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「人生のターニングポイント」なんて存在しない

「あれで決まった」は、いつも結果論に過ぎない。
そういった勝ちや負けがプラスに働くか、マイナスに働くか、プラスにできたチームが優勝するというだけの話なのだ。
(『稚心を去る』より)


日ハム・栗山監督が著者の『稚心を去る』を読みました。


きょうはその感想、第2回です。

第1回:「目先の結果」と「未来への投資」、大事なのはどちらか?


『ターニングポイント』っていう言葉がありますよね。

野球だと、試合単位で言えば『あのエラーがあったから負けた』とか『あのヒットが起爆剤になった』とか、特徴的なプレーがよく『ターニングポイント』として扱われます。

また、シーズン単位で言えば『あのサヨナラ勝ちで勢いがついた』とか、『あの大逆転負けが悪夢の始まりだった』みたいな感じです。


これらのターニングポイントというのは、ファンが野球談義をするときはもちろん、新聞記者や解説者なんかもよく語ります。

ただそれに関して、『野球はそんなに単純なものじゃない』と一刀両断します。

そんな、たった一つのプレーで勝負が決まってしまうほど野球は単純なものではない。(中略)
そんなことで勝負が決まってたまるか、というのが正直な思いだ。
野球はトータルでやるもの。
本当の敗因は、いつもたくさんの要因が複雑に絡み合ったものでしかなく、そこにあるのは、我々が勝ち切れなかったという事実だけだ。


野球に限らず、生活のあらゆる場面において、ぼくたちは基本的にこういった『意味付け』が大好きです。

そうしたほうが、脳が楽なので。

本当はたくさんの要因が複雑に絡んで起きた結果だとしても、人間の脳はイチイチそんな大量の情報を整理するのが面倒くさいので、『Aが起きたからBという結果がもたらされたんだね』と、物事を単純化してしまうのです。

また、もしくは本当はそもそも影響を及ぼしてすらいなかったとしても、『Aが起きたからBという結果がもたらされた』と強引にでも関連付けてしまえば、AとBの事象それぞれに納得しやすくなります。

もしお互いが影響を及ぼしていないとしたら、またCやDの要因を探さないといけなくなるし、AがAという独立事象であり続けることは、人間の脳にとってものすごく負担なのです。

だからぼくたちは、ついつい野球に限らず、日常生活や仕事の様々な場面において『意味づけ』をしようとします。


『あの決起会がプロジェクト成功のきっかけだった』とか、『あの試験に落ちたことが自分の人生の歯車が狂い始めた第一歩だった』とか。

でもやっぱり人生もビジネスも、そんなに単純なものではないのです。

その結果は、そのことが起きたという事実でしかありません。

もしくはその結果は、なんらかの少数の要因によってもたらされたのではなく、数え切れないくらいのたくさんの要因が複雑に影響し合って起きたものです。


安直な意味付けで済まそうとするのではなく、『結果を結果としてだけ受け止める』という割り切りと、『その結果はどういった要因がどのように絡まってもたらされたのか』という、可能な限りの詳細な分析という2つの相反する考え方をうまく使い分けながら、正しく物事を捉えていきたいですね。



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