか、いままでは「なんとなく」「カッコいい曲だから」だったのだが、こういうギミックが僕のフックに引っかかっていたからなのだと、改めて気付かされた。

この曲のインパクトはもう一つ。曲のエンディングだ。
アウトロが極端に短く、スパンと潔く終わりを迎える点では「ミ・アモーレ (Meu amor e…)」「DESIRE」「I MISSED "THE SHOCK"」などと似ている。

だが何かが違う。なんだろう…曲の雰囲気、余韻が残るのはなぜなのか?

最後のサビを終えた後
「手でピストル真似て 涙をのむ私」とクールに2回繰り返す。
こういった構成はメジャーなものではない。
最大の盛り上がりを映画のエンディングと考えると、この繰り返しはエンドロール。まさにタイトル通り一つの物語を終える「Fin」を、この構成で成立させ、完結させているのだと思った。

この曲を歌番組で披露する彼女は、
特別な衣装ではなくハットと長めのロングコート。その中には様々な服を重ね着していた。
世間のファッションリーダーとなっていた彼女が、曲の衣装でも視聴者にファッション提案もしていた。
実際これを見て真似た女性も多かったようで…いや、今見てもこの着こなしは古臭くなく素直にお洒落だ。
その彼女がピンヒールで存外に激しく踊って歌うものだから、そりゃあ格好いいことこの上ないわけだ。
この歌い踊る姿の印象も相まって、一般的な「好きな曲ランキング」で下位のこの曲を、僕は大好きなのだと思う。


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