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私たちは『日常的時間』を常に求めている


こんにちは!あいでんです。

今回も与太話をしていこうと思います。

内容としてはとある本にコラムとして書いてあったことなのですが、個人的に面白いなあと思ったので少しだけ考えを膨らませて書いていこうと思います。


▷はじめに


今回の本はこちら↓↓

この本の内容自体はタイトルにもあるように「ケアとセラピー」を中心にいろんな物事について考えていくというものなのですが、物語風に進んでいくのでかなり読みやすいなという印象です。


「ケアとセラピー」についてはもちろん、ただ"いる"ことの難しさや重要さ、心と体のバランスetc...

トピックが実に多くあって語れり尽せりなので詳しい内容については別の機会に譲るとします(そんな機会があれば)。


▷時間についての覚書


今回の本題は「時間」についての話。
もっと言えば「日常的時間」「非日常的時間」についての話です。

それぞれがどういうものかを軽く定義しておくと前者が"いつもと変わらない時間"のことであり、後者は"いつもとは違う時間"のことです。


少しだけ著書内容に触れますが、著書内では現状維持を目指すものが「ケア」であり、何らかの変化を目指すものが「セラピー」としています。

ケアは円環的(渦巻きみたいな感じ)に時間が進むイメージで、セラピーは線的(電話線みたいな感じ)に時間が進むイメージです。

セラピーは変化を目指すと述べましたが、このような「日常→非日常→日常(改)」というプロセスを経ることになります。当然ながらケアは「日常→日常→日常」というプロセスですね。


▷日常と非日常


具体例をあげるとするならば前者は週一のドラえもん後者は映画版のドラえもん です。


週一のドラえもんはジャイヤンに何かされたり、スネ夫に何かされたり、はたまたのび太か欲求や不満を爆発させたり。

そういう些細なことは起こりますが、あくまでも日常の延長線上の出来事であり、それらは"いつもの日常"です。


一方で映画版は延長線上の出来事なんかではありません。

何気無い日常を過ごしているところから始まるのは一緒ですが、恐竜や魔物や魔法使いなどが来ることで非日常になり、せっせせっせと活躍することで何気ない日常を取り戻します。

それを経たのび太たちはひとまわりもふたまわりも成長したそんな姿を見せます。


▷非日常を求める私たち


多くの人が常日頃から、この夏休みなんかは特にいつもとは違う刺激=非日常を求めます。

もちろん楽しさや面白さを求めている側面もあるでしょう。刺激的な日々が楽しいことは間違いありませんから。


しかしながら、こういう見方もあります。

先ほどの話でもある通り、人は非日常を経ることで成長する。
それを本能的に知っているからこそ求めているのかもしれない。

「成長」という言葉を使うと少し仰々しく聞こえますが、新しい自分を求めているのではないか、という話です。


多くのものを齎してくれる非日常。

それを求めるのは当たり前なのかもしれません。


▷日常を求める私たち


日常は嫌だ、いつもと同じ日々は嫌だ、変わらない日々は嫌だ

そう感じている人は少なくないでしょう。


しかし、映画版ドラえもんの話を思い起こして欲しいのですが、作中でのび太たちは「日常に戻るため」に尽力します。願って手に入れたはずの日常を手放してまでも日常に帰ろうとするのです。

これは映画版ドラえもんに限った話ではないでしょう。

私たちも非日常を求めて旅行に行ったり、イベントに行ったり、遊びに行ったりします。しかし、そういう日々を繰り返すと多くの人が口を揃えてこう言うでしょう。

「家でゆっくりしたい」と。


これは実に奇妙ではありませんか。

私たちは非日常に足を踏み入れた瞬間から、いやもしかするとそれを意識し出した瞬間から、日常を盲目的に求めはじめるのです。

そう、ここでセラピーのプロセスの話を思い出して欲しいのですが、非日常のベースにあるものは日常であり、非日常の先にあるものは日常なのです。

我々は日常があるからこそ非日常を求め、日常に帰れる(帰りたい)と思うからこそ非日常を楽しめ(もがける)のです。


私たちは非日常を求めているようで常に新しい日常を求めているだけなのかもしれません。


▷最後に


今回はいつもとは方向性の違う与太話をしてみました。

最近はビジネス書しか読んでないので、いつもとは毛色の違う本を読むことは大事だなと改めて思いました。

何かオススメの本があれば教えていただきたいです。


今回の『居るのはつらいよ』という本はめちゃくちゃ面白いので誰か読んで欲しい。

「ただ、”いる”、だけ」ってことを許容されるのがどんなに素晴らしいことか(笑)。


いや〜、居るのはつらいよ。


最後に著書内の言葉を引用して終わりにします。

僕らは二つの時間を生きている。
一つは線的時間で、それは僕らに物語をもたらす。
もう一つは円環的時間で、それは僕らに日常をもたらす。
「線は人生に関わり、円は生活に関わる」
遠藤周作ならそう言うんじゃないかな。


それでは、また次回!

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