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表現の自由とモラルについて

表現の自由って、どこまで許されるのか問題

最近結構耳にします


何かの番組や出版物が販売中止とか放送中止とかになったりすると

「大変だ!表現の自由が脅かされている!公権力の弾圧だ!」

って批判が殺到しますよね


法的に「ルールだからダメなの!」ってよりも

そもそも表現の自由ってなんのためにあって

そこの制限はどこまでなのか


倫理的に考えることが大切だと思いましたので

ミル大先生の『自由論』を用いながら書けたらと思います〜


まず表現の自由ってなぜ大事なんでしょう

ミルは大きく四つの根拠をあげます


1.発表を封じられてる意見が、本当は正しいかもしれないから

2.発表を封じられている意見が間違った意見だとしても、一部真理を含んでるかもしれないし、一部真理を含んでいるかどうかは意見が対立してみないとわからない

3.世間で受け入れられてる意見が真理であっても、活発な論争がなければ、ほとんどの人はその合理的根拠を知らないままになる

4.自由な論争がされることで、人は自分の主義の意味がわかるようになり、心の底から確信を得られる


大きくこの四つです。

やはりミル大先生、強力な論でして、

なかなかこの自由の根拠に立ち向かえる主張はないんじゃないかしら…


一方、ミルはあらゆる自由に関して一定の制限を設けます

それはズバリ「他人に危害を与えたらダメ」です

その原理とは、人間が個人としてであれ、集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。文明社会では、相手の意に反する力の行為が正当化されるのは、他の人々に危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる。

ふむふむなるほど。

じゃあ人に迷惑かけなければいいんだ!ということ?


しかし、この「迷惑」が何か、を適切に理解していないといけません。

「これは迷惑かけないからいいもん〜」って思い込んでる

おバカさんになりかねないからね。


ミルはこれを「他人を害する」と言いますが、


例えばヘイトスピーチ

これは明確にその対象を害しますし、私たち自身も害しています。

最近話題になった、誘拐を肯定するようなドラマの放送中止

誘拐という犯罪の特殊性もありますし、テレビで放送するという意味も含まれますが、あれも他者を害する危険性を多く孕むと考えていいでしょう。


つまり、

ミルは自由を(特に表現の自由)を主張しますが、

あくまで功利を促進すること、が目的であって

自由であることが一番の目的ではないのです。

ただの欲望の解放の自由を肯定しているわけではないのです。


めちゃくちゃ簡単にはなりますが、
表現の自由については一旦以上です〜

なんとなく皆さんの思想の一助になれば幸いです!

最後まで読んでくださりありがとうございました!


#コラム #表現の自由 #倫理 #ミル #自由 #ヘイトスピーチ #幸色のワンルーム