見出し画像

『キングダム』で有名な始皇帝、最大悪事!?焚書坑儒

こんにちは。
ケイジ4世の久しぶり!
『歴史大好き』のターンです

秦の始皇帝がやらかした
『焚書坑儒』について続きをお話しします。

▼前回の続編となります


封建制▶️郡県制

始皇帝は統一してから、各地の統治体制を一新させることをしています。

それまでの周王朝では各地、各国は封建制が採用されていて、各地に候や王を置き、それらに統治させていました。

しかし、秦は孝公の時代に法家である商鞅によって提言された郡県制が敷かれていました。

これが郡県制の始まりと言えるようです

同じく法家である丞相(じょうしょう)李斯(りし)が提言した郡県制を採用しており、秦が統一したことにより、中国全土に郡県制を適応させました。

郡県制は封建制に対し、皇帝=統治者は1人という中央集権国家が基本的な考え方。
そのため、各地には中央から王の任命する官吏を派遣して統治しています。


悪事その1『焚書』

始皇帝によって行われた悪事として、私はまず『焚書(ふんしよ)』が挙げられると思います。

ことのきっかけは始皇帝34年に博士淳于越(じゅんうえつ)が郡県制ではなく、封建制に戻すという内容のことを提言しました。

それに対し、郡県制を推し進めていた李斯は猛反発をし、儒者達がいにしえによって体制を批判し、弾圧を建議しました。

それまで、方士や儒者によって苦い経験があった始皇帝は、この意見を容れて、医薬・卜筮・農事以外の書物の所有を禁じた『挟書律(きょうしょりつ)』を制定しました。

それにより、歴史書や書経、諸子百家の書物などが悉く焼却されました。

戦国時代以前の書物が著しく少ないのはこのためです。

歴史を知ることはとても重要で物事の起源を知ること。
同じ過ちを繰り返さないこと。
事例や事象の検証などなど。

それらをないものにした始皇帝の罪の大きさは計り知れないと私は考えます。


悪事その2『坑儒』

前回、始皇帝の『不老不死に対する執着』についてお話ししましたが、その後もその行動は止まることはありません。

そこに盧生(ろせい)と侯生(こうせい)という2人の方士が現れます。
2人に対し巨額の資金を出して仙薬作り(探すように言ったとも)を行わせていました。
しかし当然そのような薬が実現できようはずもなく2人は逃亡しました。
2人は始皇帝を中傷し、逃亡したそうです。

前にご紹介した徐福(じょふく)が、やはり巨額の資金や貢物、召使いなどを連れて逃亡したこともありました。

そこに来てまた、始皇帝は騙されてしまったことになります。
それまでも幾度となく方士やら儒者やら不確かな情報を売り込みにくる輩はいたようで、その度に無駄に終わっていた。という経緯があるようです。

今回の盧生と侯生の2人によって始皇帝は大激怒することとなり、その時都があった『咸陽(かんよう)』付近にいた方士や儒者など、460人を生き埋めにした。というのが『坑儒』です。

今でいうところの西安(せいあん)市、三国志の頃は長安(ちょうあん)と呼ばれています

『坑』は生き埋めにするということをさし、『儒』は儒者をさすようです。

それまでも、方士や儒者による甘言などはあったとは思います。彼らはもしかするとわざわざ騙していたわけでは無いかもしれません。

始皇帝のあまりに執拗な問いや命令に苦し紛れに言わざるを得ない状況もあったのでは無いかと推察します。

また、始皇帝は基本的には人間不信の塊のようは人だったとされていることから、「なぜそこは信じた?」という疑問が湧いてなりません。


まとめ

今でも昔でも、情報が大切なのは間違いありません。情報として確かなもの、不確かなもの、それぞれあるでしょう。

それは色々な情報から『おそらくこうだろう』という比較的確かな書物をまとめていくことで、真実に近づいていくわけだし、そこからの情報量は計り知れないとことと思います。

なので、『焚書坑儒』はその情報を記録と語部の両方を世の中から排除するということの重大時を最大悪事として私は取り上げました。

この時代に情報がいきなりなくなったらどうなるのでしょうか?

考えただけでゾッとします。

正しい情報を集め、理論を構築し正しく扱うこと

大切だと思います。


ではまた。

久しぶりに歴史の内容に触れると楽しいですね。
また、お話ししたいと思います。
良かったら他の記事も見てみてください。

この記事が参加している募集

私の作品紹介

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?