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【雑談】闘病生活を終えた感想はこちら

胆石性膵炎で倒れてから三ヶ月半以上経った。
三度の入院生活、延べ20日間以上の絶飲食生活。
大部屋で周りが普通に食事を摂る中ではっきり言って地獄である。


膵炎の痛みはいわゆる『一撃必殺』ではない。

肉がえぐれるほどの脛の強打や麻酔なし手術とはまた違う。
まあ顔面炎上した時は近いものはあるけれど、あれはせいぜい数十秒燃えただけだ。膵炎の痛みは違う。

大きな波と小さな波がずっと襲い続ける津波のようなもの。
上に書いたような一撃必殺のものは100mの大波。
膵炎は10mの津波が数時間から数十時間続く感じ。

介錯のない切腹。

これが自分の中で一番しっくり来る。
そしてその治療方法が絶飲食というとんでもない方法でしか治らない。
切腹と即身仏体験のセットである。

ただその即身仏体験、最初に書いたとおり周りが普通に食事を摂っている。それで頑張る気力を根こそぎ持っていかれて、ふと飛び降りたり首を吊りたくなる。

同情を誘いたいとかうつ状態とかそういった類ではなく、生きる気力が根こそぎ持っていかれて、何かの限界を迎えてしまうのだ。

パチスロで7万いかれた時が可愛いくらいに(笑)

祖父母が詐欺にあって土地と家と全財産を持っていかれて、俺も路頭に迷ったことがあるけれど、それとはまたちょっと違った角度での更に上の絶望感。
絶食ならまだ大丈夫なのかもしれないが、一滴の水も飲めない絶飲食はやはりきつい。それも一度目よりも二度目、二度目よりも三度目が。

この文章を書いていたこの瞬間がまさに三度目の絶飲食中だった。

この状態になると人の神経は研ぎ澄まされる。
ボクサーの限界を超えた減量で、遠くで水が滴る音や、外での笑い声がよく聞こえるなんて話があるけれど、あれは本当のことだ。
その上で病院には大量の曲者が潜んでいる。

毎日19時位から消灯すぎまで、ものすごくでかい声で「おおおおおおお〜い!!」と看護婦さんを呼び続ける爺さんの声。
八郎潟の民話のカセットテープの「はちろ〜〜〜〜〜う!!はーちろ〜〜〜〜〜〜〜う!!」みたいなやつ(笑)

食事時が終わるとお〜え〜!!と吐いているのか吐いていないのかわからない音を1時間以上出し続けるおばあさん。

イヤホンの音漏れがシャカシャカではなく、はっきりと言葉として聞こえるくらい音漏れしてる隣のおじいさん。

その他ずっと舌打ちとため息しかしないおじいさんや、食べろと言ってもなかなか食べないおじいさん。
こっちは食べたくても食べられないのに、ずっと置きっぱなしなので食事の匂いだけしてくる。

消灯時間を過ぎて普通に電話を掛けるおじいさん。
「もしもし!今消灯時間過ぎてるから!要件だけ・・え?なんだって?(大声)」
何を間違ったのかスピーカーで話すモードになってしまい、全ての会話が丸聞こえに。真っ暗闇の中で。

「具合悪くて寝られない」という血圧200超えの、一日18時間くらい寝るとんでもないいびきのおじいさん。
これは流石につい録音させてもらった(笑)

ちなみに全然ご飯食べられないおじいさんは「もうすぐ退院できますよ。お家に帰れますね」といつも言われてたが、ある日突然いなくなった。
まあそれも一応『家に帰る』ってことか。

三度目の入院ともなるともう準備が違う。

耳栓も用意したし、今回は小さなキーボードも持ち込んでスマホとつないで文章を打ち込める。身動きの取りやすいBluetoothイヤホンも持ってきた。
対策はバッチリのはずだった。でも今回いびきさんが全然いない。

隣のシャカシャカクソジジィ、じゃなくておじいさんがうるさいくらいだが、このくらいなら耳栓で防ぐことが出来る。
そう思ってた時期が俺にも有りました。

夜中に電気つけたり消したりするのは反則だよぉ・・・

この明かりが届くのは大部屋の中でも隣の俺だけ。
聴覚攻撃じゃなく視覚攻撃してくるとは思わなかった。

ともかくそんな攻撃に耐え、胆のう摘出手術が無事終了した。

数日は体の中が動きまくりの違和感まみれ。
その上、腹筋1万回やったくらいの筋肉痛みたいな痛みがなかなか取れない。

だけどこの先生は鎮痛剤入れまくってでも飲み食いして、無理やり運動して腸の位置を戻せ!という先生なんだよな。これはこれでまた結構なスパルタ。
消化器一個取ってんだもん。食うのきついよそりゃ。この時ばかりは絶飲食が恋しい。

と思ってたら、痛みが取れたところで今度は元の消化器内科の先生へと引き継がれる。

どうやらこの先生は「絶飲食して黙って寝てりゃ回復する」という持論がありそうなくらい絶飲食させてくる。おなじみのいつもの先生。
今はまだ二日目(執筆当時)だけどもうへこたれている。退院が見えている分だけまだマシだが。

以前はその主治医が「様子見て明日の夕食から出るからね」と言ったまま土曜日になってしまい、様子を見に来ることなく二日絶飲食が増えたのだ。

看護婦さん達みんなに「明日からようやく食べられますね!」「今日から食事かな?」「今日の夕食から出る・・・予定ですよね??」と言われ続け、ふりかけや飲み物やお菓子などを用意して待っていた俺の気持ちを返せ。

・・・などと言えるはずもなく、毎日が限界と思いながら過ごした日々もようやくもう終わる。
やっと本物の退院である。仮の退院ではない。
胆石がもう出来ることもないし、それの苦しみを味わうこともない。

日常に戻れる。家に帰れる。

喜び勇んで家族に連絡をした。
だが返ってきた言葉は辛辣なものであった。

「もっと入院すればいいのに。そしたらお金になったのにね」
「入院日数足りないから保険金の方が少なくて赤字だわ」

退院の予定を伝えた時の母と嫁の言葉である。嫁の言葉は一回目の退院の時のものだが。
つまり今までの「退院おめでとう」なんてものはただの上っ面で、一切本心ではない。

もし自分自身が入院した時に「もっと入院していればいいのに」と言われた時の気持ちを考えてみてほしい。
流石に嫁にはそう連絡した。が、返信はない。


少女は窓の外の木を見て思う。「あの葉が全て落ちてしまったらきっと私も死ぬのね」
そうふさぎ込んでいた。

だが最後の一枚となった葉っぱはいつまで経っても落ちなかった。

それは少女のことを想うとある少年が描いた絵であったのだ。
少女は少しずつ回復し、もうすぐ退院できることを知った。
喜んで家族や、そしてその少年に「やっと外に出られます」そう伝えた。


さてここで問題です。
その少女に家族や少年はなんと声をかけたのでしょうか?

A、おめでとう!元気になるのを待っていたよ
B、良かった!これから暖かくなるからどこか遠くに旅にでも行こう
C、もっと入院すればいいのに


俺の家族の正解はCでした(笑)


こんな事で絶飲食よりもダメージを食らうとは思わなかった。
それなら死んだ方が金になったのではないか?みんな喜んだのではないか?そんな闘病生活を終えた俺の感想はこの一点。


『全ての退院おめでとうにクソッタレを


追記
皆さんのコメントにはもちろん感謝しております。


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