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「組織力」と「採用力」

この前、すごい頭の切れる先輩と話してて、聞き方として正しいのか分からなかったけど、『どうやったら先輩みたいな優秀な人を採用できるんですか?』と聞いた。

そしたら、結構予想の斜め上をいく答えが返ってきて、『問題の本質はそこじゃないと思うんだよね』と言われた。

要は、どうやって組織力を上げるかについての話をその先輩としてたのだけど、その先輩は課題の解決策はそこじゃないということだった。

結論からいうと大事なのは『入口』じゃなくて『中身』で、言い換えると、組織として大事なのは『どんな人を採るのか』じゃなくて『入ってきた人がどうすればみんな活躍できるようになるのか』ということ。


自分が、ちょっとだけ恥ずかしくなった。

ぼくは組織力向上の要因を『どんな人がいるのか』という、ある意味でその組織の外部に帰属させていた。

けどもしかしたら、組織が本来負うべき責任は『どんな人なのか』という既存の状態に対してじゃなくて、『入ってきた人がどうすれば活躍できるのか』というこれからの状態に対してなのかもしれない。

組織力の要因を、既存のもの(=外部)になすりつけるのは、もしかしたら無責任な態度なのかもなあと。


その先輩と話しながら、そういえば、少し前に読んだ転職がテーマの漫画エンゼルバンクでも、似たようなことを言っていたなと思い出した。

その漫画中でも新卒採用について主人公の所属する会社の人事が話す場面があるのだけど、ぶっちゃっけ、人なんて一緒に働いてみないとわからないんだから、大事なのはどういう採用基準で人を採るかではなく、とりあえず完全にアウトな人材だけ落として、合格のストライクゾーンは広めにすると。

入り口にエネルギーを注ぎすぎず、企業としてエネルギーを注ぐべきは入社したあとの教育だ!...みたいなことを言っていた気がする(うろおぼえ)。


さらに追い打ちをかけるように、最近似たような趣旨の記事を読んで、これはもう偶然の範疇を超えた、組織論としての本質をついたものなのかもしれないと思うようになった。


最初の先輩との場面に話をもどすと、じゃあ別に採用するのは誰でもいいのかというとそういうわけではなくて、必要なのはその企業なり組織への『愛』だという。

急にちょっとうさいくさい感じになってしまったが、先輩は至極真面目な話をしていて、ぼくも真面目に頷いてた。

なんらかの縁があって、自分たちの会社に愛を感じてくれている人がいるのなら、その愛さえあるのなら、そういった人たちが活躍できうような環境を整えること、教育することこそが、組織としての本来の役割だろうと先輩は言っていた。


とまあこんあふうに書くと、また『じゃあ愛さえあれば能力は全く問わないのか?』『愛さえあればどんな人でもいいのか』みたいな極論に陥りがちになるんだけど、あくまでもこれは良くも悪くも机上の空論の話だ。

そりゃ同じ愛があって東大とFランの人両方が受けに来たら、たぶんほとんどの企業は東大の人を採用するだろう。

あくまでも優先順位や心持ちの話であって、『入り口』と『中身』両方に注力できることに越したこともない。

なので一旦今日の話は『そういう考え方』もあるんだなあくらいにとどめておいて、ぼくもこのあたりの話についてはもうちょっとじっくり咀嚼していきたいと思う。

優秀な人材を採用できることに、越したことはないしね。

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