平成の超問題児・カブレラと、大人の事情
通常であれば当然お断りの案件なのですが、カブレラは母国ベネズエラのウィンターリーグでプレーするなどしており、若い選手への影響力が強い存在です。このため、当社のベネズエラを担当する代理人からも依頼があり、請け負うことにしました。
(代理人だからこそ書ける 日米プロ野球の契約の謎/長谷川 嘉宣)
『代理人だからこそ書ける 日米プロ野球の契約の謎』を読んだ感想、最終回です。
これまでの2回はコチラ↓
第1回 メジャーの代理人は、2~3割のクライアントからしか報酬を受け取っていない
第2回 メジャー代理人の「契約交渉」以外の仕事
最終回のきょうは、特になんかの学びのある内容ではなくて、単に『アレックス・カブレラってほんとに扱いにくい選手だったんだー』という話です。
みなさん、アレックス・カブレラという選手のことを覚えているでしょうか?
背を反らす独特な構えからHRを量産して、2002年には当時王さんが持っていたシーズン本塁打記録に並ぶ55本を打って、本塁打王にも輝いた名スラッガーです。
画像引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=vnz013-jlp01308145&d=d4_bb
ただ、性格面には少し難があったようで、筆者である長谷川さんのクライアントだったのですが、本中で唯一、長谷川さんから少しディスられている選手です。
本というパブリックなメディアで元クライアントの悪口を言うって、もうよっぽどだったんだと思います。。。
きょうのnoteの冒頭で引用しましたが、代理人を引き受けたのもすごい渋々だった感が溢れ出ています。
ということで、ここからカブレラの『悪事』をいくつか列挙してくのですが、まず2007年のオフ、長谷川さんの当時在籍していたCSMG社がカブレラの代理人を担当していた際に、カブレラはオリックスと契約しました。
2007年シーズンまでは西武ライオンズでプレーしていたのですが、年俸が高すぎるということで、FAになったのです。
西武にとっては『高すぎた』年俸ですが、カブレラにとっては妥当だと感じていたようで、そこからFAになって少し条件の落ちたオリックスとの契約内容にも不満でした。
結局、カブレラはオリックスで1年プレーした後、長谷川さんを解雇しました。
カブレラにとっては、『この程度の契約内容であれば、自分でもできる代理人報酬を払うのがバカバカしい』と感じたようです。
解約の仕方は、カブレラと長谷川さんが食事をした後、カブレラが長谷川さんに1通の封筒を渡したそうです。
なんだろうと思って、長谷川さんが帰り道に封筒を空けてみると、なかは解雇通知書でした。
これがカブレラなりに気を使った伝え方だったのかどうかはわからないですが、結果的にここで一度長谷川さんとカブレラの契約を切れました。
しかし、カブレラはオリックスとの当初の契約で、1年目の成績次第で、2年目が自動更新される契約を交わしていました。
オリックス移籍1年目、カブレラは138試合に出場して、36本塁打を放つ活躍をしたので、2年目の契約が自動更新される予定でした。
その2年目自動更新のオプションを契約内容に組み込んだのは長谷川さんなので、本来長谷川さんがカブレラから2年目分の代理人報酬を受け取る権利があります。
しかし、カブレラは代理人報酬を払いませんでした。
長谷川さんと所属する事務所の代表と2人で、カブレラの住む神戸のアパートまで向かうところまで事態は発展したのですが、結局カブレラにはのらりくらりとかわされて、代理人報酬は払ってもらえなかったようです。
そこから2年後、カブレラはオリックスで3年プレーした後、再びFAになります。
するとなんと、長谷川さんの所属するオクタゴン社を訪れて『自分の代理人になってほしい』と頼んできたそうです。
オリックスとの契約時は、ほぼ更新が決まっているような状態での契約だったので(そういう契約内容にしたのは長谷川さん)、カブレラ1人でもどうにかなったのでしょう。
しかし今回は、またゼロから新しい球団を探して契約内容をつめる必要があります。
それはさすがに自分ひとりでは無理だと判断して、長谷川さんの所属する事務所に足を運んだそうです。
長谷川さんたちにとっては、門前払いして、うっぷんを晴らす絶好のチャンスでもあります。
しかし、そうは問屋が卸さない。
いろいろと大人の事情が絡んで、結局カブレラの代理人を請け負うことになるのです。
通常であれば当然お断りの案件なのですが、カブレラは母国ベネズエラのウィンターリーグでプレーするなどしており、若い選手への影響力が強い存在です。このため、当社のベネズエラを担当する代理人からも依頼があり、請け負うことにしました。
一応、本中の別の箇所で、長谷川さんはカブレラに対して『どこかで憎めない男でした』とフォローを入れていますが、カブレラに関する記述箇所の最後のところが、一番本心に近いところではないかなと思います。
ベネズエラの代理人との関係もあったため私が担当することになりましたが、正直釈然としない気持ちも本音ではありました。
天は二物を与えずなんて言葉もある通り、みんななにかしらの得意なことや不得意なことはあると思いますが、カブレラの場合は特に『得意なこと』と『苦手なこと』の差が大きな選手ということだったんですかね。
逆にこれだけの素行の荒れ具合が大目に見られるくらい、野球の技術は素晴らしいものがあったとも言えます。
きょうの話は本当に『カブレラってそういう感じだったんだー』というだけのやつなので、これでおわり。
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