チェコ語の翻訳/Wunderkammer

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フランチシェク・ランゲル「夢を売る人」

 ぼくの父さんはすこし変わった商売をしていた。夢を売ったり買ったりする仕事だ。  毎朝、鞄を背負って街の通りに出ては家々の中庭に向かって声を張り上げる。「夢、買います!」生地職人、皮や骨の商人と同じ、歌うような声を出していた。「夢、買います!」  夢はシャボン玉のような形をしている。ご存じですよね。子どもが遊ぶシャボン玉のことは。シャボン玉と同じで、夢は壊れやすく、ふわふわと飛び、軽くて、透き通っている。無色のものもあれば、色がどんどん変わっていくものもある。手の上にのせ

    • ヴラジスラフ・ヴァンチュラ『マルケータ・ラザロヴァー』 第1章(3)

       夜が空けると、コズリークは二十名の騎士を引き連れ、ミコラーシュと他の者をロハーチェクに残して、オボジシュチェに針路を取った。  悪い出出しはまだ見ぬ未来を象徴する。コズリークの馬は興奮して後ろ足で立ち、前進を拒んだ。国王軍が接近している中、二手に分かれるのは好ましい事ではなかった。盗賊達よ、背後に軍が迫っているというのに、追走するとは何と愚かなことか。隠れ家は敵の思う儘だった。早計に失した。  コズリークの一団は家畜の群れの如く遁走した。猛進したはいいが、極寒の余り、正

      • ヴラジスラフ・ヴァンチュラ『マルケータ・ラザロヴァー』 第1章(2)

         ラザルの砦はオボジシチェと呼ばれていた。嗚呼、何と恐ろしい隠れ家か! ミコラーシュの姿を見るや否やラザルと部下たちは鍵を池に落としたかのように駆け出した。煙のような髭を貯えた老ラザルは門の前まで出ていった。来訪者が初めに言葉を発するのが慣わしだった。  何かを切り出すよりも挨拶する方がミコラーシュには好ましかった。暫く沈黙が続いた後、ラザルは自分の手下に出会わなかったかとミコラーシュに尋ねた。「若い奴をコズリークの許に送った」言葉を続けた。「助けを求めた。ロハーチェクは堅

        • ヴラジスラフ・ヴァンチュラ『マルケータ・ラザロヴァー』 第1章(1)

          第1章  狂気は計らずも瀰漫する。此の話の場所を不穏な時代のムラダー・ボレスラフに設定するがよい。それは、文字通り盗賊まがいの振る舞いを見せ、血が流れても笑みを浮かべる貴族に四苦八苦していた王が曲がりなりにも街道の安全を確保しようとしていた時代のことだった。我が民族の高貴さ、優雅な道徳を存じている貴方は焦燥感に駆られるだろう。会食の折にテーブルで水を零せば料理番は遺憾に思うが、今から私が話を始める男共は悪魔の如く血気盛んになる。種馬に喩えることすら躊躇する荒くれ者だ。貴方が重

        フランチシェク・ランゲル「夢を売る人」

          書評:メシャ・セリモヴィッチ『修道師と死』(三谷惠子訳、松籟社、2013年)

           ある日、肉親が不当に逮捕され、二度と会えなくなったとしたら、どういった感情が胸に去来するだろう。しかも当の本人が宗教者であったとしたら、心に芽生える「憎悪」という感情を克服できるだろうか?  舞台は、オスマン帝国時代のボスニア。スーフィー派の修道師――イスラームの神秘主義を信奉する修行者の意――アフメド・ヌルディンは信徒の多いテキヤ(道場)の導師として、人々から尊敬される日々を過ごしている。だが弟が理由もなく逮捕されたことで、アフメドの心の平穏が揺らぎ出す。宗教者として「

          書評:メシャ・セリモヴィッチ『修道師と死』(三谷惠子訳、松籟社、2013年)

          ベドジフ・フォイエルシュタインの足跡

           多彩な芸術家フォイエルシュタイン  大正時代が終わりを告げ、昭和が始まる1926年、ひとりのチェコの建築家が日本に上陸を果たしている。それは、前衛芸術集団デヴィエトスィルの一員としてチェコでピュリスムを広め、カレル・チャペックの戯曲『ロボット RUR』のプラハ初演(1921年)で舞台美術を担当するなど、1920年代のプラハ美術の最先端を走っていた人物であった。彼は、建築家として聖路加国際病院のプロジェクトにも関わり、建築家土浦亀城、信子らとの交流を通して、その痕跡を日本の地

          ベドジフ・フォイエルシュタインの足跡

          ヨゼフ・チャペックと戦争

          1.二つの戦争  ヨゼフ・チャペックとカレル・チャペック。邦訳の点数だけみると、弟のカレルが圧倒的に多いため、兄ヨゼフについては「カレルの文章に挿絵を提供した画家」としてしか知られていないかもしれない。しかしながら、批評家F・X・シャルダが 「[ヨゼフは]世界を独特に眺める強烈な詩人であり[……]、カレル・チャペックは詩人というよりも、文明社会の意識を明確にもった重要な作家だ」[F. X. Šalda: Kritické projevy X. Praha: Českoslo

          ヨゼフ・チャペックと戦争

          〈プラハ〉というバイオリンを奏でる時

           1938年――ミュンヘン会談が行なわれる数か月前――、ある一冊の本がプラハの書店の店頭に並ぶ。詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァル(1900‐1958)による『プラハを歩く人』である。同年3月にみずからが立ちあげたチェコスロヴァキアにおけるシュルレアリスト・グループの解散を一方的に宣言した後ということもあり、都市プラハにオマージュを捧げる同書にはシュルレアリスムに対する言及はほとんどない。それに代わってネズヴァルが用いるのが「新しい感性」という言葉である。詩人は、プラハをバイオ

          〈プラハ〉というバイオリンを奏でる時

          公開終了

          非常事態宣言が出ていた今年4月に公開を始めたチャペック『白い病』、多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。本日(2020年9月15日)をもって、公開を終了します。全面的に改稿した同翻訳は、岩波文庫から刊行されます。noteでお読みになった方も、ぜひ手にとってみてください。

          飯島周先生の想い出

             去る7月18日、飯島周先生が鬼籍に入られた。追悼の意を表して、以下では、先生との個人的な想い出を綴ってみたい。  私が初めて飯島先生にお会いしたのは、今から三十年ほど前の1991年のこと。同年に設立された東京外国語大学のチェコ語専攻の授業に、非常勤講師として出講されていたのだった。当時、同専攻には千野栄一先生しか専任の教員はいなかったため、千野先生のたっての要望で飯島先生に非常勤をお願いしたと伝え聞いたことがある。噺家のように話が巧みでウィットに富んでいた千野先生に

          飯島周先生の想い出

          ハヴェル「選挙について」

          「あなたの代わりにすべてを解決しますと約束する人たちを支援しないでください。そういった人たちは、あなたには、ただ黙り、耳を傾けていてほしいだけ、動いてほしくないだけなのです。独裁者のような傾向を持っている人、つまり、頻繁に意見を変える人を支援しないでください。そういう人たちは、他の人と合意できず、向こう見ずで、浅はかで無責任な解決ばかりを提案します。そういう人たちが望んでいるのは、私たちの社会的な事柄を中央で管理することへ回帰することなのです。」 ヴァーツラフ・ハヴェル、1

          ハヴェル「選挙について」

          チャペック『白い病』文庫化のご案内

          みなさん、こんにちは、阿部賢一です。 カレル・チャペックの戯曲『白い病』の翻訳ですが、noteで公開したところ、たいへん多くの方に読んでいただきました(2020/6/26現在、総計で1万7千ビューを超えました)。予想以上の反応に驚いていますが、同時にチャペックの先見性を感じていただけたのではないかと思います。奇しくも今年2020年は、チャペックの代表作『ロボット(R. U. R.)』(1920年)の刊行から百周年に当たります。あらためて、チャペックの作品を読み直す機会が到来

          チャペック『白い病』文庫化のご案内