アダルトチルドレンの克服には、また違った辛さが?
こんばんは!
ケミオです。
今日はふと、「辛いな~」と思いました。
気分が落ち込んだわけではないのですが。
アダルトチルドレンの克服に取り組んでいる、今の諸々の状況についてです。
それは、一生懸命に前を向いて取り組んでいる中で、ふと一息つき、我に返った時にぽわっと出てくる感情だったと思います。
アダルトチルドレンでいる間も、辛い。
でも今日感じた辛さというのは、それとはまた違います。
前者が、まるでゴールが見えない中を走り続けなければいけない辛さなら、後者は、ゴールが見え始めたところで足がきつくなってきた時の辛さでしょうか。
とはいえ、そのゴールが本当のゴールなのかどうか、まだはっきりわかりません。
ただ、ここまで頑張ってきたし、ゴールがそろそろ見え始めてもいいかな~くらいのところまでは、来てておかしくないと思っています。
一方で、今の私というのは、世の中的には全く生産的ではないでしょう。
一見すると、働き盛りの健常者が、仕事を頑張らないで適当に毎日を送っているだけに、見えるはずです。
でも、さにあらず。
私は昔も今も、決して楽ばかりをしていたわけではありません。
むしろ、心はいつも張りつめていて、楽な気持ちになることはなかった。
その状態でちょっとでも頑張ろうものなら、すぐに限界を超えてしまい、何もできない人間になってしまいました。
つまるところ、仕事面だけを取り出して言えば、アダルトチルドレンの克服に取り組まない限り、頑張っても頑張らなくても生産性は低いのです。
でも、そんな状態では生活ができません。
社会に貢献できないことに、ふがいなさも感じます。
生活ができない不安と、ふがいなさ。
前を向いている時は、そんな考えが顔を出すことはないものの、ふと一息ついた時です。
「辛いな~」の気持ちとなって、現れてくるのだと思います。
とはいえ、結局のところ、過去のことはもう仕方がないとも思っています。
最近は毒親のことも書いていませんが、もう毒親のせいにするのも嫌ですし。
親について、かつてはどうしようもない怒りが湧いてきましたが、それもなくなりました。
親のことが客観的に見えるようになり、毒親である以外にない人だということがわかったところで、何も期待しなくなったからだと思います。
そんなこんなではありますが、この誰も望まないであろうアダルトチルドレンの経験が、いつか実を結ぶことを信じます。
じゃないと、やってられないです(笑)
今日もお疲れさまでした!
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