kenny

東北某県でのんびり小説を書く新聞記者。小説作品の投稿はしませんが、書く中での気づきをメ…

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東北某県でのんびり小説を書く新聞記者。小説作品の投稿はしませんが、書く中での気づきをメモとして残すのでご笑覧頂ければ幸いです。早大第一文学部仏文学専修出身。

最近の記事

新年の挨拶(簡単な振り返りも含めて)

noteでだけ新年の挨拶をしてませんでしたが、2023年明けましておめでとうございます。 山形県での新聞社では置賜担当を離れ、庄内最上担当に配置換えとなって三年目となります。同時に現職も七年目となりました。 小説のほうは昨年の今頃に取材先の新庄市で車を運転していて突如向こ うからやってきたものを形にしたのですが(なんか新庄市さんありがとうございます)、その過程で自分なりのスタイルは確立できたような気がします。 世田谷パブリックシアターでアルバイトしていた際に大学院生に混

    • 落語『浜野矩随』に勝手に感心したとき

      先日、仕事帰りに山形県村山市の甑葉(しょうよう)プラザに寄って落語を聴いてきた。仕事で取材して以来、年齢を超えた友達と自称させて頂いている「村山市落語を楽しむ会」の石井知征さんから案内が届き、今年冬の寄席を開催するという報せがあったからだ。 今回の寄席はまた、10月に亡くなった六代目三遊亭円楽(旧・楽太郎)師匠の追悼寄席として、交流のあった石井さんが今までの写真や襲名披露の思い出を展示して振り返り、お二人の素敵な関係性が垣間見えた寄席となった。 寄席に来た噺家は三遊亭王楽

      • あえて言う。問題はコンテンツではなく、レイヤーではないのか??

        秋になり、純文学のほうは公募の主要新人賞の受賞作がほぼ出揃う季節になってきた。 どの新人文学賞の結果にも共通するのは、作品の発想の突飛さに比して選考委員の評価は低調となる傾向があることである(『新潮新人賞』が特にその傾向が強かった)。更に言えば、面白い、突飛な作品が受賞したとしても、受賞者はその後同じくらいにインパクトのある作品を書き続けられない傾向があることである(むろん村田沙耶香氏や李琴峰氏のように大化けするような例もあるが)。 私は不学と凡庸と煩悩の塊なので、各賞の

        • 私と卓球~コウメイ先輩のこと~

          「卓球部はスクールカーストの底辺」といわれる。スクールカーストという概念自体が恣意的という話はさておき、当事者としては理由があると思う。 ほかのスポーツに比べ、少年少女における卓球は基本的に白か黒かの世界だ。強くなりたいというモチベーションがなければ基本の反復もものにならない。基本ができなければ上達しない。上達してより上に行くためには高いアスリート意識と自己管理能力が必要となる。上の試合でさらに勝つためには自分の戦型(前陣速攻やカットマンなど)と強みを知り、更にそれを活かし

        新年の挨拶(簡単な振り返りも含めて)

        • 落語『浜野矩随』に勝手に感心したとき

        • あえて言う。問題はコンテンツではなく、レイヤーではないのか??

        • 私と卓球~コウメイ先輩のこと~

          純文学で伸びる人は、推しの日本語作家を持っている人

          先日、歌人の小佐野彈氏がTwitter内で新人賞に言及していた。「①狙わない②奇を衒わない③定型へのリスペクト」。これらの基本を超徹底すること、が新人賞の鍵だ、的なことを述べていた(小佐野氏は2017年に短歌研究新人賞でデビュー)。 私もこれに同感だ。新人賞や芥川賞の選評を見ていると(芥川賞はここ一二年ほど全くチェックしていないのだが)、設定が奇抜な「だけ」の作品が選考委員に厳しく叩かれ、行っても最終選考で落とされるのが純文学なのだという思いを強くする。長らく新人賞選考委員

          純文学で伸びる人は、推しの日本語作家を持っている人