見出し画像

エンターテイメントの世界で

エンターテイメントの素晴らしさに何度も救われて生きてきた。息苦しい学生生活に夢を与えてくれたのはアイドル、音楽の素晴らしさとものづくりの尊さを教えてくれたのはロックバンド、つまらない日々に彩りを添えてくれたのは数々の展覧会やイベント。

自ら進路を選べなかった時代に明確な居場所を持てず悩んだことが「人を沢山集める場をつくりたい」という気持ちに繋がり、「好きなものを好きになってもらいたい」という気持ちと合わさって、エンタメをお届けする世界(とても広義ではあるけれど)に片足を突っ込んでいる。

楽しい気持ちを味わってもらうことで楽しくなりたい。沢山人が集まることに喜びを覚える。そんな私にとって人を集めてはいけないとされる状況は絶望的で苦しい。人命が第一なのは当然なのだが「娯楽」の存在意義を改めて考えてしまった。人を集めるほど褒められるのが通常なのだが、逆に怒られてしまいかねない日々が続く。命を守る為だと十分解っているし、誰のことも殺したくはない。

現場のあるものだけがエンタメではないのだけど、自分にとっては現場が一番の醍醐味なのだと書き出してから気付かされる。

自粛を余儀なくされる中、「エンタメなんか不要不急だ」とされる世の中を辛く感じた。一方で「そういうものが無いと精神的に死んでしまう」的主張は、とてもよく解る反面、対抗馬としては弱いと思っていた。興行ができなければ収入を得られず倒れるしか無く、そういった意味で不要不急ではないと感じていたから。扶養は不休ではないのだ。

今も自治体により外出自粛要請などは解かれ始めているが、緊急事態宣言の解除後、すこしずつエンタメは復活していくだろう。それでも急に(或いは永遠に)元通りにはならない。映画の新作を予定通りの回数かけきることは難しいだろうし、ドラマなども1クール以上後ろ倒しになっていくのだろう。音源を出してもインストアイベントやライブは制限される。

どんなに配信技術が進んでもライブや舞台の熱量を感じきることはできない。「生」の醍醐味は現場でしか体験し得ない。ライブなら安くはないチケット代を払い、位置に一喜一憂し、普段の5倍の値段で水のペットボトルを買う。耳へとダイレクトに伝わる爆音、演者の息遣い、日毎テンションも言葉も変化し得るMC。隣の人とのぶつかり合い、体温、熱気。顔を見合わせ笑う、同じタイミングで涙する、同行者だけでなく時には知らない人とも仲良くなる。

自宅で座って観れるのも素晴らしいけど、狭いライブハウスで腕を振り上げて踊ったり、或いはドームでペンライトとうちわを振ってきゃーきゃー言ったりするのが現場の醍醐味。よく見えなくても目が合わなくても、同じ空間を共有しているのを愛おしく想っていたのだと、改めて感じる。

画面越しには伝わらない熱量がどんな現場にもある。ライブや舞台だけではなく、展覧会もトークイベントも、映画館の大きなスクリーンで観る映画だってそうだ。


神妙な顔で「おうちにいましょう」「ステイホーム」、大切なんだけど日々見せられては気が滅入りそうになる。親の「宿題はやくやりなさい」と似た原理。頭では解っているけど心に摩擦が生じ始める。

ただ、元通りを望むより、新しい生き方を構築する方へ気持ちは傾いている。どんな風に楽しんでもらえるか。どんな風に受け取っていけるか。考え方を変え、提供する側とされる側、両方の視点でエンタメと付き合っていかなくては、と思い始めている。過渡期の今しか出来ないことが、新しい未来を創るのだと信じて。

会いに来てねと言えないなら、ここに居るよと伝わって欲しい。

Life goes on.
Show must go on!


◆秋さんの企画 #2020年5月の創作 へ投稿します。



愛を込めた文章を書く為の活動費に充てさせていただきます。ライブや旅に行ったり、素敵な映画を観たり、美味しい珈琲豆やお菓子を買ったり。記事へのスキ(ハートマーク)はログインしなくても押せますので、そちらも是非。