絶対悪という存在
「カード」とかけまして、
「1マスだけ前に進める」と解きます。
その心は、ふだ。
#札
#歩だ
#将棋
「ナチスカード」という言葉があるそうです。
1990年に弁護士ゴドウィンという人が唱えた、
という法則があり、議論が白熱してくると、ヒトラーやナチスあるいはその行為が持ち出されることが多くなることを言っています。
ヒトラーとの関連付けには根拠もなく、誇張し、不適切に相手を貶めようとするときに持ち出されることがほとんどで、欧米では「ナチスカードを切る」という言い回しをすることもあるようです。
そしてネット上の議論で「ナチスカード」が切られたら、その瞬間に議論は停止となり、カードを切った側を負けとするものもあるということです。
それだけ欧米ではヒトラーは「絶対悪」であり、これと安易に類比なされるべきではないという警鐘としてゴドウィンが提唱したのがこの法則なのです。
日本でも、大義名分のもとに相手をラベリングして、攻撃する人は多いです。
そして、いつまでも平行線で、終結することのない議論になってしまうことが多いです。
「ナチスカード」という絶対悪が存在しないからかもしれません。
絶対悪とか言いながらも泥沼化しそうな議論を終わらせるカードがあることが、議論をする上での大前提になっており、その制限があることで議論が成り立ち、実のある議論ができるのかもしれません。
日本人の議論下手はこういうところからも来ているのではないかとも考えてしまいました。
絶対悪という存在は必要なものなのか、という哲学的な命題にもなりそうです。
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