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体が動けなくなるほどの安らぎ

こんにちは!

ケミオです。


ほんのわずかだけ、体験できました。

心底、心が落ち着く状態を。


何日か前に、私は「心が落ち着いたことがない自分に気づく」と書きました。

私が飢えていたそれを、お天道様は察して、お与えになってくださったのかもしれません。


この体験のきっかけは、EMDRでした。

セッションの中で、私は子どもの頃の自分の手を握り、遊園地で思いっきり遊んであげたのです。

そこでは、大いなる安心や気持ちの安らぎに限りなく近い状態を、子どもの頃の私を通じて感じられました。

ホロっと、涙が出てきそうにもなりましたが。


そして帰宅後、ベッドに横になり、その体験を追認してみました。

完全に落ち着ききってしまい、体が動けなくなるほどの安らぎを得ました。

こんなのは、初めてのことです。


これを書いている今は、それから時間が経っています。

しかし、EMDRの後からこの体験を挟んで、頭がまだ、緩やかにグルグルと混乱している状態です。


飢えていたくらいですから、この体験は私にとって、とても大きな意味を持つと思います。

一方で、この体験のきっかけとなったEMDRの最中、裏では母親の目に余る見栄の張り具合というか、そんなものもすごくよく見えました。

祖父母の家で親戚一同が集まっている時に、私を立派なデキる子に見せかけようとしているシーンが思い浮かぶ時間があったのです。

私が素のままに行動するのは、押さえつけるようにして。


これはある特定の記憶というより、「親戚の前でも私はいつもそうさせられていた」というイメージ像です。

このイメージの中で、今の私が母親に入れ替わり、「もっとありのまま自由でいいんだよ」と促しました。

子どもの私はちょっとポカンとし、その場ではまだ半信半疑です。

それから遊園地で、一緒に遊んであげたという次第でした。


順番が前後した上に、話がそれてしまった感じですが、「この母親、どうしようもない人だな」と思ったのは、もちろん今の私です。

今やべつに怒る気も起きませんが、「もうなんなの!?」というアホらしさ。

これについて続けようと思いましたが、それもアホらしい気がしたのでやっぱりやめにします…。


話は変わり、今日の話からは余談になります。

ここ一週間で、自分が過去の記憶に強烈なフタをしていたことに気づきました。

おそらく普通の人は、過去のあんなことやこんなことから、それにつながる今の自分を自分として、認識していることでしょう。

これは至極当然で、当たり前かもしれません。

しかし私は、義務教育あたりまでを全く無いものとして生きようとしていました。

あまりにも過酷で辛くて、見るのが怖かったからです。

まるでパンドラの箱に詰まったその記憶を、こじ開けて辛くなったのが、最近の私でした。

辛くなったことで、やっぱり私は過酷な子ども時代を過ごしていたことを、よく理解した次第です。


そんなこんなですが、今日のところはまた一歩進歩したと思うようにします。

心を落ち着けて、また明日です。


今日もお疲れさまでした!

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