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「ラッシュライフ」を読んで

やっぱり伊坂さんの作品が好きだなと改めて思った。

軽快でオチが見事で風変わりな登場人物も自分好みで、好きのフルコースな作家さんなのかもしれない。

色々な登場人物が現れて交わる話ではあるが、特に豊田さんと黒澤が好きだ。

無職でどん底を歩いていたが立ち直る豊田さんは自分みたいな冴えないやつを勇気づけてくれる。

そして、黒澤。

黒澤は空き巣を生業にしている泥棒だ。それなのに偉そうであるのだが、泥棒が偉そうにしていけないわけでもないので、その点はどうでもいいのだが。

この黒澤が達観していて、真理を吐くのが面白い。

例えば砂漠に白線を引いてその上を一歩も踏み外さないように怯えて歩いているだけなんだ。周りは砂漠だぜ、縦横無尽に歩けるのにラインを踏み外したら死んでしまうと思い込んでいる

みたいな真理を吐く。

本当にそうだよなと思わずにはいられない。

たとえば仕事なんて山ほどあるにも関わらず、今の仕事を辞めたらもう生きていけないとか思ってしまうことがある。今はコロナの影響もあり就職難であるが、白線を踏み外しても何とかなるんじゃないかと思う。今の仕事がダメでも何とかなるという心持ちでやっていかなければしんどいし、きっと心を病む。少し心の余裕を与えてくれるような黒澤の言葉だ。

ただ、その白線を踏み外したときの砂漠は人一人が歩んでいくにはあまりにも広すぎるではないか。広すぎて途方に暮れることもあるかもしれないし、先の見えない道ほどしんどいものはないと黒澤に言いたい。しんどいから、白線の上を歩く方がいいのではという意見もあるよと。その方がうんと楽だから。決められたことだけ、与えられた問題を解くために丸暗記する勉強みたいなものをする方が楽でいいじゃんかと。

しかし、それは白線の上が正しいときに限る。正しいことなんて、実は、きっと気付いているけれどない。各個人が見つけなければならないものだ。だから、決められた白線はない。自分で新たな白線を引いていくしかないのだ。人生は砂漠の中に数多引かれる白線なのかもしれない。それは真っ直ぐなものもあれば、いびつな曲線を描くものもあるかもしれない。しかし、それが全て間違っているとか正しいとかはないのだ。自分なりの白線を描き続けることが人生なのだ。そう黒澤は言いたいのだろう。

そして、黒澤はこんなことも言っている。

一生は日々の積み重ねだろ

なんてことはない当たり前のことだが、「一生」は小さな白線にもなりきれない点のつながりでもあるのだという。そうだ、遠くから眺めれば白線だが、人生なんてものは至近距離でみれば、線にもならない点なのだ。その線ではなく点を見つめる視点でいつも自分の人生を眺めている。振り返れば、私の人生も点が繋がって線になっているのだろう。そして、その白線が私そのものなのだ。その白線はきっといびつでちっとも真っ直ぐではない。でも、それが私ということだ。そして、いくつもの白線が私の線に交わっている。その線に私はどれだけ喜怒哀楽という感情を注いできたのだろうか。その数もさることながら、その白線の一つ一つがまた私の白線に色を与えてくれる。

「白線だから、何色にも染まるんだ」

と黒澤に言われた気がした。

ラッシュライフ ー豊潤な人生ー

これからも一生という白線を引き続けようと思う。

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