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心おもむくままに

ロバート・ブラウニング作 上田敏訳
 「春の朝」
 
  時は春、
  日は朝(あした)、
  朝は七時(ななとき)、
  片岡に露みちて、
  揚げ雲雀(あげひばり)なのりいで、
  蝸牛(かたつむり)枝に這い、
  神、そらに知ろしめす。

  すべて世は事も無し。

一.妻の入院
 「なべてこの世は事もなし」 まだ若き頃、この名句そのものの様な日が続いたのを懐かしく思いだす。
 年を重ねると共に、様々な出来事が去来し、慌ただしさの内に日々が過ぎ去る。

70代を迎えたある日、朝起きて、いつもの様に仕事に出かける。
 家内は耳鳴りがするとかで、近所の耳鼻科に受診した。診察を受けている途中で急にめまいがしだした。普通に立っているのが困難になり、先生の進言で総合病院の耳鼻科を受診したところ、即刻、緊急入院となってしまった。

 連絡を受けた私は大慌てで病院に駆けつけた。
当の本人は横になっていれば特に問題はないと言うことで、先ずは安堵の溜め息をつく。 緊急入院で準備もなく入院した為、入院の手続きやら妻の日用品を運ぶやらで大忙し、やっと全てが終った頃には日も暮れなずみ、疲れ果てて、一人我が家に帰る、何時も居る家内が居ないと、思いもしなかった空虚感を覚える。さて夕食を思ったが、はたと困った。そうださっき家内が家に帰っても何もないからコンビニで好きな食べ物を買って帰るように言ってたっけ 疲れた身体に鞭打って、トボトボと近くのコンビニに出かけた。 

 今まで食事の支度は勿論の事、家事全般、総て家内におんぶに抱っこだった私は、家内の退院するまでの数日間、てんやわんやの大騒ぎを演じた。
 古来、男やもめに蛆(うじ)がわき、女やもめに花が咲く、と云う。これは妻を失った男性や,一人暮らし男性は,不精で不潔な環境にあるのに対し、夫を失った女性や一人暮らしの女性は,身綺麗で華やかであると云う意味である。

 家内が数日居なかったため、台所を始めとして。家中ひっくり返した状態になり退院した家内は台所は勿論の事、家中の後片付けに追われた。今はやりの、ゴミ屋敷と云ったあんばいである。すいません
 家内は自分がいないと、この家はどうにも、立ち行かなくなると、たっぷりと認識させられたらしい。


二.炊事
 家内の入院で大騒ぎを演じた私は反省猿となり、大いに反省!家内から、お米の炊き方を含めて、炊事から家事全般の手ほどきを受けるはめに陥った。しばらくすると努力?のかいあってか、初歩の初歩くらいは、家内がいなくても、曲がりなりに、食いつなぐ、くらいのことは出来るようになった。
コケの一念、下手は下手なり、やってみれば、何とか形になるもんだ。


三.近所のお父さん
 5年ほど前、近所の家内の友人が心労でうつ病になってしまった。家内が時々食事を運んだりしていたが病状が進み、食事を持っていっても食べられないから持って帰ってくれと言うようになつてしまった。

 ご主人も手に余るようになり、相談を受けたので地域包括センターに行くよう進言し行政の援助を受け、奥様の食事は何とかなるようになった。

 所が、またまたご主人がお出でましあそばした。「家内の方はいいのだが、俺の食事が困る、コンビニやスーパーの弁当は味が濃すぎてうまくない、弁当屋に頼むと高い、行政は自分の分は自分で面倒を見ろと言う。俺の飯はどうしてくれるのだ」と息巻いている。何とか頑張って、食事の支度をして下さいね!と説得してやっと、お帰りいただく。


四.息子と娘の孫息子
 こんな事黙っていたら蕁麻疹が出る、早速息子と娘の孫息子に、どうだそれに比べて俺様は、お家内(おっかない)がいなくても、冷蔵庫をかき回し、冷凍したチャーハンを温めて食べたり、カップラーメンにお湯を注ぐくらいの事は楽勝だよと自慢げに、(心の中では、この奥ゆかしい謙遜ぶりを見てよ)と小鼻のわきをヒクヒクさせながら話をした。ところが二人とも、鼻の先でせせら笑って、フン!
 後で聞いたら息子も孫息子も料理上手で家族に喜ばれる存在だそうだ。トホホ!
私の年代は、「男子厨房に入らず(立たず)」の時代で、私の母親は私に、台所の手伝いは決してさせなかったものである。
 現代は亭主が、家事の手伝いをしない為、離婚されてしまった例がある。嗚呼なんたる事か。


五.私の友人の話
 友人の娘が孫を連れて帰省した。(来て嬉し,帰って嬉し孫の顔)楽しかったけれど孫の世話はだんだん大変で疲れるやー。本題はこれからだ「しかしなー,俺が家事を手伝わないのを女房が娘に大分愚痴ったらしい、娘が帰った後俺の部屋の戸に,老眼の俺にも良く見えるようにでっかい字で、墨痕淋漓と墨の色も鮮やかに(八十過ぎたら結婚解消,これからは唯の同居人)と書いて張ってあった。娘は怖いよ、俺になんの遠慮もなしにものを言うから」と嘆くことしきりである。「仕方がない事だよ、お前もこれからは少しは頑張ないとな」と、慰めておいたがこれからどうなる事か?おとっつあん、にも色々苦労はあらーなー!


六.古き良き?時代
 家内の両親は明治生まれで、九州は佐賀県の出身である。明治時代の佐賀では、男優先の社会的風潮が色濃く残っていて、当時の男は、メシ、風呂。寝ると一日に三言、しゃべれるだけでいい、余分なことは云うなと育ったそうである。私の生まれた昭和の初期でも男女の格差があり、男が台所の立つことは少なかった。私と現代の若い方々との間には、大きなジェネレーション ギャップがあり、価値観を共有することの困難さを痛感している。今の若い人々のように融通無碍(ゆうずうむげ、行動や考えが何の障害もなく、自由で伸び伸びしていること)な生き方を見習はなげればならないと思っている。昭和は遠くなりにけりの感多し。


七、朝食は心も身体も豊かにする

最近はこんな朝ご飯を作れるようになった

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