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七夕と梶の葉

7月に入り七夕を迎える。本来は旧暦7月7日の夜、織姫星と彦星が天の川を隔てて出会う日である。
日本の七夕伝説は彦星である「牽牛星(けんぎゅうせい)」とこと座の織姫星が天の川をはさんで出会うことができ、鵲(カササギ)が二人の間に橋をかけてくれるというものだ。
七夕の由来は中国の「乞巧奠(きこうでん)」からきている。乞巧奠は中国で古くから行われていた行事で、『荊楚歳時記』(南朝〔6世紀〕荊楚地方〔現在の湖北省・湖南省一帯〕の年中行事記)には、七月七日を牽牛・織女聚会の夜とし、女性達が針に五色の糸を通し庭に酒肴や瓜の実などを供えて裁縫の上達を願ったことが記されている。

日本に伝来したのは奈良時代と考えられており、万葉集にも牽牛星と織女星を描いた和歌が複数存在している。また平安時代には七夕は宮中行事となっており、有職故実辞典(六合館大正6年発刊)には「七月七日夜に行わるる儀式。宮中にても民家にても一般に之を行ふ」と書かれている。源氏物語四十一帖第三章では紫の上の一周忌の七夕に光源氏は「七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て別れの庭に露ぞおきそふ」と偲ぶ歌を梶の葉にしたためる場面がある。


扇面法華経冊子妙法蓮華経第1扇10歌枕梶の葉図(平安時代・四天王寺所蔵)

写真は四天王寺が所蔵している「扇面法華経冊子妙法蓮華経第1扇10歌枕梶の葉図」で机の上に巻子と硯があり、梶の葉がおかれていることから七夕の様子を描いたことが推測される。

七夕と梶の葉はどういう関係があるのか?
諸説あるが、梶の葉は古来から柏の葉と同様、神様への供物を乗せる食器として使われた神聖なものという位置付けのものであった。また葉の性質として繊毛の多いことで墨が乗ることから和歌などをそれに書き記していた。また紙の材料としても使われてきたのである。


あまのがは とわたるふねの かぢのはに おもふことをも かきつくるかな <上総乳母(かずさのうば) >

この歌は平安時代後期の後拾遺和歌集に収められているもので、梶の葉に想うことを書いて天の川に願いを届けたいということを歌っているが、この中で、天の川を渡る船の「舵」と「梶」が掛けられていることから、七夕に願い事をする風習はこの頃の宮中では一般的なものであったことが想像できる。また茶道でも裏千家には七夕の時期に開かれる茶会で「葉蓋点前」があり、普段使用する水指の蓋に梶の葉を使用する。そういったことから、日本の七夕と梶の葉は重要な関係にあるといって良いだろう。

今年も七夕がやってくる。例年では梅雨の真っ最中であるが、今年は梅雨が早く明けたことで晴天の七夕が期待できる。
梶の葉に願いをしたため、夜空の天の川を眺めてみてはいかがだろうか。

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