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人生いろは 『わ』         わがまま大好きで和合する人生


私はわがままな人が好きです。ずっと若いころから好きでした。 自分の希望、気持ちを正直に他の人の顔色を見ないで表現できる人が羨ましく思っていました。我儘って自分勝手、自分中心で良いイメージないですよね。 でも、私はちょっと違う解釈をしていたような気がします。

人は皆、自分と他の対比で暮らしています。 自分の望むことが他と異なる事ってたくさんありますよね。 それを、我慢するのか自分を通すのか、選択が必要になります。 社会(コミュニティ)では、人と合わせ協調的で従順な人が好まれます。 正直言ってその方があつかいやすく簡単ですよね。
でも、いつも他と同調できるとは限らないです。異なることを欲したり、違う意見、アイデアを持ったりすることってたくさんあります。 それが、どこから来たのか、どのくらい自分にとって大切なのかが大事だと思うんです。 

どこから来たという意味は、それが嫉妬、羨みからきている時。それを誇示するのは、自分にとっても他の人にとっても全然意味のない事なんです。 なぜなら、自分の本当の欲望ではないから。 でも、その時はとても大事な事のように思えます。錯覚なんです。 だから、我儘を通して自分を誇示して、自分勝手な人だと思われるのは本当に無駄なエネルギーだと思うんです。

私が好きなのは、我儘に自分の欲を表現してくれると、その人の心の奥を憶測しなくてもいいから。 時々、それが私の心の奥にある物と同じで、自分は抑え我慢していたことで、表現してくれて気持ちいいと言う事が沢山あるから。

大切なことはは心の奥の希望をどう表現するかだと思うんです。 それを、我儘ととられるのか、違う意見と取られるのかは、相手の感情の位置によるし、我慢してずっと心に引きずるより、表現して一時的な対立をもたらしてもいいんじゃないかと。 

日本の社会では我慢は美徳と教えられてきましたが、我慢は時に傲慢だと思っている今日この頃です。 独りよがりの我慢は自己満足にしかすぎず、また、必要な対立を避けて、美徳に隠れているだけじゃないのかなと。 正直に我慢せず、我儘と拒否されないように自己表現する方法を身に付けていくのが人生を楽しくする方法じゃないのかなと思います。

また、人の我儘を受け入れる習慣ができると素敵なんじゃないかな。 相手の願いや要求を聞いてその通りにするのが受け入れるの定義です。 まず、耳を貸すこと、そして理解すること、そして、どうしたらその希望を実現できるか話し合う事。 もちろん、出来ないこともあると思います。 その時できなくても、時間がたてば実現することもあるでしょう。 どうしてなのか、お互いが理解すれば対立、羨み、妬みがなくなるんじゃないでしょうか。 そして、素敵な和合が生まれてくるんです。 

人は、誰もが皆ちっぽけで、弱くて、狡くて、脆くて、怠け者で、傲慢で、ときに卑屈で、わがままで、身の程知らずで、驕り高ぶり、嫉妬深く、自己中心的で、ひとりよがりで、愚かで、無力で不完全。 そして何よりも、皆、孤独。 
 
上手に我儘を表現して、そして、人の我儘を受け入れて、和合のある素敵な人生を重ねていきたいと思うこの頃です。

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