現実よりのフィクション
時々、生きるのが下手になるときがある。
上手な生き方というのもわからないが、とにもかくにも生き方が下手だと感じるときがある。
たとえば、職場の上司との会話が噛み合わない時、自分が噛み合わない原因なのではないかと考えてしまう時がある。
思い上がりも甚だしい。そんなものは相手にも原因があるし、そもそも噛み合う話を求められているわけではなかったかもしれない。
それでも自分が、自分のせいでと思うのはかなり思い上がっている。
自分もそうだが、相手のことを思って話す人はそう多くない。それなのに人の話を仏のように聞くのはいらぬ気遣いだろう。
誰もが自己中心的な考えのもと生きている。
世界はたしかに繋がっているけれど、その結びを感じ過ぎてしまうと自分を置き去りにしているような感覚に陥る。
ちっぽけな自分を重んじすぎるのは良くないけれど、軽すぎるのも良くない。あんばいが難しい。
我慢して生きるよりはある程度、こんなもんかと思いながら生きていくのがいい。期待するのは疲れる。疲れを快感に思えたらいいのだろうけれど、私には無理である。
青春よりは現実に目を向ける時期です。
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