見出し画像

大学生時代の自分(Part1)

みなさん、こんにちは。
noteでの4回目の投稿となりました。

これまでの投稿の中では、小学校・中学校・高校時代の自分を振り返り、僕自身の歩みとその中から得た考え等について綴ってきました。
みなさん、見てくださいましたでしょうか?

今回も引き続き、自分の過去を振り返り、自己紹介の一部となれば良いなと思っています。

「大学生の自分」というタイトルなのですが、とても長くなりそうなので、1〜3年生までをPart1、そして4年目はとても充実していたので(多分)、Part2にして綴っていきたいと思います。

お楽しみください。

前回の投稿👇

自己紹介・思い出④過去編(大学生)Part1

・劣等感と焦燥感を持って始まった1年目

2020年の4月8日、福島大学の陸上競技場に足を運び、初めての部活に参加をしてきました。

この日は僕と同じくして北海道の子と、青森の子も来て、一緒に練習に参加をしました。

そして僕たちが来る前から練習に参加をしていた他の同期たち、また、すぐに自粛生活になってしまったため、自粛が明けた6月から参加をした同期たちも含めて、共に4年間をやっていくんだというワクワク感に駆られスタートをしました。(10月から来た人もいました笑)


ただ、そんなワクワク感とは裏腹に、同期のみんなの実績を見れば、自分の実績のなさ、大学で陸上を続けて良いのだろうかと思わされました。

最初から最後まで部に居続けた僕を含める11人は、全国経験者が9人、地方大会(東北大会等)経験者が10人と、県大会の決勝にやっと進むことで精一杯だった僕に、劣等感を抱かせました。

ただ、4年間を振り返った時に、この劣等感がなければ、僕の成長はなかったので、この学年で陸上競技に4年間励めたことは本当に良かったと思っています。


そして、、、

その劣等感は、やがて焦燥感へと変わっていくこととなりました。

そのキッカケとなったのが、1年生にとって初めての大学での試合となった学内記録会でした。

当時1年生の上村が、先輩を含めた100mのメンバーの中で、トップを取りました。

その姿を見た時に、「1年生だから」、「受験期もあって体が衰えているから」、そういった言い訳なんて作ろうと思えば、たくさん作ることができる状況の中で、例え、それが言い訳でなく事実だとしても、そんな状況に甘んじることなく、競技をする姿を見た時には、

「このままのんびりしていては絶対に置いていかれる」

と感じました。

ちなみに僕は3000mで9:45くらいでした。笑

これを機に、今まで何となく競技場に来て、何となく練習をしていた高校までの自分にとっての陸上競技を見直して、山積みとなっている自分の弱さ、課題に対して虱潰しに向き合って行くようになりました。


そして1年目では、「自己ベストの更新」というようなざっくりとはしていますが、目標を掲げ、それに向かって、まずはスピードを意識して練習に励みました。

そして1年目は、1500mと3000mscの2種目で自己ベストを更新することができました。

1年生 東北インカレ 3000msc

(高3→1年)
1500m
4分14秒99→4分14秒03

3000msc
9分58秒14→9分53秒69

学年の中で、1番早く自己ベストを更新することができ(伸び代が1番あったからだと思います)、2年目以降の自信にも繋がっていきました。

ちなみに5000mは、17分11秒82でした!!笑

・迫り来る脅威と背中が見えなくなった2年目

1年目から自己ベストを更新し、自粛生活の中で取り組んだ冬季練習を自信にして、2年目を迎えました。

中長距離ブロックには男子2人女子2人の新入生が入部し、全員で7人となり、2年生ながらもブロックを引っ張っていけるように頑張ろうと思い、スタートしました。

1年目はスピードに意識をおいてやってきましたが、2年目はスタミナを意識的に取り組むようにし、5000mを中心に行ってきました。

しかし、、、

2年目スタートの時に持っていた気持ちも空回りで、なかなか結果出すことができず、停滞の日々が続いていきました。

その停滞している間には、

全国経験のある新入生の1人の大石には全く歯が立たず、そしてもう1人の1年生の利根川の自己ベスト連発の勢いにも圧倒され始めました。

そして上を見れば、4年生の先輩の谷中田さんが北日本インカレで優勝し、全日本インカレの出場権をつかんだり、県選手権で3分台を出したりなど、離されていく一方でした。

こうして、迫り来る脅威を感じ、先輩の背中も見失い、今の自分にあるものが分からなくなってしまいました。

そして夏休みの後半には、、、

人間発達文化学類ではない教職履修者だったため、授業の数がこれまでよりも格段に多くなり、9月の練習の半分以上が1人での練習になりました。

強い先輩と後輩に挟まれ、結果が出ない自分に対しての価値が見出せなくなり、そんな中で、1人で練習する時間が増えたので、本当に苦しい時期だったと思います。

練習でもなかなか走ることができず、パッとしない期間を過ごしました。


・殻を破れた2年目

パッとしない日々が続いた中で、この年の後半シーズンは、新型コロナウイルスの影響もあって数多くの大会が中止になってしまいました。

その出来事が、より一層陸上に対する熱を低下させました。

実際、当時は陸上に対する熱が低下しているなど感じてはいなかったのですが、思い返せば、その時期はアルバイトも始めた時期で、週4で、遅い時には終電まで(23:30)やっており、スポーツ選手としては体に良くない生活習慣を送っていました。こうして見ると無意識に生活の中での優先順位が下に下にとなっていたのだなと思います。

そんな自分を大きく変えてくれた出来事が、福島大学のOB・OGによる学生に向けた「応援事業」でした。

この出来事が、僕を競技者としてだけでなく、人間的にも大きく成長させてくれたと思います。

この「応援事業」では、コロナの影響で大会がなくなってしまった学生に対して行われたもので、

細かい内容の説明については、10月中に行われる福島大学トラッククラブ競技会の中で、それまでのベストを更新した人が受賞されるベストパフォーマンス賞というものや、記録を点数化して、その順位を競い、勝った人が受賞されるハイパフォーマンス賞などで競い合うものでした。

その景品として、OB・OGの方々が、費用を出してくださり、シューズのプレゼントや、特産品などといった景品を用意してくださいました。


この応援事業の結果、、、

なかなか5000mの結果を出すことができず、苦手意識も捨てられず、そして殻も破ることができなかった2年目の自分でしたが、この期間で5000mで自己ベストを更新することができました!

5000m
16分28秒24→16分15秒00

ベストパフォーマンス賞3位
(Nike by youズームペガサス)

タイムは大学2年生としては遅いタイムではありますが、このレースを通して何か僕の中での殻が破られたように思いました。

そして、この経験は福島大学陸上競技部だったからこその経験であり、OB・OGの支えがあって陸上に励めているのだなと改めて実感しました。

また、そうした応援してくださったOB・OGの期待にも、結果でしか答えることができないので、これからも競技に真摯に向き合い、レベルアップしていかなければいけないなと感じました。

そして、

OB・OGの方々に、「応援事業」を行って良かったなと思ってもらえるように、再出発した記憶があります。


その後は腸脛靭帯炎になり、一時期練習から抜けたものの、5000mで再度自己ベストを更新することができました。

5000m
16分15秒00→16分06秒77

そのレースでは、800mの後輩の利根川に負けたので複雑な気持ちでしたけど、、、笑

自己ベスト
東北学連競技会

この年の自己ベストは、

(1年→2年)
1500m
4分14秒03→4分10秒70
5000m
17分11秒82→16分06秒77
3000msc
9分53秒69→9分52秒66

・天?と地を見た3年目

天を見たかは分かりませんが、

2年から3年にかけての初めての冬季練習を経験して、、、


対外試合初戦となった6月の「東北インカレ」で初の表彰!

自己ベストも大幅に更新!!

3000msc
9分52秒66→9分44秒75(3位
🥉
5000m
16分06秒77→15分45秒33

3年 東北インカレ
3000msc3位

そして、その次の7月の「北日本インカレ」では表彰台には届かなかったものの、

自己ベストを更新!!

3000msc
9分44秒75→9分39秒90(4位)

3年 北日本インカレ 3000msc

そしてそして、、、

そのまた次の7月中旬の「福島県選手権」でも

自己ベストを更新!!

3000msc
9分39秒90→9分34秒71(8位)

3年 福島県選手権 3000msc

正直、「東北選手権(ミニ国)」を目指していたので、このタイムで8位と見た時には本当に悔しかったです。笑


またまた今度は、
種目は違いますが7月末の「MDC」の1500mのレースに出場をし、自己ベストを更新!!

3年 MDC 1500m

1500m
4分10秒70→4分06秒38

夏の練習を越えて、3分台も狙えるぞと思い、ワクワクが止まらなかったです。

このような結果で前半シーズンを終え、

競技者として2年生までの時とは大きく変わっている自分に対しての喜び、そしてこれからへの期待も大きくなっていきました。


がしかし、、、!!!!

8月中旬から末にかけて、新型コロナウイルスに感染をしてしまいました。

陸上人生で1番波に乗っていた中で、本当にショックで立ち直ることができなくなりそうでした。


10日間の療養期間を経て、すぐに練習に取り組みましたが、明らかに劣ってしまっている自分に対して、ショックを受けました。

後半シーズンに残されていた、

「国公立27大学」
「東北総体」
「東北学生個人」

これらは走り切ることで精一杯になってしまい、自分が思い描いていた後半シーズンとはかけ離れており、悔し涙を流しました。

ただ、翌年はラストイヤーとなり、時間は無常に過ぎ去ってしまうので、こうしていられないと思い、とにかく走りました。


しかし、今度は、、、、、

重度の貧血症状に見舞われてしまいました。

明らかに走れなくなってしまい、覚えているその時期の練習を紹介すると、

1000mのインターバルで
3分19秒→3分22秒→3分43秒
3分24秒→3分29秒→3分40秒

3000mのタイムトライアルで
10分35秒

4000mは14分11秒(3000通過10分32秒)

正直やばいと思いましたね、、、笑


ただ、後に大学のOBの方々と一緒に出場する予定だった「国公立27大学駅伝」があったので、それに向けて最善を尽くせるように心がけました、、、

というところで、今回はここまでをPart1として、終わりにしたいと思います。

3年目のトラックシーズンは終了したので、この年のPBをまとめると、

(2年→3年)
1500m
4分10秒70→4分06秒38
5000m
16分06秒77→15分45秒33
3000msc
9分52秒66→9分34秒71

自己紹介・思い出⑤過去編(大学生)Part2予告

コロナによる能力の低下と、焦りすぎて練習をした結果、貧血になってしまい、自己ベストを連発することができたものの、後味の悪すぎるシーズンとなりました。

貧血になった後に控えていた、「国公立27大学駅伝」ではどのような結果を残すことができたのでしょうか?

貧血を乗り越えることはできたのでしょうか?

そして最後の年となる4年目の結果は、どういったものとなったのでしょうか?

次は、こういった内容を振り返り、

安部景太の過去を元にした自己紹介は終わりにさせていただこうと思います。

ここまで見てくださった皆さん、本当にありがとうございました!

次回もお楽しみに!!


※SNSやってます!フォローよろしくお願いします!

・X(旧Twitter)
twitter.com/keitaabe2001

・Instagram
Instagram.com/keita_06.14

・Facebook
facebook.com/keita2001.0614

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?