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尊敬する女性の話

フェミニズムとはなにか

僕がSNSをよく見てるからか、フェミニストという言葉を近頃よく聞く。フェミニストとはフェミニズムを推進する人たちのことだ。
フェミニストといえば、男性への嫌悪に溢れた女性が自分達の権利を声高に主張して、被害者意識を増幅させてすぐ性的搾取やらセクハラやら言い出す始末に負えない連中、という印象を持つ人もかなり目立つ。
その作為的に歪曲された印象は、ヴィーガンにおける肉屋でデモを起こす連中のような一部の悪目立ちする人間のせいで、そう思い込んでフェミニスト全体をそのように論じるのは誤りであろう。
では実際のフェミニズムの定義とは、どういうものだろうか。Wikipediaにはこう書かれている。

フェミニズム(英語: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称である。政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差や性差別に影響されず、男女が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。男女同権主義に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義ともいう。

Wikipediaより

歴史的に見ると女性は、男性によって虐げられて同等の権利を持つことができなかった。
日本では女性が共同参政権を手に入れてから今年で70年だ。たった70年である。それ以前の長い歴史の中で、我が国の女性は一度も政治に参入することは許されなかった。
世界を見ても男尊女卑の傾向は各国で存在しており、現代でも中東諸国など男女平等とはあまりにかけ離れた国が数多くある。イランでは妻子のいる51歳の男に強姦された16歳の少女が裁判にかけられ、姦通罪という名目で裁かれて裁判翌日に死刑に処された事件がある。これは21世紀の話だ。
このような非人道的な事件や扱いに対抗して起こった女性の権利解放運動から生まれた思想がフェミニズムであり、広義にはジェンダー平等、男女同権の主張であるが、歴史を踏まえて女性の権利拡張という意味合いが強い言葉になっている。

なぜ世界中で女性は男性に虐げられてきたのか。それは言うまでもなく男女の肉体的性差によるもので、男性は暴力で女性を屈服させることが可能だからだろう。
暴力を憎むこと、それは即ち男女問わず平等を目指すことでもある。権威主義や支配と隷従の上下関係を否定するということだ。暴力に取って代わった金や権力による他者の屈服も、全て否定したい。それが真の意味でのフェミニストの持つ信念だと思っているし、僕はそういう人間でありたいと考えている。

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怯えて暮らすのは嫌だから

僕は暴力が大嫌いだ。
体罰は許せないし、高圧的な人間が苦手だし、いじめは撲滅すべきだと思う。
20年以上格闘技をして人を殴り続けている僕が暴力を否定するのも違和感があるかもしれない。フォローとして格闘技はスポーツだから喧嘩や暴力とは違うという意見があるかもしれないが、そうとは言い切れない喧嘩の延長のような価値観が今の格闘技人気を支えているのは事実だ。そして僕も実は、格闘技を他のスポーツと同じだと思ってやってはいない。

僕の格闘技観はこちら

誤解を恐れずに言ってしまえば喧嘩に強くなりたかったし、時と場合によっては暴力を解決手段として用いることができるだけの力が欲しかったのだ。やられるくらいならやってやるぜ。
強さに憧れた僕の潜在意識の中には、弱さゆえに理不尽な目に遭うことへの恐れと対抗心があった。いくら平和を望んで自由と権利を主張しても、暴力で屈服させようとしてくる相手に対して力で上回らなければ支配されるしかないことは、残念ながら歴史がはっきりと証明している。ウクライナ侵攻もパレスチナ問題も、各国の軍事力や核保有によるパワーバランスの背景も、あるいは男女や人種による差別の歴史も、学校のいじめや動物の狩りにしたって、暴力こそ有無を言わせぬ何より強い力であることを厳然と物語っている。
力こそ正義。それが世界の真理であることは、もう受け入れるしかないのだ。

僕は暴力を憎む平和主義者でありたいと思いながら、力によって序列が決まるこの世界のルールに幼い頃から参加しようとした。それが望まぬ競争だろうと、そこで敗者になるくらいなら勝者になりたかった。
強くなりたかった。理不尽な目に遭いたくなかった。誰からも虐げられずに生きていきたかった。そのために、否定している暴力が持つ力を手に入れておきたかった。
列強が戦争を避けるために核抑止をしてるように、僕は降りかかる暴力を避けるために強くなりたかったのだ。今日の緊迫する世界情勢を鑑みると、各国が抑止のために軍事力を強化するような発想じゃ世界は永久に平和にはならないと思っているのに、僕は侵略されないために自分の軍事力の強化に努めた。

格闘技界隈に身を置き続けて自分より強い人をいくらでも見てきたから自分が強い人間だとは到底思えないんだけど、それでも客観的に見て一般社会の中に入れば喧嘩じゃまず負けることはないくらいには強いだろう。
僕はたしかに強くなった。でもそれはある意味、弱さから逃げたとも言える気がする。武器よさらばと、争いの螺旋から降りる勇気は持てなかった。

昔から舐められやすかった。
どう見ても強面ではないし、穏やかだし陰キャでコミュ障だから、つけ上がってくる奴は何人もいた。
日本は法治国家とはいえ迷惑行為を完全に取り締まることはできない。ましてや法に触れない程度の些細な言動なら、いくら不快であろうと自分でなんとかするしかない。ぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、モンスターペアレントとか、マナーの悪い客とか、歩きタバコとか、居酒屋の呼び込みとか、心底不快な連中だけど遭遇してしまったら自分で対処するしかないのだ。
僕の対処法は強くなることだった。内心いざとなればお前なんざ簡単に殺せるんだぞと思っているし、鍛えた身体とプロ格闘家の肩書きのおかげで威圧すれば多少の凄味は出せるようになったんじゃないかな。そのおかげで、幸い今まで外でトラブルに見舞われたことはほとんどない。たとえば小さな話だけど、電車の中で周りの迷惑を顧みずに股広げて座ってる奴を目で威圧して足を閉じさせたこともある。きっと僕が女性や小柄な男性だったら同じようにはいかないから、僕は無意識のうちに自分の強さを頼みに暴力の性質を活用したとも言える。

子どもの頃と比べて多少は強そうに見えるようになったとはいえ、それでも人混みに入ると他人が鬱陶しくて必ずイライラしている自分からすると、いざという時に腕力を自衛手段として使えないか弱い女性たちは、なんて大変な思いをして日々生きているのだろうと思う。ましてや若くて可愛い女性は男からの性的な眼差しを日々受けて、性被害に遭うリスクも段違いに高い中で過ごしている。
理不尽な想いを散々してきたに違いない。そういう女性がそれでも人への優しさを忘れずに、健気に懸命に社会で働く姿は、なんて尊いのだろうか。
弱さから逃げた僕が失った、本物の優しさと美しさを持つ女性への感謝と尊敬を伝えたい。

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ジェンダーギャップ指数が意味するもの

と言っても、女性全員が理不尽に耐えて生きているわけではないのかもしれない。
暴力や喧嘩の強さが格闘技以外で社会的立場に反映されるべきだとは思わないが、喧嘩になるかもしれないというリスクは男の方が理解してる気がする。一定のラインを超えた侮辱をして相手の尊厳を傷つけたら殴られるかもしれないと頭にあるからか、柄の悪い肉体労働者なんかでも線引きを弁えてると感じることも多々あった。それは多分、僕の格闘技経験が自衛に働いていたのだろう。
逆に女性の方が、僕と取っ組み合いの喧嘩になるかもしれないという発想が1ミリもない分、性格悪い女は容赦なく嫌味を言ってくる。女だから絶対殴られないと思って安心しきってるんだろうね。思い上がんなよ。
彼女たちは、理不尽な目や怖い思いをあまり経験していないのだろうか。ただ鈍感なのか図太いのか、それだけ日本が平和だということなのか。

ジェンダーギャップ指数という数字をご存知だろうか?
この指数は、経済・教育・医療・政治の4分野の指標をもとに作成され、0が完全不平等、1が完全平等を示し、各国における男女格差を測る目安として毎年発表されている。
今年も世界経済フォーラムが2023年6月21日に「Global Gender Gap Reprt 2023」として発表した。
2023年の日本の総合スコアは0.647で、順位は146か国中125位だった。
……めっちゃくちゃ低いな日本。発展途上国やん。
内訳としては、教育と医療においては高得点なのだが経済と政治で大きく点数を下げた。
たしかに、教育に関しては男女共に同じ学び舎で一緒の教育課程を受けられるし、病院に行けば男女で扱いや値段が変わることもない。男女平等に近いのではないだろうか。
ただ、経済格差はよく言われるところであり、女性が男性と同じような仕事で能力を発揮して出世していくのは困難なのが現状なのだろう。それに付随して学力差が出てしまっていることも否めない。東大生の男女比が大きく違うのも、卒業した後の金銭的メリットの差が影響しているのだろう。「女の子がそんなに勉強しても仕方ない」との声は、中高年を中心に今もよく聞く価値観だ。
また、国会議員の男女比は9:1にまでなる。これでは女性が国を動かしているだなんてとても言えない。男女共同参画社会への道のりは未だ遠い。

一昨年、森喜朗元首相は女性蔑視とも取れる失言で世間を騒がせた。その発言とはJOC評議委員会でのもので、曰く「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。(日本)ラグビー協会も今までの倍、時間がかかる。女性っていうのは競争意識が強い。まわりの発言した人に続いてどんどん言う。(理事会などで)女性の数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制を促しておかないと、なかなか終わらない」というもの。
9:1の偏った男女比がある職業で大きな権力を持つ立場にある森元首相がこのような発言をしては、女性議員やおそらく男性が大多数であろうスポーツの理事会に出席する女性は性別を理由に理不尽なレッテルを貼られてとても肩身の狭い思いをしたはずだ。失言王と揶揄される森元首相だから仕方ないと思われている節もあるが、やはり気をつけていただきたい。
この発言について、僕が以前女性ばかりの職場で働いていた頃、女性なのに肯定している人がいた。しかも立場があるのに。
「私はさぁ、森さんの発言は別に失言だと思わないな。やっぱり女の人は話長くなるもん。男の人ばかりだとすぐ終わる会議でも女の人は話すの好きだからすごい時間押すよ」
その人が抱く男女差の印象は経験則からくるものだと思うし、もしかしたら脳科学的にも傾向はあるのかもしれない。会話の目的が男は解決、女は共感とか言うよね。しかし論点はそこではないはずだ。
万人に当てはまるわけではない以上、性別を理由にレッテルを貼られて意見を言うことを躊躇せざるを得なくなったり、周囲からも真面目に取り合って貰えないことにでもなれば、それは差別以外の何物でもないはずだ。だからアレは失言なんじゃないか。
それに肯定していたその人は優しい人だから、きっと自身が女性で周りも女性ばかりだから肯定を示したのだろう。もしこれが男性についての意見ならば、マイノリティの僕がめちゃくちゃ働きづらくなるからみんなの前で堂々と支持したりは恐らくしていない。その気遣い自体がつまりは、あの発言の根底にある差別意識を認識している証拠ではないか。
女性がマイノリティの場所ではなく、マジョリティの場所だから言ってもいいと判断した。でも男性に対してだってマイノリティに対してだって同様に言えないのなら、それは差別なんだよ。マジョリティの属性内にいるマイノリティな感覚の持ち主にとっては理不尽な決めつけになるのだから、ある属性で決めつける発言をしてはいけないのよ。

さて、話を戻してジェンダーギャップ指数について。日本は146か国中125位という先進国随一のジェンダー不平等な国という不名誉なランキングになってしまった。これから是正していかなくてはならないだろう。
ただ、男性の僕が言うのも少し憚られるけど、さすがに日本はそこまで女性が生きづらい国だろうか? だって少女の売買が今も行われていたり、児童婚と呼ばれる幼い少女の強制的な結婚の数が世界一多い国、127位のインドとほぼほぼ変わらない順位である。そこまでじゃなくね?
ジェンダーギャップ・ギャップだわ。ハハハ。
これにはカラクリがあると思う。日本は世界有数の治安が良い国だ。治安が良いというのはつまり、犯罪行為が目立って少ないということだ。暴行、強盗、殺人、窃盗、その他諸々の犯罪の背景には暴力性がある。そして暴力の被害を受けるのは決まって身体的弱者である。ということは、男女差を取り沙汰されないだけで犯罪率の高い国はその分女性が被害に遭いやすいというわけだ。
犯行動機を聞かれて「誰でもよかった」と述べる通り魔殺傷事件を起こした犯人が、ヤクザの組事務所に乗り込んで暴れた事件があるだろうか? 誰でもいいと言いつつ弱そうな人しか狙わないよね、卑怯だから。
改善点は山積みだけども、治安が良いという点では日本は比較的に女性が安心して住みやすい国ではあると思う。
だから上記のように、殴られないと信じ込んで人を平気で侮辱する勘違い女も中にはいるというわけだ。

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弱くて優しい貴女へ

軽んじられて、舐められやすそうで、痴漢に遭いやすそうなタイプの大人しくて優しい女性を僕は知っている。理不尽な世の中にあっても、男性を恨む類のフェミニストにもならず性を武器にして世の中を渡り歩こうともせず、素直で優しい心を歪ませることなく周囲への感謝を忘れずに生きていることへ尊敬を禁じ得ない。
その姿は、僕が逃げた平和の理想像だ。暴力に暴力で対抗せず、恨みを募らせる様子も見せずに、愚痴を吐かず陰口を叩かず嫌味を言わず、他者への気遣いと博愛の精神で、そうとは知らず世界平和に大きく貢献している素晴らしい女性だ。
サザエさんの作者、長谷川町子さんはこう言葉を残している。

常に温かく誠実な一人の女性が、あるとしたら、社会的にどんなに見映えのしない、存在であろうとも、その人こそ、世の中を善くする、大きな原動力であると思います

長谷川町子

僕はどうやらそういう人にはなれなかった。
身を守るために武装して、やられるくらいならやってやる精神で生きてきた。
今度は身を守るために身につけた武器を、僕がなれなかった真に優しい人の権利を守るために使いたい。理不尽な世の中に、優しい人の心が歪められてしまわぬように。

世界の人々が手を取り合って暮らす世界が訪れますように。自然豊かな地球が未来永劫続きますように。僕は僕のやり方で頑張ってみよう。
優しさで世界の平和に貢献するステキな彼女にも幸福な日々が続きますように。
……しかし恋しいなぁ、会いたいなぁ。

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