「絆と威嚇」と「音楽」

音楽には集団の絆を高める作用があると同時に、集団以外の人を遠ざける働きもあります。

 例えば、ラクビ―でニュージーランド代表が試合前に行うハカは「俺たちはこんなに動きや声をそろえることが出来るくらい絆があるんだぞ、チームワークが出来るんだぞ」と相手を威嚇するためのものですし、若者の集団が大きな音でロックを流したり、軍隊が勇ましいマーチを演奏するのも、自分達の集団の結束が強いことを示して他の集団や異質な他者を遠ざけようとするものです。

 しかし、全ての音楽にそういった威嚇の側面があるかと言うと、そうではなく、子守り唄や童謡にはそのような意味合いは少ないです。

 これは、子守り歌や童謡が、IDS(Infant directed speech 乳幼児に語り掛けるときの話し方、世界共通の特徴があるとされる)をもとにしているからです。

 IDSは、高めの音、ゆっくりめ、なだらかに上昇しなだらかに下降、同じ音やフレーズを繰り返す、フレーズの切れ目はわかりやすいように他と違う特徴をつける、という乳幼児に聴き取りやすい話し方です。

このような話し方をすると、乳幼児が喜ぶので、大人たちは乳幼児と接するうちに、乳幼児の反応からこのような話し方を学ぶとされています。

 乳幼児と大人はお互いにとって最初は、異質で信頼できるかどうかわからない他者ですが、IDSによってその壁が取り払われるのです。

 ベートーヴェンはクラシック音楽を貴族だけの音楽から全ての民衆のものに開放しましたが、彼が作曲した歓喜の歌が、童謡に似ている部分(すなわち上記のIDS的特徴)があると言われるのも、この歌が分断や排除をなくすことを願う歌だからかもしれません。

(じゃあ第九の激しい部分はどうなるんだ?って感じですが、そこは異質な他者を遠ざけるためではなく『聴いてほしい』という熱情のあらわれかなぁと思います)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?