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学校は何のためにあるのか?(3)

小学校の先生の苦悩

高校で教えていたのは、もう30年近く前のことです。

高校生になって円の面積の公式が答えられない、真面目な子どもの中学校の数学の担当の先生から、もう中学校に来た時点で、とても中学校の内容が理解できないだろうと想像でき、懸命に補習をしたりしたけれども、どうすることもできなかった、という話をお聞きして、それでは、小学校はどうだったのだろうと、小学校の先生にお会いしたいと、連絡をさせていただいいたのです。

まだ、お一人の先生だけ転勤せずにいらっしゃったので、その先生がお話ししてくださるというので、お会いしに行きました。

高校で真面目にやっているのだけれど、小中学校の内容の理解ができていない子ども達について、なぜ、こんなことになっているのかということをお聞きしたかったのですが、間違っても小学校の先生を責めるために来たと思われるのが嫌で、そのことを、まず、正直にお話しました。

そのことをお伝えしたら、その先生からは、「学校は何ができるのでしょうね。学校は何のためにあるのでしょうね。よくそんなことを考えます。」と。

どういうことかとお聞きしてみると、小学校1年生の子ども達のクラスでは、当時も今も、じっと座っていられない子ども達が多い年だとクラスの5から6人くらいもいるとおっしゃるのです。

これには正直に驚きました。

常時立ち歩いているわけではないけれど、数人の子ども達が立ち歩くと、つられて立ち歩く子ども達がいるために、そのくらいの数になるとのことでした。

これは、今ではよく聞く話になっているのですが、当時でもそういうことがあったそうなのです。

いくつかのクラスで、小1からその状態だと、どうしても立ち歩く子ども達に意識がいきます。

その次に、元気に話してくれたり、発表をしてくれる子ども、いろいろ言ってくる子どもにクラスの雰囲気は引っ張られてしまいます。

そのため、おとなしい子どもは、先生が意識していないと、どうしても見ているようで、見ていないことがあると、正直におっしゃっていました。

この先生は、当時の私よりも10歳以上も歳上の、中堅の先生だと思います。

その先生でも、難しいと思うことがあるとおっしゃっていたのです。

子ども達が、これから学校で授業を受けていくためには、じっと座っていることを覚えてもらわないといけないので、そういう指導をしないといけない。

ところが、実は、小学校1年生、2年生の内容は、後々、とても大切になるとわかっているので、理解してできるようにしてもらわないといけない。

漢字にしても計算にしても、ここで練習をしっかりしてできるようにしておくことが、どれほど、後の学校生活に大きな影響を及ぼすかを、さすがによくよくわかっていらっしゃるのです。

その小学校、中学校での勉強に対する思いが、高校、大学や社会に出る時には、さらに大きな問題になるとおっしゃっていました。

だから、学校は子ども達の将来のために、今、できることをしっかりとしないといけないと、はっきりとお話しくださいました。

すでに小学校入試を受けた経験のある子どもとか、教育熱心なご家庭の子ども達は、知っていることも多いので、その子達が授業で手を挙げることがどうしても多くなるのは当然です。

子どもだから、知ってることを言いたいって気持ちがストレートに出てしまうので、その子ども達に引っ張られてしまわないように、全ての子どもに目を向けるようにはしているとおっしゃっていましたが、やってみるとわかるのですが、これは、かなりたいへんなことです。

それでも、私の受け持ちの真面目な子どもの名前を上げたときに、覚えていてくださり、当時のことを思い出して、目を向ける努力をしていても、結果的に目を向けきれていなかったのかもしれないと、真っすぐに私を見ておっしゃっていました。

小学校の間に、何とかしないと、と思う教師もいるけれど、日々、目の前の子ども達、目の前の仕事に追われて、いつの日か、あきらめてしまうんだと思うとも。

子ども達の将来のために、とわかっていても、できない現実と戦い続けるのは、一人の働く人としては、時間的、肉体的、精神的に厳しいところがあることも、正直な気持ちとしてお話しくださいましたし、そのことは、痛いほどよくわかりました。

ところが、先生からは、この小学校1年生、2年生のところの問題は、学校だけでは解決できないことがあると、難しい顔しておっしゃっていたのです。



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