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「自分を極めることが人生の質を決めている」と府落ちするまでが長かった私。

はじめまして。
横浜生まれ、横浜育ちのハマッ子、けいこと申します。


現在は
大人女子のココロとカラダの疲労回復サロン
・リハビリ中心のデイサービスでの運動指導
・5つ星ホテルのスパで繁忙期のみ勤務
・・女性の健康づくりに関するセミナーや講座の開催
などを行っています。


昔からからだを動かすのが大好きで、靴を買ってもすぐボロボロになる‼‼と両親を驚かせていました(笑)


走ることが全て。

小学校で陸上クラブに入ってから、私の生活はとにかく走ること中心。
リトミックで始めたピアノもしばらく続けていましたが、クラブの練習でくたくたになってから習いに行くのはとても辛くて、何度も寝たふりをしてズル休みしたのはココだけの話(笑)

高校も体育コース、大学も体育大学に進学し
身体のこと、スポーツのこと、健康のことをたくさん学んできました。


いつも拗ねていた学生時代

私は3人兄妹の末っ子。
上の2人はすぐ風邪をひいたり怪我をしたり。常に母の関心は2人にあって、健康でとても活発だった私は「私まで心配をかけて母を困らせてはいけない」「いい子でいないといけない。」という思いが強く育ちました。自己肯定感もとても低かったです。

当時、人から認められたり、注目されたり、褒められたりすることと言えば
「足が速いこと」と「痩せていること」のみ。

どんなに大きな大会に出場しても、入賞して何枚も賞状をもらって帰ってきても親から褒めてもらった記憶はなく・・・(きっと褒めていてくれたんだと思うのですが、全く記憶にないほど褒められていることを拒否していたんだと思います。)

「私は存在する価値があるのだろうか」「私って何のために生きているんだろうか」そんなことを小学生から考えていて、「きっと私が死んでも誰も悲しまないんだろうな」そんな言葉が浮かんできては一人で密かに泣いていたことを思い出します。


今となっては受け取るのが下手で、【いい子でいなくちゃ】という想いの強かった子なんだなって自分のことを客観的に理解することができる。

母は愛情を注いでくれていたのに、それを受け取れる器がなかった。受け取るのを自ら拒否して自分を不幸にしていたのだけれど、そんなことにはこの年では到底気づくことはできなかった。

「あれ食べたい」「あれが欲しい」そんな事すら【親を困らせるから】と思って言えなかった。

いい子でいたいからいつも我慢をしている。、だからいつもなんとなく不機嫌な私。それを見て親は不機嫌な私を注意する。完全な悪循環なんだけど、当時はそうすることで精一杯自分を守って生きていたんだと思う。


唯一の感情表現だったピアノ。

どこにも出せない想いはすべてピアノにぶちまけていた。
親のことを想って、困らせてはいけないと想って我慢しているのに分かってもらえない。伝えないから分かってもらえないのは当然なんだけど、当時はそんなことなんてみじんも浮かばない。溜まったフラストレーションはストレートにピアノへぶつける日々。

とても荒々しくそして激しく、気が済むまでエネルギーを発散し続ける。
その時間は唯一本当の自分の想いを表現できるとても貴重な時間だった。穏やかな自分へ戻るために、荒々しく尖ったエネルギーをただただひたすらにピアノに向かって放ち続ける必要があった。それは時に3時間以上も続くこともあった。

ある程度エネルギーが発散できてくると、音色に優しさが出てくるんです。その変化を感じると自分でも安心できていたな。

私にとってピアノは自分を素直に表現できるもの。
荒々しく醜い感情もありありとピアノなら表現できる。そこへ気が付く人は少ない。少なくとも、家族は誰一人気が付かなかった。だからこそ、気を許して心のままに身をゆだねて表現することが出来たのだと思う。

そんなこともあり、私は音から伝わるメッセージにとっても敏感。その人が【どんな心境なのか】出している音から伝わってしまう。「音」といってもピアノとかギターとかの演奏だけではなくて、声の発し方、ドアの閉め方、コップの置き方といった物の扱い方もそうだし、歩くスピードも風というエネルギーとして感じる。

日本人は【空気を読む】ことが比較的得意だけど、音は【周波数】であり、周波数は波動や振動が単位時間あたりに繰り返される回数のこと。物が動くとエネルギーが生まれるけど、その物が動いた時の空気がどんな振動数に変化しているのかを感じとっていると私は理解している。

人間の耳で聞こえない周波数も空気が振動していることには変わりなく、それを感じるかどうかってことなんだと思うんですよね。

のちに身体心理学を深めていって、この辺りのことがちゃんと腑に落ちるように理解できて感動しました。そのうち記事にできたらいいなと思っています。


摂食障害、無月経のアスリートだった思春期

「痩せていること」「走ること」でしか他人から注目してもらえない私は、いわゆる「いい子」でいるために自分の想いを押し殺していたストレスは私の歪んだ心に拍車をかけていきました。

「速くなりたい」「優勝したい」「もっと上の大会に出たい」
陸上部の強い高校へ進学した私。そこそこ足の速かった私は、入学前の春休みから練習に参加させていただき、インターハイ出場する3年の先輩方とリレーのチームを組みました。そんな自分のことを誇らしくも思っていました。

夏休みも冬休みも、お正月もそんなものは存在しない。私の生活は「走ること」が中心でドラマやお笑いといったテレビも興味がないし、友達と遊びに行くことも稀。【3日休んだらただの人】という先生の教えを守り、完全休養する日はなく、部活が休みの日も一人で軽いジョギングをしてからだをほぐし、いわゆる「積極的休養(=疲労回復を早める目的で軽い運動やストレッチを行う休養法)」の日に当てていました。

公立高校でしたが、学区外の高校へ進学したため全く知らない人たちばかりの環境。もともと社交性のない私は上手く友達も作れず、テレビも興味なかったから話題にもついていけず、、、そのことも「走る」「痩せている」ということへ異常に執着することへ繋がっていったのだと思います。

当然のことながら速く走るためにはしっかりと食べなくてはいけない。でも私は食がもともと細くて胃腸も丈夫ではない。


食べなくてはいけないのに「食べれない」
食べたいけど「食べれない」し「食べたくない」

そんな矛盾だらけの心とカラダ。


足りないカロリーを身体が欲して、お菓子をバカ食いすることが周期的にあった。
家族にはなるべくバレないように、暗闇でお菓子の缶を抱えながらそれこそ無心にバカ食いする。

一通り食べて、お腹がはち切れそうになると「ハッ」と我に返る。そしてお決まりの自己嫌悪。拒食→過食を繰り返す。私にとって嘔吐することはなぜか一番の恐怖だったから、幸いというべきなのか分からないけれど、食べすぎを取り戻そうと嘔吐すること(過食嘔吐)はなかった。ただ、胃薬は欠かせなくてお守りのようにいつも持ち歩いていた。

私は私を保つためには「痩せている自分」、「足の速い自分」が不可欠で、そこへの執着はストレスが増すごとにより凄まじくなっていくばかりだった。徐々に自意識過剰になっていき、電車に乗るといつも見られているようでとても嫌だった。私を見て何か言っているようでいつもイライラしていたのを思い出します。


部活の合宿は酸素の薄い高地トレーニング。


インターハイに出場する選手は調整時期となる合宿だけど、出れない組は過酷な朝練、昼練、夕練が待ち受けており、私は毎日泣きながら練習をこなしてた。練習が辛すぎて、涙が出てきたのか、辛い練習を達成できたから涙がでてきたのか当時はよくわからないけれど、その日の練習をやり切った安心感からの涙だったのかもしれないな、と今となっては思う。

昼食前の昼練を終えると膝がガクガク笑って階段なんてまともに降りられない状態。そんな状態で合宿所に戻ると到底食べれない量の昼食との闘い。


食べれない私にとって合宿の食事ほど苦痛なものはありませんでした。

疲労困憊で食欲すら湧かない状態だから噛む体力すらも残っていない。もともと肉の消化も苦手でお腹を壊してしまうし、何しろよく噛まないと呑み込めないからやたらと時間もがかかる。

「おいしかった~」と他の選手は食べ終わっているのに、私は一人で大量に残された食事といつまでも向き合っている。そんな食べれない私をみて「だからお前は最後にスタミナ切れで走れないんだ!」と怒鳴る監督。

悔しくて悔しくて、、、
そしてなによりそんな自分が情けなくて悲しくて。。。


とにかく当時の私は「食べること」が大嫌いだった。
誰かと食事することも大嫌いだった。


「食べたい」のに「食べれない自分」
少しでも食べすぎるとすぐに気持ち悪くなってしまう。「嘔吐する」ことはこの世で一番の恐怖と思えるほどのものだった当時の私。

そんな「食べれない私」にずっと不満足な母。作った料理を「美味しい美味しい」ってたくさん食べてくれるのが喜びなのかもしれないけれど、何度伝えても私の適量を分かってくれない。それは私という存在を全く無視しているようでとてつもなく辛かった。

「もって私を見て・・・!!!!」
そうやって声にならない声でずっと叫んでいたのに、母には届くことはなかった。

今では建設的に伝えることが出来るけれど、未だに母からは「それだけしか食べないの?」という言葉が出てくる。そしてその言葉を言われるのが苦痛極まりない。母にとっては自分の料理が【美味しくなかったのかも】という不安から来ていることは重々承知しているけれど、やはり苦手な言葉であることには変わりがない。

母は【子供はたくさん食べるもの】という自分の価値観でしか見てくれなかった。それに母自身は痩せの大食いでたくさん量が食べれる人だった。「またそれだけしか食べないの」と毎食毎食私にかける言葉はきっと母にとったら悪気のない何気ない日常会話だったのだと思う。

だけど、私にとっては私の存在そのものを否定する言葉でしかなかった。「それしか食べれない私をもっと深くみてよ!!」「もっと私を理解してよ!!」ずっとそう叫びたかったのに叫べなかった。

当時はよくこんな状態であの練習量をこなしていたなーと振り返っても我ながらに凄いと思う。本当に我慢強い、そしてなにより強烈な強迫観念に支配されていたんだな・・と思います。

強迫観念からくる行動ってものすごく徹底している。怖いぐらいに徹底しているんです。

女性であることや女らしさなんてものも関係なく、初潮はかろうじて迎えましたが、アスリート時代の生理はほとんど来ないのが当たり前だった。

当時は生理なんて来ない方が楽で好都合でいいやと本気で思っていたのも事実。これ、女性アスリートあるあるだと思うのですが、今、婦人科スポーツ医学を学んだからこそ声を大にして言いたい。

生理が来ない状態で競技は続けてはいけない!!!と。

生理がない状態は骨が脆くて疲労骨折しやすく、選手生命のリスクになるし、将来の骨にも血管にも影響が及んでくるのです。

このことの重要性は監督や先生も知らない人が多いんです。
学生時代って先生や監督の言うことって絶対的なんですよね。

新体操などの審美系や長距離選手は体重が軽いことが有利となり、監督や先生も簡単に「体重を落とせ」ということも言います。なにより選手自身が「体重は軽い方が有利」というのを知っているから生理が止まっていようがそれを受け入れてしまう。すべては「勝つ」ことに向けて行われるのだけれど女性にとっては生理が止まるというのが生命が危険にさらされていることを教えてくれているサイン。見逃してはいけなし、結局そんなからだでは戦えないし強くはなれないから選手生命も短い。


先生や監督は自分の関わっている間での成績のことしか考えていない人が多いから、選手の生理が止まっていようが、セカンドキャリアのこととか全くもって頭にない人が多いのではないかな、と思います。選手は競技を辞めた後も女性としての人生があるのです。そのことまで考えてくれる先生や監督は当然いらっしゃると思いますが、どのくらいいるのだろうか。
部活の顧問や監督、先生などは男性が多いです。だからこそ、もっと指導者にこのことの重要性を知ってもらいたいと強く願っています。


大学で知った衝撃の骨密度

私は体育大学に進学して生理の大切さの事実を知りました。無月経アスリートも問題やトレーニング理論、そしてからだの知識を勉強するほど自分の現状に落ち込み、このころは完全なる燃え尽き症候群になっていました。

子供を産むなんてまだ先のことだろうし、「生理が来ないのは楽でいいや」と大したことがないと思っていたから骨や血管にまで影響が出るなんで知りませんでした。

それに競技生活をしていて先生や監督、そして親からも一度も心配されたことがなかった。


「無月経(3ヵ月以上月経が止まっていること)は治療対象なんだということを授業で知り、そして、大学で健康診断を受けてさらなる衝撃を受けたのが自分の骨密度でした。私の骨密度はすでに同年代と比べてかなり低く愕然としました。

「あんなに激しい運動をしていたのに」
これが正直な感想。

自分のからだってすでにボロボロなんだ・・・とショックを受けながらも、まだ心が不安定だった私は何か具体的な行動を移すわけでもなく、不安につぶされていったのですが興味対象は【健康について】となり、大学の専攻も怪我の復帰やリハビリについて学ぶ「機能回復コース」にしたし、在学中に健康運動実践指導者を取得し、その後健康運動指導士も取得しました。

大学では陸上部を続ける気力はなく、結局運動部やからだを動かすようなサークルにも入らなかった。というより入れなかった。

私の通っていた大学の短大には児童教育科があり、体育大学なのに音楽が必修科目でした。ピアノも10台近くあり、自由に弾くことが出来た。どのサークルに入ろうか迷っていた時にブラスバンドのサークルに誘っていただき、そこでずっとやってみたかったトランペットやバンド活動を始めました。


自分の限界をいかに超えていくか

プロアスリートになればなるほど「勝つこと」「良い成績を残すこと」。これが全てになってくると思うのです。自分の限界をいかに超えていくかに挑戦していくわけですから、ココロもカラダも常にギリギリの状態で頑張っているわけです。

思春期はからだが成長していく大切な時期。社会も知識も知らない子供には親の管理が必須だと思うのです。思春期の激しい運動については特に食事や生活面をよく見てくれている母親に介入してもらうことが必要だし、そのためには指導者からのアクションが必要なんです!

トレーニング理論の世界はまだまだ男性中心。【女性にも同じ指導】ではダメなのです!!

指導者の知識の差、ましてや公立校へそれを求めるのは厳しいかもしれませんが、成長期の子供への指導は大人の指導をするよりも難しいもの。その子の一生を決めかねない大切な思春期の子供を扱う指導者こそ、その影響力の大きさを自覚して勉強を怠らないでいただきたいと強く願って止みません。

先ほども書いたように、トレーニング指導の世界はまだまだ男性の指導者が多く、指導内容や論文も男性中心のものが多い。アメリカでは大学生が在学中に妊娠したらどういう運動をさせるのか、という指針があります。アメリカは日本の10年先を行っているとよく表現されますが、日本において女性アスリートの活躍が目立つようになってきたのは2011年にFIFA女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝したあたりからではないでしょうか。アメリカではオリンピックに出産したアスリートが多数出場しており、メダルも獲得している。それに比べて日本は出産したアスリートがオリンピックへ出場できたとしてもメダル獲得までには至っていません。トップアスリートですらこのような状況ですから、一般女性への指導もまだまだ男性中心の指導になっていることがお分かりいただけるのではないようでしょうか。


女性の一生を見据えた指導

指導者がどれだけ正しい知識をもって「今の成績や短期的な成果」だけでなく、「その人の将来」を考えて指導に当たるか。このことがどれだけ大切な事か身をもって痛感しているからこそ、私はその人を長い目で見てあらゆる選択肢を提供するようにと常に心がけています。

「この方法で短期間に○○キロ痩せました!」
「これを飲めば食べすぎても心配いらない」
「運動せずに楽して痩せる方法はこれ!」

上記はどれも魅力的な言葉ですが、「その人の将来のことをどこまで考えているのだろう」、「今だけ良ければそれでいいってなんだかなぁ」、「利益追求だけで愛がないなぁ、、、」などそんな風に想ってしまいます。


整形外科で術後のアスリートの筋力測定を担当

大学では機能回復(リハビリ)を専攻し、解剖学のゼミに入った私。ゼミの先生は現役の整形外科医でありスポーツドクター。大学の授業の外に鍼灸の専門学校の教員もやっておられました。

先生の病院が渋谷にあり、2年ほどお手伝いさせていただきました。私は膝のオペをして数か月間のリハビリ後にどのくらい筋力が回復しているかを測定する係。

「伸ばして!」「曲げて!」などタイミングよく声掛けをしてあげるのですが、気合を入れていただくためにあまりにも大声でやっていたので、ちょっとした有名人になっていました(笑)

だって、声をかけるタイミングってとーーーーって重要なんです!よくも悪くもその人の成績に大きく影響する要因のひとつですから。


大学卒業後

大学卒業と同時くらいに生活習慣病の運動療法をする健康運動指導士を取得。運動の量や回数、頻度など処方するですが、私がエビデンスにこだわるのもこの資格があるからです。

社会に出てからは西洋医学と中国医学を合わせた統合医療の病院での営業職に約2年。

神奈川県の財団法人で体力測定や健康教室、骨密度測定や健康づくりイベント、がん検診普及活動など健康づくりに関する事業に約2年半携わりました。

そしてリハビリ中心のデイサービスで脳梗塞や心筋梗塞、難病指定を受けた方や整形疾患の方、高齢者でも有疾患者への運動指導歴が10年を超えました。今もこのデイサービスに非常勤として勤務しており、骨盤底筋トレーニングなどもご好評いただいております。

現在は東京の奥沢で女性のウェルエイジングをサポートするサロン業務を行いながら5つ星ホテルのスパへ繁忙期のみお手伝いにいったり、女性の幸せと健康づくりをサポートするプロジェクトのメンバーとして活動したり、ありがたいご縁をいただき、幅広く活動させていただいております。

これまでに、障害者スポーツ指導者、健康運動実践指導者、健康運動指導士、佐伯チズさんのチャモロジースクール卒業、エステティシャン、リズミカルボディセラピスト、骨盤底筋トレーニングヨガ指導者、マターナルヨガ指導者、婦人科スポーツ医学、心理学、行動心理学、身体心理学、タッチケア、ユマニチュードなど、細かく書けばたくさんありますがたくさんのことを学んできました。


学びの原動力

私にとっての学びの原動力って「自分が健康になりたい」「幸せに日々を送りたい」そして、「相談された内容に応えたい」、これが全てです。

社会人になってからも拒食症に加えてパニック障害も経験しており、その物語は改めて別に書こうと思います。常に不安と恐怖で落ち着かず、自分を保つことで精一杯の日々。学生時代から書いていた日記には「情緒不安定」という言葉が頻繁に綴られていました。

でも社会に出てから、そんな自分の経験や知識が人の役に立てるんだという喜びを感じることができました。【起こることすべてに無駄なことはない】と言いますが、この言葉も辛い渦中にいる時はなかなか信じられないのです。過ぎ去ってみるとどんなに辛い経験からも学ぶことがあり、そしてそれが自分だけではなくて人様のお役に立てるということを実感することで「ああ、本当に無駄な事ってないんだなぁ」と腹落ちすることができました。

すべて必要だから起こる。

過去を振り返ると本当にそう思います。私は不器用でかなり遠回りしてきたけれど、私にはこのルートが必要だったのだと思う。どの事柄が欠けていても今の私にはなれないし、今の私が一番好きと自分で言えるからそれでいいんだと思う。


佐伯チズ先生との出会い

フェイシャルエステは美白ブームを作った佐伯チズ先生のチャモロジースクールプロフェッショナルコースに通い習いました。残念ながら今年2020年6月に天に召されましたがチズ先生のとてもアツい愛情は今でも忘れられません。

フェイシャルエステを習ってから、あるデイサービスでボランティアをさせていただいていた時の出来事。パーキンソン病の方へフェイシャルエステをして差し上げたら、いつもはごはんが上手く食べれず残してしまっていたのに、その日は初めて完食したのです!!

パーキンソン病は、脳から筋肉への指令を調整してスムーズにしているドーパミンの分泌が減少してしまう病気なので、当然顔の筋肉の動きも悪くなります。からだ全体の動きに対してはリハビリを行いますが、嚥下障害の訓練をしていたら介入するかもしれませんが、なかなか顔の筋肉に特化して行うことは稀です。

この時はフェイシャルエステとして顔、首、デコルテのオイルトリートメントをしたので筋肉がちゃんと活性化してくれて咀嚼筋が上手く機能することができて完食に繋がったのだと思いますが、これにはスタッフ一同感動しました!

筋肉って表面の皮膚が硬くなると動きにくくなるものなんです。最近は筋膜治療なども流行っていますが筋肉が動かないと皮膚も固くなってくるのです。なによりご本人様の表情がキラキラ輝いて、とーーーっても嬉しそうで満足気な顔をしていたのがなにより嬉しかったです。

「リハビリエステ」としてここも深めていきたい分野。
手のちから、手の治癒力って本当に素晴らしいなって思います。


パリの魔女☆セレブを虜にするhanae先生との出会い

佐伯チズ先生のチャモロジースクールでボディを教えてくださったのがパリでセレブに愛されているhanae先生

のちにhanae先生の教えを再度受けるためにパリまで行った私。hanae先生との出会いもまた私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。


求めていた知識を得られた高尾美穂先生との出会い

本やネット、講座やセミナーなど自分が気になるキーワードについて学びを深めていたのですが、「本質」の部分がずっと掴めないでいたのです。そんな時に産婦人科医でスポーツドクター、そしてヨギーニでもある高尾美穂先生に出会い、衝撃を受けました!私が知りたいことを全部知っている!!!と直感で思い、その後美穂先生が行う講座をほぼすべて受講してきました。美穂先生の講座はとにかく情報密度が濃くて、なかなか1回では消化しきれない(笑)

年間通して開催されている婦人科スポーツ医学集中講座には、5年連続で参加させていただいていますが、毎年最新情報も増えたりするのでそういった意味では知識を更新するためという理由もあります。

美穂先生は幅広い専門的な知識だけではなく、考え方や生き方そのものがすごく尊敬できるので本当に出会えて良かったなと思います。美穂先生からの学びを私というフィルターを通して皆さまにもお伝えしていきたいと思っています。高尾美穂先生のyoutubuはとても参考になるので是非女性の皆さまチェックしてみてください♪


今の自分が人生で一番好き♡

決して優等生とは言えない私。アスリートとしてもパッとせず、健康とはいけない時期もとても長かった。

社会に出てからは心の問題が大きくなり、拒食症やパニック障害で電車に乗れなくなったり、月経困難症で街中で倒れたり。長年、月経不順と子宮頸がん検査に引っかかってからの経過観察での大学病院通い。

それでも健康について知識を深め、心を癒すための知識を学び、試行錯誤する日々を経て、この知識と経験を同じような不調で困っている方の力になりたい!というその想いで現在に至ります。


自分を極めることが幸せの本質だと気が付く

私自身、自分のココロとからだのことについてたくさん学び、悩み葛藤してきました。そして同時にたくさんの方の相談も受けてきました。

世の中のどこかに答えがあるのだとずっと探していたのですが、自分の内側にしかその答えがないという本質を掴んだという感覚になったのは実はつい最近のことです。

ココロものこともからだのことも自分で自分を理解して、そしてどう扱っていくのかを考えて決めていくしかない。結局自分を極めることでしか、本当の豊かさや幸せは感じられないんだなということを実感しています。



揺るぎない自分軸を持ち、芯の通った健やかでしなやかなココロとからだをつくること

人生のライフステージごとに、大きな変化を経験していく女性だからこそ必要なスキル。そのスキルを得たからこそ、私のココロとからだは人生の中で今が一番快適♡だと言えます。

これには、いかに自分のココロやからだのことを知り、大切に扱い操る術を知っているかがとても大切です。


私は自分というサンプルの外にたくさんのご高齢の方から学ばせていただいたことがたくさんあるからこそ、40代以降の女性に伝えていきたいことが多くあります。

更年期以降、女性のココロとからだの悩みは加速していきます。

自分のことだけでなく、子供の進学や自立、親の介護など取り巻く環境もどんどん変化していく。そんな中、自分のココロとからだの変化も待ってくれません。


後回しにしてきた自分のからだと向き合いたい

分からなければ学びに行き、知識を深め、そして解決方法を一緒に考えて経過をみていく

決して優等生ではないからこそ、「どうしたらその人が幸せな日々を送れるのか」、その方の背景や将来を見据えて一緒に考えていくことを大切にしたいと思っています。

【後回しにしてきた自分のからだと向き合いたい】そう想い願う女性へ全力でサポートしていきたいと想っています。私の知識や経験が誰かの役に立てることを願って活動し、発信していきたいと思います。

こんなわたしですが、どうぞよろしくお願いいたします。


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