『銀の夜』を読んで
角田光代さんの『銀の夜』(光文社文庫)読了。
今回のnoteは久しぶりの読書感想文です。感じたこと、印象に残ったことを、つらつらと書き残していきます。
30代
『銀の夜』は、3人の30代半ばの女性たちを巡る物語。
仕事もプライベートも一人一人の生活が大きく枝分かれしていく30代特有の憂いや迷いが描かれていて、共感できる部分が多々あった。
女として、妻として、娘として、母として、会社員として、フリーランスとして、パートとして、主婦としてetc…。
10代や20代の頃の何者かになることへの淡い期待はいつの間にか消え去り、今現在の肩書きや属性で急にがちがちにカテゴライズされ、身動きがとりにくく感じ始めたのは、確かに30代になってからかもしれない。
そして、自分をカテゴライズしているのは社会や他人だけじゃなく、自分自身も自分を何かに分類してしまっているなぁと、登場人物たちの感情をなぞっていて、ふと気がつく。よくない癖だ。
(そういえば一昨年にそんな歌詞の曲が流行りましたね)
学生の頃と違って日常的に共有しているものが減り、各々異なる悩みを抱えている分、かつては誰よりも分かり合い親しかったような友人同士で会っても、なんとなく相手の気分を害さないように探るように気を遣い合って会話する様が、妙にリアルだった。
私にも、そういう友人がいる。中には今も昔も驚くほど気が合って、価値観も似ていると感じる人もいるけれど、そういうケースはかなり稀で、「こんなにも性格もモノの考え方も違うのに、どうして学生時代あんなに長い時間を共にしていたのだろう?今も関係が続いているのだろう?」と不思議に思う友人も多い。
3人の様子を客観的に見ていたら、とても滑稽に思える。妙な気を遣い、理解に苦しんで時に苛立ち、違和感を感じる相手とも、付き合いを続ける意味は?と思うのに。
それでも、ある特別な過去の時間を共有した存在を求めたり、その存在に救われたりする瞬間があることも、なんとなくわかる。
こういうの、30代女性のあるあるなのだろうか?
それぞれの道
ただ、この物語の本質的なテーマは、年齢や性別関係ない話なのでは、と読み終わった今では思う。
結局は、一人の人として何を選択してどう生きるか、を問うているのではないかと。
多くの人が、それぞれ言葉に直せない絡み合った感情を抱えていて、その一つ一つとの正しい向き合い方なんて誰もわからないまま生きていること。
たとえ他人の感情に寄り添おうと努めても、育った環境、過去の経験、現在の暮らしの違いから、完全に同じ感情を自分の内側に再現するのは不可能で、どこまで行っても私は私でしかなく、あなたはあなたでしかなく、それぞれの道をひとり歩いていること。
同じ場所や時間を共有しても、見えてる景色も感じることも考えることも皆違うこと。それがどんなに親しい者同士だとしても。
これらは別に良い悪いの話でなく、どうしようもない事実だな、と思った。
それに、だからこそ、私は時折他者との間に僅かでも自分と重なる部分を見つけた瞬間に震えるほど嬉しく思うのだ、多分。
そんな風に人が皆それぞれ違う道を歩いている事実と、その異なる道が時折交わることがある奇跡、どちらも尊いことだよね。
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物語の最後の3人それぞれのそれぞれらしい選択に、私も背中を押されるような気がした。
大丈夫だ、私は私の道を歩いていこう。
そんなことを思わせてくれる、すっきりとした読後感。
2024.02.25