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〜介護福祉士の母〜

今日は、母の日ということで介護福祉士として働いている母のことを書いてみたいと思う。

私の両親は、わたしが10代の頃に離婚しているが父母ともに再婚もせず元気に暮らしている。

母親は、大正15年から続いてきた老舗せんべい屋の娘でまさに商売人特有の気質がある。
私が子供のころは、誰に対しても臆せずチャキチャキ母さんといった感じだったので恥ずかしい気持ちもあり、私の友人たちには極力合わせないよう…といつも考えていたことが印象に残っている😓地元東北から出て教員に就き、その後は私たち3人の子育てをしながら介護福祉士に転身して〜約30年〜

さて、わたしは仕事の幅を拡げたく、高齢者や障害者を意識したバリアフリー工事の知識を高めていきたいと思っており、いろいろ調べていくうちに「福祉住環境コーディネーター」という資格を知った。

そのため、とくに深く考えず母に介護業界の実情を聞いてみたところ、どこでスイッチが入ったのか分からないが、気づいたら母とビジネスの話しに…(笑

わたし自身、50歳手前になっていまさら気付いたというのもなんですが、、😅
母のイメージが180度変わってきた😳

父(超❗️亭主淡白&主君)は母より歳の離れたバリバリの商社マンだったことと、田舎の老舗煎餅店の箱入り娘が教員を辞め嫁いで上京してきたという流れから、チャキチャキ母さんではあったが明るく元気のよい母というくらいで、失礼ながら田舎から出てきた世間知らずの優等生といったイメージだった。
※父は落ち着いたのか、今や超❗️良い爺ちゃんです^_^父とも関係性が変わってきたので、父の日にでも書いてみようと思う。

〜母親像が一転〜
母から、実は介護の事業を立ち上げたかった、ビジネスは収益を考えなければならない、綺麗ごとだけではダメだ、、
などと、矢継ぎ早に出るわ、出るわで、、、、福祉・介護業界の背景から事業計画まで幅広く考えていたことに加えて、ビジネスの本質的な話しにも聞き入ってしまった。
ここでは書けないくらい「先行投資」「金」という言葉も連発でしたが😳
まさに、商売人の血が騒いだのか…!(◎_◎;)

介護業界の重労働や精神的なキツさに対して給与が低い。確かに離職率が高いのも頷ける🤔
ちなみに、私の妻は画家として活動をしながらも訪問介護に従事し、義母も元ケアマネジャーという環境にいるため今後も現場の実情を聞いていきたいと思う。

母とビジネスの話しでコミュニケーションも増え、良き相談相手になるとは不思議な感覚、、
いままで連絡を取り合うことが恥ずかしいイメージも持っていたので、40年以上一定の距離を保っていたが、いまは「母強し」という言葉が浸透し始めています(^○^)

ちなみに、母も息子たちと普段連絡を取り合わないことに珍しいパターンだと同僚によく言われていたそうだ。さらに、息子が心配ではないのか?冷たい母親では?とも言われたことがあると言っていた。
※特別仲が悪いなどまったく無いのだが、1〜2年くらい連絡を取り合わないなんてことも普通な親子だった。

最近、その話しも初めて聞き、2人で「うちら親子関係は少しおかしいらしいよ」と笑いながら話していました(^^)

何はともあれ、母が元気なうちに親子間のコミュニケーションを取れたことは良かった。
実は、母が亡くなり相続発生した際に「負」動産となるであろう不動産を所有している母とは元気なうちに相続対策の話しをしてこようと思っていたところだったからだ。
また、「実例」として書きたいと思う( ̄∇ ̄)

〜まとめ〜
母からしたら私は初の子だが、実はわたしが幼少期に障害者(大腿骨頭壊死症:ペルテス病)になったことで、苦労=愛情が強かったのだろうと理解していたことも「母の日」に合わせて書こうと思ったきっかけの一つである。

母親の存在の大きさは別格であることに、この年齢で気付いたことが恥ずかしいやら嬉しいやらで複雑だったことも気付きの一つ。

改めて、母親の偉大さを受け止めながら私自身も、父親として後世に恥じない生き方をしなければならないと思うようになった。
自分が出来る社会貢献を模索していこう。

<最後に>
わたしは、長いこと住宅業界に従事してきており、現在は相続対策や不動産売却、空き家利活用、住み替えアドバイスなど、老後のライフプランを含んだ提案をしています。
常に幅広い視点を持ち、新しいことに取り組んでいこうと考えています。

福祉関係、介護従事者の方との繋がりを増やしていきたいので宜しくお願いします♪♪

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