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アートが「よくわからん」理由を究極に単純化してみた(前編)

現アを立ち上げて以来、ありがたいことに僕の主戦場である「ビジネスパーソンたち」からアートの相談を受けることが多くなってきた。
また、彼ら・彼女らと一緒に展示を見に行ったり、作家さんをご紹介してみんなで話したり・・という機会も増えてきた。

アート界と資金力のあるビジネス界をつなげることは、たぶん現アにおける僕の役割の一つだからきっといい流れなのだろう。
この記事でも結論を書かない形でゆるーく話題にしたが、マーケットを作るためには"関わる人数"・"お金"が必要で、色々な意味で資本を持っているビジネス界は大切なパートナーだと思っている。(”アートとお金”の話が嫌いな方も多いことは理解しているが、「アートで生計を立てる=ビジネスをする」ということなのでそんなに嫌う話題ではない・・はず!?)。

と、そんな生活を送っている中で大変興味深いことが。。

優秀で常に自身満々なビジネスパーソンたちも、アートの話になると「アートはよくわからんから~」という枕詞をほぼ100%つけるのだ。

(この「アートよくわからん問題」を逆手にとっていま僕は各所でポジションをつくっているので、完全に問題解決されてしまうことがいいことなのか・・・というのは置いといて笑)このテーマについて少し考えてみた。

なぜ!アートは!ビジネスパーソンにとって「よくわからんけど」と言葉に出して弁明しなくてはならない存在なのか!

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もちろん色々な観点からの答えはあると思うが、”最大の理由は究極に単純”だと考えている。

「アートは割とメジャーなジャンルにも関わらず、”触れる回数が圧倒的に少ない存在”だから」だ

触れる回数が多ければ、「わからないけど~」という発想自体がそもそも生まれない。文字にすると当たり前のことだ。

試しに他のメジャージャンルをイメージしてみよう。

例えば食事🍜。「俺はグルメだぜ!」って人じゃなくても食事に関して「食事に詳しくないから、何を食べたいかわからない」ということにはなりづらいだろう。

それは最低でも「3回/日×365日×31年=33,945回(僕と同い年想定、間食・断食などでブレはあるだろうがざっくり)」触れているからだ。
3万回以上経験していれば「それが”本物”や”いいもの”」でなくても何となく自身の好みや食のジャンルもわかっていくのではないだろうか。

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ファッション👗。「1日1組み合わせ×365日×31年間=11,315回」。”同じ組み合わせにする”という選択も含め1万回以上の組み合わせを経験している。更に街中やファッション誌・買い物にいく・ファッションショーを見る・映画で目にする・・・など「ファッション分野に触れた回数」は数万を超えるだろう。だから「よくわからんけど」って枕詞を余り聞かないのかもしれない。

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ほな次スポーツ⚾。これは数値化するのが難しい。が、例えば人生で野球(偏見で恐縮だがビジネスパーソンに一番人気)は、135試合×31年間+甲子園・MLB...&スポーツニュースなど無数に放映されている。そして小学校・習い事、、等で何回「野球」という存在に触れただろうか。だから余り野球について「よくわからんけど」って言わないのかも(甲子園球場に行った際には是非”サラリーマン監督”が何人スタンドにいるか数えてみてほしい)。

※同じスポーツでも、カバディとか触れたことないものは本当にわからないから「よくわからんけど」って言う。でもカバディは日常生活やビジネス文脈でまず触れることのない存在だ。だから冒頭申した「メジャーなジャンル」には該当しない。ちなみにカバディを取り上げたことに全く他意はない、ファンの方どうかどうかご容赦頂きたい。

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一方、意外にも!?アートはメジャーなジャンルなようだ。ビジネス文脈でも昨今相当数話題に出てくるし、意外と日常会話にも顔を出すジャンルなのではないだろうか。まあ食事の話題には敵わないにしろ、マイナースポーツよりは身近なジャンル!と断定する笑。

そんなメジャージャンルにも関わらず、一般的な日本のビジネスパーソンは「人生でアートに何回”触れた”だろうか?」(美術館に何回行ったことがある?何回自分で絵を描いた?街中で目にする作品を眺めた?)

たぶん、たぶんだけど少ない!美術館よく行きます!って人でも食事やファッション・読書・音楽etcetcよりは圧倒的に少ないのではないか?

もし「アートってよくわからない・・・けどちょっとわかりたい」と思っている素晴らしいビジネスパーソンの方がいらっしゃれば試しに数万回アートに触れてみてほしい!(僕自身、今狂ったように触れ続けてみてる期間)

「わからない」と判断するにはまだ早いはずなんだ!野球だって1回目にみたときはルールもわからず死ぬほどつまらなかったはず・・・・

ちなみによく「本物を見ろ」と啓発されることもあるが、僕はその触れるアートが「いいもの」「本物」(ここではこの言葉の定義は無視する)である必要はないと思っている。学生展でもピカソでも、「アートだ!」と言われているものを数万回見ればたぶん上述した食事・ファッション・スポーツレベルには身近な存在となって、「”わかる/わからんという概念”がなくなる」「少なくとも”よくわからん”という枕詞はつけない」身近な存在になるのではないかと想像している。

むしろ食事にミシュランからファーストフードまであるように、野球にMLBから甲子園まであるように、音楽にベルリン・フィルからアイドルまであるように・・・何から何まで触れることがプラスに触れるのでは?と思っている。

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上記が単純化しすぎの乱暴なロジックであることは認めよう。またそもそもスタートが「よくわからんけど」って言う人が多い”気がする”という自分が生きている世界の感覚値に基づいてスタートしているという乱暴さも認めよう笑。

ただこの色々な資本を持っているマス層に「アートがもっと身近で当たり前の存在になればみんながハッピーになるんじゃないかな(なったらいいな)」と日々考えているのが僕なので、こういうnoteを書いてみた次第である。

<後編へ続く>(今後書きます)
「そもそもアートに興味ないから何万回も触れたくないんだけど!」と思う理由はなんだろう
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