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「あさが来た」から学ぶ日本の金融史

8年前、2015年のNHK朝の連続ドラマとなった「あさが来た」。幕末から明治初期の激動の時代に、大阪の豪商であった加島屋・広岡家に嫁ぎ、激動の幕末期を生き抜き、明治時代に銀行業や保険業で広岡家の事業を存続させた広岡浅子の生涯を描いたものでした。

この加島屋・広岡家の歴史を描いたものとして、「豪商の金融史」という本が昨年出版されています。本書は広岡家の歴史とともに、江戸時代から明治、大正、昭和初期の金融の歴史まで知ることができる一冊です。

もともとは米問屋から始まった加島屋ですが、大名の蔵屋敷に出入りするうちに大名に資金を貸し付ける大名貸しとなります。大名貸しの事業の中では、複数の事業者同士で貸し付ける現代のシンジケーションローンのようなものや、貸付先の大名の財政状況をチェックするモニタリングのようなものもあり、興味が尽きませんでした。また、お米の先物投資やデリバティブ取引なども行っています。

明治に入り、紆余曲折ありながらも広岡家は加島銀行と大同生命を中心に金融事業を展開するようになります。
興味深かったのは、加島銀行は成長する産業への融資に消極的であり、公債などの有価証券投資が中心であったことです。江戸時代からの金貸しのDNAはありながらも、産業を見極める目利き力が育たなかったとも考えられ、加島銀行は昭和初期の金融恐慌で破綻します。
一方、堅実な経営姿勢は大同生命を発展させ、現代に至るまで事業を存続させています。生保危機が叫ばれた時期も、大同生命の財務安定性は群を抜いていました。

三井や住友と異なり、外部の優秀な人物に経営を委ねなかった広岡家は、激しい時代の変化、特に融資対象となる産業の見極め力が育たなかったことも考えられます。一方で、300年も存続できた堅実なDNAが、大同生命を存続・発展させたとも言えます。その評価は一刀両断できるものではありません。

「豪商の金融史」は、豪商広岡家の歴史をたどることで、約300年に渡るビジネスの歴史を見ることの楽しさを感じさせる一冊でした。

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