見出し画像

母なるもの、から世界をみなおす。

母なるものを起点にした思考が、社会批評になり得る可能性を感じさせてくれるものだった。

マザリング -現代の母なる場所-  中村佑子


今、マザリングという本を読んでいる。




母なるもの、意識したときってあるだろうか?



これまで世界では、優しい、とか、自己犠牲、とか。そういった「ステレオタイプな母性」が語られてきた。けれど、この本で言及されている「母性」は違う。


人が「母になるプロセス」で感じた感覚は、もっともっと語られていない何かがある。そのことに真摯に向き合った著者のプロセスが描かれているのがマザリングだ。


そして、母性は女性だけのことを指してるんじゃない。


介護研究家の三好春樹は、「介護的人間」の誕生という文章の中で、「なんとかしなきゃ」「という「健全な倫理主義」が介護の現場にあふれていることを指摘する。就職で介護業界に入ってくる若者には「なんとかしなきゃ」という偽らざる思いがある。それを三好は「母性」をその根拠としたい、と書いていた。彼が監修した「実用介護辞典」にはこう記述がある。
母性【ぼせい】/弱い立場の人、困っている人を目の前にするとなんとかしてあげたいともう、人間が本来持っている性質のこと。(略)介護の世界では、女性にかぎらず広く定義するほうがよい。(略)母性をこのようにとらえると、専門知識や技術は「母性をより適切に発揮するための手段」といえるだろう。」

マザリング -現代の母なる場所-  中村佑子


マザリングとは「子どもやその他の人々をケアし守る行為。」性別を超える話だ。



介護の世界で当たり前にある感覚らしい。けど、中村さんが伝えようとする感覚や本に登場する人たちが感じた感覚や考え方、ステレオタイプじゃない「母なるもの」には、今の時代に必要ものの根底になり得る、いや、そもそもの源泉なんじゃないかとひしひしと感じている。


おそらく、母なるものは、教育、介護、福祉、子供のことなど、資本主義とか合理とは違う方向にある領域の人が触れることが多いように思える。けど、世界では、全然ではまだまだ表出していないのではないだろうか。母なるものに基づいたシステムが世界のメインストリームを回していないようにも感じる。



とある人はまたフェミニズムか、とか。とある人は男性優位を批判したいか、とか。いろんなことをいいそうだけど、もちろんそんな側面もあるかもしれない。けど、もっともっと枠組みにとらわれない大切なことがある気がしてならない。もっとナラティブに、世界の中で語られるべきテーマなんじゃないか、と。



母なるものから始まる「何か」
けど、もしかしたら世界はまだその取っ掛かりを知らないのかもとも思う。中村さんはじめ、様々な人がその深淵に触れようとしている。自分自身ももっと言葉にすることで、輪郭を浮かべることができたらと考えてnoteを書いている。




正直、今この時点で自分が考えていることを、一体どの領域で語ればいいのか、わからない。文脈もわからないし、間違ったこともあるかしれない。そのところを了承してながら読んでほしい。そして、むしろご教示いただけたら嬉しい。


サステナビリティとリーダーシップで見つけたもの


さて、そもそもの着想は、スウェーデンでの学問からである。サステナビリティとリーダーシップの領域だ。


知れば知るほど、「やさしい」学問だと感じる。なぜなのか。そもそも、どういった学問なのか大きな説明はこちらを参照していただきたい。




この領域のおいて、サステナビリティを扱うリーダーの資質は4つあるといわれている。


1 :世界をシステムとして捉えること。
(システム思考やシステムアプローチ)
2:参加型のプロセスを組むこと
3:イノベーティブであること
4:個人の内面を鍛えること



一つ一つ説明していくと長くなってしまうので細かくは割愛する。
要は、複雑化した課題を還元主義的なアプローチでのぞむと、解決が新たな課題を作る。もっと全体像(システム)を捉えることが必要で、全体を捉えるには、参加型のプロセスを組んで多種多様な視点を確保して全体像をつかむ場が必要。そして、システムを調整し、全体を見ながらソリューションを出していくのは、結局はイノベーティブであるっていうこと。ざっくりすぎだが。

では、なぜ個人の内面を鍛えるのか。それはこちらのブログでも説明したとおり。


端的にいうと、人は気づけないことに気づけない。気づけないことから離れるために内面を鍛える。仏教的にいえば、執着や囚われから離れる。そして、本質をみるっていったところだろう。


セルフアウェアネスという言葉も近いことかもしれない。「気づき力」が高いと組織でのパフォーマンスも、結果も出るし、リスクも避けられるというデータもある。(ソースはインサイトから。)


世界をシステムとして捉える眼鏡をかけたときに表出するやさしさ


この4つの資質を存分に発揮するには「やさしさ」がキーになる。もしかしたら、やさしいという言葉を使わなくても、相手を思いやること、ケアすること、なんかといいかえてもいいかもしれない。そういうえば、やさしさにもステレオタイプの優しさがあるが、ここでは言及しない。



もっと丁寧に伝える。



システム思考は、世界をシステムとして捉える見方だ。自分が持っている見方から離れて、全体像を捉えようとしないといけない。ここに大変なむずかしさがある。人間の脳は、自分が見たいものを見るようになっているし、誰だって自分の視点があってると思いたい。そして、自分の立場が大事だ。そんな中で、自分の視点を一度置いておかなければならない。



いろんな視点をえるために、いろんなステイクホルダーの立場になって考える必要がある。そして、参加型プロセスをリーダーの資質としているように、多種多様な立場から物事をとらえなす機会がある。このとらえなおしの機会は、利他的じゃないとむずかしい。いろんな視点を思いやらないとむずかしい。相手をケアしないとすごくすごく、本当にむずかしい



相手を思いやるという行為自体が心理的安全に繋がるし、心理的安全があると、本質的な課題発見にも繋がる。ここら辺は上記noteでのGoogleとピクサーの例でも述べている。



相手を思いやって話をきくためには、自分自身も開示していかなければ相手も開示しない。そんなエッジに立つ機会もある。




相手も思いやる、自分自身も省みる
このとらえなおしにまつわる全ての機会において、人間を動かすOSが「優しさ」そして、「母なるもの」に近いような気がするのだ。ここに「母なるもの」と「サステナビリティ」の交差がある、、、


還元主義の暴走



リーダーシップを発揮するための前提条件として「やさしさ」みたいなものがサステナビリティにはある。この状態が「母なるもの」に近いように感じる。課題発見とか心理的安全っていう言葉を使うと矮小化されているのも否めないが。


ここから自分の考えを飛躍させる。


前にも紹介した氷山モデルを覚えているだろうか。エドガーシャインが組織開発の文脈で提示したものである。ちなみにシステム思考でもよく出てくる考え方です。


NEWSPICK  EDUCATIONさんから拝借してます。。。


世の中に表出している出来事は 「氷山の一角」に過ぎず、その奥には、問題を引き起こす「パターン」、パターンを生み出す「構造」、さらにその構造の前提にある「意識・無意識の前提」が隠れていると考える。

この氷山の一番したにある部分が、意識・無意識の前提だったり、メンタルモデルだったり、worldviewだったりするんですけど、私なりの言い方としては「認知している世界で、何が世界に溢れているのか」と考えている。


サステナビリティ領域だと氷山の一番下の部分がデカルトの還元主義だと考えているように感じる。さて、前にもこのnoteで還元主義のイメージを載せたが、よく見てほしい。

全体論と還元主義をつかむリスト


還元主義にもとづくイメージを「父性」と結びつけてしまうのは早計だろうか。家長父性のように「コントロールする、マネジメントする」のように強さや合理が優先するような世界観がないだろうか。


デカルトの還元主義はサイエンス、資本主義、家長父性との相性が抜群で、この根本から世界の出来事って起きてることが多くないか。そのこと自体は悪くないはずなのだが、どうにもこうにも行き過ぎてはいないか。


自殺、パワハラ、モラハラ、うつ病、これからの未来に期待をしない若者、、、人間を機械として見てコントロールしてきた結果ではないだろうか。もちろん、全部が悪いわけじゃない。側面が行きすぎてる感じ。


この状況は、母なるものが足りてない。
そんな気がするんだ。


自分にとしては「父性にもとづいて今のシステムが作られて、ダメなところが出ている。それなら、違うOSで動かないとダメなんじゃないかな」って感じている。これって右肩上がりには父性OSがあってる。だけど、成熟社会には母性OSがあってるんじゃないかっていう仮説を考えている。



ケア理論から組織開発を見つめ直す



こんな人もいる。
Art Educatorの臼井さん、組織開発とフェミニズムの結節点を考えたい、と。自分はこのエントリーを読んだときに、この世界観も近い〜〜とも感じた。


組織開発の分野が男性(白人)に基づいたものだけを参照にしていいのだろうか、という問いから組織開発とフェミニズムの結節点を考えようとしている臼井さん。もちろん世界の中でのSDGsの流れやダイバーシティ・インクルージョンなどの潮流もある。


母なるものが垣間見えるエトセトラ




以下のエントリーと母なるものをつなげるには早計か感じもあるが、どこか側面を語ってくれているところもある。そういえば、GLAYのTAKUROもリーダーシップについて話をしているが、この感じも近いような気がする。「リーダーって顕微鏡で見たら泣いてるよ。」


ビレネーブラウンもvulnerabilityの力に言及してる。




朝日新聞社のGLOBEでも、株式会社武蔵野の記事が目に止まった。1日36万円の研修に人が殺到している。三日で108万円。(webのニュースは2016年のもの。)そんな武蔵野で人気の研修がもう一つある。なんと300人待ち。経営幹部層向けに行う合宿形式の1日目にする研修が「自己開示」。たっぷりの時間をかける。自分と対面する習慣をつけ、自分が変わることがキーらしい。


プロジェクトマネジメント界隈でも感情だったり、非合理的なものまで含めるっていいはじめてる。


差別や人権やジェンダーだって。


もうね、福祉や介護や教育とか、見えやすい界隈だけじゃない。みんなね、「母なるもの」の大切さをわかってる、、、はずだよね!



いろんな領域で、様々な文脈で、母なるものは出てくる。マザリングで中村さんも途中でいってるが、論考なのか、願いなのか、主張なのか、なんだか本当にわからないといってる部分があった。その通り。世界の中にとっかかりがない気がする。ケア理論、フェミニズム、、、何の領域で、何の文脈でどう語ったいいのかまだ全然わからない。わかる人がいたらぜひ教えてほしい。


わからないのに、かかわりたい。



これからの自分の立ち位置は、最初のnoteに書いた通りだ。本当に、一人の一人の可能性がひらいて、生き生きとしてほしい。その結果、サステナビリティにだって向かってくだろうし、well-beingな世界にも向かうはず。



その中で、自分のミッションは「人がひらくために、ノックみたいな存在である。」っていうこと。目の前でできていることは、ワークショップやファシリテーション、1on1だったりするけど、もっと大きな仕組みも作って行ってみたいし、もっとできることある。


自分にとって人がひらく瞬間って対話の中にあると思っていて。ひらきやすいテーマだったりってある。それが「まだ語られていないこと」なんじゃないか。

ジェンダー、LGBTQ、性、宗教、政治、など今でこそ萌芽があるテーマだけれど、これまでタブーだったり、そういうもんだろうと片付けられていた領域の中にすごい量のストーリーがある気がしてならない。そして、母なるものは、まだ語られていないことのどこにでも横たわっているはずだ。


ストーリーが語られるときの本気度、温度感、切実さ、人間さ、、、全部が愛しく感じる。ここに可能性を感じる。だからかかわりたい。自分のミッションとも重なる。


ストーリーが世に出ること、世に出て、めいめいが考えることが世界の前身に繋がると思うのだ。考えるべきは、父性にもとづいたものじゃない。母なるものにまつわることなんじゃないだろうか!


これから読みたい〜!という参考図書

臼井さんも本を紹介しているので、関心ある方はそちらも参考にしてほしい。あと、今見えているところから、介護関係者や福祉関係の人にこのエントリーを読んで、こういう本がいいかもというのも教えてほしいです。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?