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樹木の時間/人の時間

2021年8月11日(水)
東日本大震災の発生から10年と5ヶ月。

世はオリンピックが終わり、盆へと向かっている。
8/6は広島、8/9は長崎の「原爆の日」を迎えた。
新型コロナウィルスの感染拡大が止まらず、またもや「セーブモード」な夏なのであった。
国家プロジェクトだけは遂行された。

さて、震災復興の話を毎月11日に書くことにしている。

今回は、津波で流失した防風林・防砂林や屋敷森などの森の話を少しだけしたい。


仙台平野での津波被害では、多くの防風林・防砂林や、各家々の屋敷森も被害を受けた。
砂浜から続く海岸林(防風林・防砂林)の松は、壊滅的な被害を受けた。
その地域の先祖が長い年月をかけて植え育てた海岸林は、沿岸部の暮らしには必要不可欠なものだった。
震災から2〜3年くらいは、地域の会合やワークショップなどの場で
「海岸林が無くなってしまって、波の音が怖いくらい聞こえるようになった」
などの声を聞くことが多かった。
森の跡地に立ち入らずとも、地元の方々は、暮らしの中で大きな環境の変化を感じ取っていた。
そして、海岸林はそれくらい、役割を果たすものだったのだということがわかった。

一方、仙台平野やその近郊では、屋敷森を「居久根(いぐね)」と呼び、暮らしの一部として手入れされてきた「文化」があった。
あった、と書かなければならない状況だった。
これもまた、震災後のまちづくりの過程等での聞き取りでは、主に高度経済成長期を境に地域の人々の暮らしぶりが大きく変わり、それまで「常識的」に存在していた居久根は激減して行ったことがわかる。
それでも、2001年ごろの写真を見てみると、緑豊かな環境が敷地内に展開されていた様子が見てとれる。

残っていた暮らしに近い緑の環境も、津波によって大きく被害を受けて、更に激変する。

こうした、海岸林や居久根などのみどりの再生を掲げて、官民協働のプロジェクトとして「ふるさとの杜再生プロジェクト」が立ち上がった。

地域の支援として居久根の再生に関わる一方で、都市デザインワークスは、業務の一環として、このふるさとの杜再生プロジェクトのサポート業務も行っている。
(私の場合は、「いた」という過去形になる。)

みどりの再生、杜づくりのための計画を立て、同時並行的に植樹作業や育樹作業を行った。
官民協働と書いたが、NPO団体や地元町内会、企業まで様々な立場が集結したもので、様々ノウハウや知恵やリソースを出し合って、イメージを共有したり、作業にあたった。

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このディスカッションの中で、ちょっと忘れられない言葉がある。

「樹木の時間と人の時間は違う」

というものだ。

この字面だけでは、しごく当然のように映るかもしれない。
ただ、人が植え育てていくことを考えた場合、樹木や植物を扱う為の「時間」をよくい表していると思う。
30年プロジェクトと言いながら、どうしても年間や直近のことしか考えられなくなる。
そんな時に発せられた言葉で、ハッとしたことを覚えている。

同時に、ほんの少し気が遠くなったり、しかし、立派な森になって次世代にバトンタッチできた(良い形での)姿を勝手に思い浮かべてみたりした。

よく考えてみれば、環境を組み立て、育てていくことは、このくらいのスパンで考えないとならないのだ。
まちもそうだ。例えば、建築が代表されるように語られることが多いが、建築単体のサイクルではなく、もう少し広い視点が必要だろう。

プロジェクトの話に戻るが、これまでに仙台市内の海岸林の植樹は概ね終わり、育てていくフェーズに移っている。
初期に植えたものなどは、だいぶ「森」っぽい姿になってきた。

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(これらの画像は、2020年10月17日の育樹会時に撮影したもの。)

でも、これからが肝要なのだ。
人が入れ替わりながら、ゆっくりと樹木に寄り添って育てていってほしいものだと思っている。

…と、書くとなんだか他人事になってしまうが、私も引き続き個人として協力できればと思っている。

▼新型コロナウィルスの感染状況が不安な中ではあるが、育樹会は定期的に開催されているので、遠近問わず、ご興味おありの方は是非ご参加ください。


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