見出し画像

安楽死とか介護施設とか老人ホームとか

 健康のことだけでなく、人の死について、いろいろと気になる健康オタク主婦です。

 夫が『いのちの停車場』という小説を読みました。医療現場で、様々な人の死を通して、安楽死について考えさせられる本だそうです。


 私は、若い時から、死についてよく考えていました。
 私自身、自殺を考えたことがあったり、同い年の従姉妹が二十歳の頃、自殺したのもあったり、で死を身近に感じていました。

 そして、テレビや本、ネットを通して、安楽死という死に方があることも知りました。

 海外では、安楽死を受け入れてる国がいくつかあるようですが、日本では、受け入れられていません。

 私は、安楽死に賛成しています。

 本人が、身体を自由に動かすことができない状態で、身体的、精神的苦痛を感じている場合や、脳の機能が停止して、意識がない状態で、回りの人が楽にしてやりたい、と思っている場合は、安楽死が認められてもよいのでは、と思ってしまいます。

 本人が苦痛を感じているのに、回りの人の(エゴのような)生きていてほしい、生きるべきだ、という思いで、生きさせられるのは、拷問に近いように、私は感じてしまいます。

 この話になると、介護施設や老人ホームにいるお年寄りに対しても、似たような気持ちを持ってしまいます。

 そういう施設にいる、認知症が酷く、自分のことも回りのことも分からない状態で、身体も動かない人は、生きている意味があるのだろうか。

 何だか残酷な、冷たい意見になりますが、そういう人を、薬を使ってでも長生きさせてあげたい、と私は思いません。

 身近な人には、長生きしてほしい、と思いますが、それは、その人が元気に過ごせている状態であって…。

 普通の生活ができない状態で、病気になって苦しい思いをずっとしなければならないなら、死を選んでもよいのだろう、と思うし、自分で死を選べないほど分かっていない、苦しい状態なら、回りが死を選ぶ、という方法もあるのかな、と思います(回りが死を選ぶのは、本当に難しく、できる限りしたくない決断ではあると思いますが)。

 身も蓋もない話になりますが、安楽死が受け入れられると、介護施設や老人ホームの人手不足、医療費の問題も、多少は解決するのかもしれない、と思ってしまいます。


 私には、施設に入っていて、認知が進んでいる祖母がいます。

 祖母に会いに行くと、私のことも回りの人のことも、分かったり分からなかったり。

 自分は何処にいるのか分からない、回りの人が何言ってるか分からないので恐い、と不安な気持ちを訴えてきます。

 そういう祖母を見て、母は、元気に過ごせてるから良かった、いつまでも長生きしてほしい、と言います。

 私も、長生きしてほしい、と思いますが、祖母の言葉を聞く度に、祖母自身は、ここで長生きしたいのだろうか、と思わずにはいられません。


 今の日本では、安楽死が、まだまだ受け入れられそうにありません。

 私は、生きてるか死んでるか分からない状態で、薬で生かされるのは嫌です。

 健康寿命を少しでも延ばして、介護される期間を短くしたいと思っています。

 そのためにも、栄養のある食事、適度な運動、十分な睡眠を続けていきます^_^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?