東洋人としてのアイデンティティを自覚した上海への旅
開国から150年近くが経ち、日本には西洋の文化がたくさん入ってきました。
日本がいくら経済大国になろうが、日本人の間には西洋に対する憧れがあります。
街には横文字が並び、欧米諸国から輸入した洋服が店頭に並ぶ。
日本で生まれ育った人間が、そういった西洋のセンス高きブランドを羨望する気持ちはごく自然のことなのでしょう。
さて、2024年を迎え、年始早々日本は災難続きでした。
僕は年越しを中国の上海で過ごし、そこで日本の状況を知りました。
新年早々悲しい気持ちになりました。こういった災害が起きた際に、日本人であることを強く感じてしまうものです。
今回は、年末年始の上海への旅とそこで感じたことについてまとめてみます。
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なぜ上海へ?
新型コロナウイルスで、なにかと嫌われ者のようになってしまった中国。
またコロナ以前より、日本人の間で、うるさい、列に割り込む、など中国人に対してネガティブな感情を抱く人は少なくないと思われます。
その思いはなんとなく理解できるものの、僕は政治と国民は分けて考えているし、そもそもそういった中国人のマナー面は生まれ育ってきた環境が違うから仕方ないと考えています。
そんなスタンスを取っているうちに、ふと生まれた感情がありました。
「じゃあ実際の中国ってどんな国なの?」
他人の意見、特にネガティブな意見に左右されるのはあまり好ましくありません。
だったら、実際に自分の目で見てみたい。そんな気持ちが生まれました。コロナ禍が収束したこのタイミングで僕は中国に行くことにしました。
僕自身かつて香港へ旅行に行った際に、ちらっと深圳に寄ったことはあります。しかし、宿泊していない数時間のみの滞在だったため、せっかくなら中国をメインとした旅をしてみたい。
ちょうどカウントダウンのタイミングだったため、世界都市・上海を目指すことにしました。
安めの航空券を取った都合、5泊6日と少し長めの滞在となりました。
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中国の観光ビザを取得
2023年10月、年末年始に上海に行くことを決め、うきうきした気持ちでした。
しかし、ここで中国にまつわる2つの事実に気づいてしまいます。
ひとつ、中国は旧正月にお祝いをする文化であること。
中国では昔から、正月とは現代の暦(太陽暦)ではなく、旧暦(太陰暦)の元日のことを指していました。
つまり、現代の1月1日に新年を祝うかどうかはわからない。
ネットで調べても、上海のカウントダウンの情報はあまりヒットしません。
おとなりの台湾でのド派手な花火の映像が目立つものの、上海は写真すらも見つかりません。
とはいえ、上海は外国人も多く訪れる場所です。少なくとも何かあるのではないか、と当日に賭けてみることにしました。
そしてもうひとつ、中国は日本人に対してビザの提示を求めていること。
コロナ禍が始まって以降、多くの国に対して、ビザの提示を求めていました。それは日本も同様です。
正直、お金もかかるし、時間もかかる。
あまり乗り気ではなかったものの、すでに航空券を買っているし、宿も決めていたので、引き下がることはできませんでした。
観光ビザを取りにいくしかない。
エージェントには頼らず、自力で申請をしに行き、なんとか観光ビザを発行できました。
これで準備OKです。
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上海へのフライト
12月28日、年末最後の仕事が終わり、自宅から羽田空港を目指します。
実は僕はずっと飛行機は成田空港を出発するものだと思っていました。家を出発する直前にチケットを確認したら、「成田」ではなく「羽田」の文字。
ギリギリセーフ!
運が味方してくれました。
そのまんま東、ではなく南に向かいます。
フライトの時刻は深夜2時。
終電より少し早い電車向かい、余裕で羽田空港に到着しました。
チェックインをする際にひとつ大きな事実が発覚します。
フライト時刻が4時間遅れの朝6時へ変更!
なんと!
どうせどうやら霧で飛行機の到着が遅れているそうです。
霧とは…?羽田空港の上空は澄み切った夜空が広がっていました。
無事にチェックインも出国手続きも終わりましたが、時間が余ったので空港のソファーで仮眠を取ることにしました。空港泊は慣れたものです。
周囲のざわざわした音で目が覚め、無事に飛行機に搭乗できました。今回はピーチの国際線です。
飛行機の中は圧倒的に中国人が多い気がしました。離陸前にはすでに夢の中にいました。
起きたら、もう上海の浦東空港に到着していました。
飛行機を降りた瞬間、不思議な気分に包まれます。
アジア特有の油が混じったにおい、そして喉に来る不快感。しかし気温は寒いし、東南アジアとは全く異なる雰囲気。
外を見ると数十メートル先すら目視で見れないほどの濃い霧。
、、ここが中国か。
徐々に中国に来た実感が湧いてきました。どこからも聞こえてくる中国語、漢字だらけの看板、、。
ビザはばっちり確認され、無事に入国できました。荷物は機内持ち込みだけだった為、スムーズに進んでいきます。
さて、ここから市街地まではどう行こうか。
今回の上海への旅を前に、僕は全然予習をしていませんでした。
どんなお店があるのか、どんな観光地があるのか、どうやって市内を移動するのか。どれも全くわかりません。
持ってきた地球の歩き方をここで初めて開きました。どうやら地下鉄があるらしい。
「地鉄」と書かれた看板に向かうと、地下鉄乗り場に続く改札を発見しました。
さて、どうやって切符を買おうか。
人々を見ていると、スマホをかざしている人、切符を入れている人。改札を通るには2つの種類があることがわかりました。
切符の販売機を見てみると、降りる駅を指定できました。
最初に行きたいと思っていた「外灘(ワイタン)」の最寄り駅、「南京東路駅」までの7元の切符を買います。
およそ140円。安い。
切符はQRコードで決済できました。あらかじめ日本で登録してた「支付宝(アリペイ)」を画面のQRコードにかざして、決済完了。
切符が発見されて、無事に地下鉄に乗ることができました。
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上海で観光
駅を降りて外に出ると、そこはもう上海の街でした。
漢字で書かれた看板がたくさんあり、そこにこの街の日常が繰り広げられていました。
この南京東路は上海一の繁華街で、通り沿いにはお店がたくさんあります。
ブティック、レストラン、電器量販店、お土産屋。高級店も庶民向けの店もごちゃ混ぜでした。ついに降り立った中国の街に、テンションがあがります。
東に向かって歩いて、上海随一の観光地、外灘に向かいました。
ここは川沿いの旧疎開地で、イギリス風の歴史ある建築が並びます。川の対岸には東方明珠塔や上海タワーなどの高層ビル群があり、上海を代表する場所です。
上海に来た!
心の底から高揚感を感じ、とても嬉しい気持ちになりました。旅先に着いた時のこの感じが、旅行の中で最もテンションが上がる瞬間です。
その後はホステルに荷物を置いて、お昼ご飯を食べたり、街を歩いたり、自由に過ごしました。
中国で食べる中華料理は、日本のものとは若干異なることに気がつきました。
油が違うのか、味付けが違うのか。独特のにおいがあり、ユニークさを感じました。しかし、少しギトギトしている。
ひとりでも入れる飲食店は多く、その意味では過ごしやすい場所だと思いました。
どこへ行っても人は多く、改めて中国に来たことを実感します。
しかし、外国人は皆無でした。観光客と思われる人もみんな中国人。
すでにコロナが明けて入国できるのに、外国からの観光客はかなり少数でした。
そもそも、街中では英語があまり伝わらないし、そもそも英語表記もあまりあまりません。上海は世界都市だと思っていたけれど、街中は案外その経済発展に乗り切れていないと思いました。
そんな中国語だらけの環境でも、漢字を追いかけていくと、なんとなく理解できてしまいます。漢字がわかる日本人の優位性を強く実感しました。
僕は全く中国語がわかりませんが、それでも全然困りませんでした。
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この街で感じたこと
中国人に対してうるさいとか、列に割り込んだりとか、悪いイメージを持つ人は多いかと思います。
しかし、実際に中国で生活している中国人の言動を見てみると、そういった人たちは少数派だと思いました。
別にみんなが公共の場でうるさくしているわけではないし、誰に言われなくても列を成して電車に乗り込みます。
つまり、そういった日本人が迷惑と感じる人というのは、中国人の中でも少数派だったのです。
私たちは、一を聞いて十を知った気になっていたのかもしれません。
この事実を知れて、改めて中国に来て良かったと思ったし、彼らに対して申し訳ない気持ちにもなりました。
日本人は礼儀が良い、と他国の人から言われることがあります。
それは決して自分の振る舞いが良かったわけでなく、先人たちが偶然良かっただけなのかもしれません。
その点、外国を訪れる中国人は不幸かもしれませんが、私たちは先人のおかげによって得をしていることを忘れてはいけないと思いました。
中国の環境面では、とくに「空気」が挙げられます。
空気が悪い。PM2.5の影響なのでしょうか。
飛行機を降りた瞬間から、何度か継続的に咳き込んでしまいました。徐々に慣れてくるものの、決して心地良い気分にはなりません。
これが中国にいて感じる「何かが違う」ことの一番大きな原因だと思います。
視覚的にも、それは顕著に現れます。遠くのビルが霧で見えないのです。
日によって差があるものの、悪い日にはわずか100mほどの先の建物も視界から消失してしまいます。
幻想的と言えば聞こえは良いものの、ずっと霧に包まれている感覚は不安でもあります。
冬の朝、日本では澄み切った空気に爽快感を感じるものの、中国ではそれが一切ありません。太陽の光も直接届かない為、気温が上がりづらく、晴れているのに鬱蒼としています。
僕が思っていた以上に中国は大気汚染が深刻でした。
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カウントダウン
12月31日、年越しに向けて僕は再び外灘の川沿いに行きました。
あと、数時間で年が変わる。上海ではどんなカウントダウンが繰り広げられるのか、楽しみでした。
どんどん人が増えていきます。警察も総動員で交通整理をしていきます。あまりにも人が多いので、エリアを区切って入口と出口をつくっていました。
外は寒く、僕はひたすら歩いて体を動かしていました。
対岸に見えるビルには、すでに「新年快乐」とニューイヤーを祝うメッセージが映し出されていました。
聞こえてくる言葉はすべて中国語。
ここも外国人は皆無でした。
当然、僕も日本人とは思われず、写真を撮ってください、みたいなことを中国語で頼まれます。
「是(シー)」と答え、中国人ではないことを隠しながらその場をやりくりします。
2024年まであと1分、徐々に周囲がザワザワしてきます。
僕も見晴らしが良い場所に移動してその瞬間を迎えます。
「五(ウー)」「四(スー)」「三(サン)」「二(アー)」「一(イー)」
「新年快乐!(シンニエン カイラ!)」
…あれ、、?
花火は上がらないし、そんなにみんなも盛り上がっていない。
無事に2024年を迎えられました。しかし、思っていたよりも地味な幕開けでした。
周囲の中国人はそんなに不服そうではなかったので、これが上海、ひいては中国の年越しなのでしょうか。
やはり旧正月ではない正月を祝う文化は薄いのか?
ちょっと期待外れだったものの、納得はできました。
そそくさと宿に戻ります。
帰路、振り返ると背後には東方明珠塔が輝いていました。
人がごった返してカオスな状況と、その奥で煌々と輝く近未来の電波塔に、どこか満足している自分がいました。
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杭州への小旅行
上海の5泊6日は少々長い滞在でした。
徐々に行く場所もなっていきます。空き時間に本を読むにしても、何か物足りない。せっかくの旅行をもっと充実させたい気持ちが強くなります。
そこで上海を飛び出し、近隣の都市、杭州に日帰りで向かうことにしました。
浙江省の杭州(ハンチョウ)は、上海の陰に隠れているものの、1000万人を抱える大都市です。
都市の中心に世界遺産・西湖を抱えており、中国の古都として知られています。また、大手IT企業のアリババの本社があるなど、近年ではIT産業の集積地としても知られています。
上海の西のターミナル「上海虹橋駅」から新幹線に乗り50分。杭州の「杭州東駅」に到着しました。
年明けの繁忙時だったものの、新幹線のチケットは普通に購入できました。ここでもQRコード決済です。
杭州に着いてから乗る地下鉄も、上海同様QRコード決済です。改めて便利な社会だと実感します。
杭州のことも全く何も予習していませんでした。
しかし、地下鉄を降りて西湖に向かう道の途中で偶然、「清河坊」という昔ながらの活気ある商店街に当たりました。
とても賑やかな雰囲気でした。お店には食べ物やお土産、そして漢方などが売れれており、地元民と観光客どちらも混ざった空間でした。
この通りが思いの外楽しく、気分が上がります。
杭州良いとこ!直感でそう感じました。
商店街を抜けて進むと、西湖がありました。広々として遮るものがない広大な空間は開放感があります。
湖畔は公園になっており、この旅で初めて緑豊かな自然に囲まれました。上海ではずっと人工物に囲まれていたため、自然に触れられて気持ちがリセットした気分でした。
湖は都市の中とは言えかなり大きく、対岸は霧のため見えません。
手漕ぎボートに乗れたり、湖畔沿いを散歩したり、人々が思い思いに過ごしています。
この日常に入り込み、この静かな空間に佇む。どこか神聖な気持ちを感じました。
湖を一周してみます。
西湖の湖畔には歴史的な建築が多くあり、それらと融合した景色が世界遺産に登録されています。
静かで落ち着いた時間が流れていました。都会の喧騒から離れた西湖は、日本でいう松島や天橋立のような趣があります。
湖畔をひとりで歩いていくうちに、自然と自分の心と対話していました。
2024年どう過ごしていこう。これからどう生きていこう。
これまで先延ばしにしてきたあれこれについて、深く考えました。2023年は僕にとってやりきれない一年でした。だからこそ、2024年は良く生きる。
自分が心から喜ぶことをしたい。そしてその社会貢献したい。
今後の人生の方向性が固まったような気がしました。
3時間以上ノンストップで歩き続け、外はもう薄暗くなっていました。
夕方の湖畔もまた幻想的です。
相変わらず霧が濃いものの、その景色は掛け軸に描かれているような余白のある景色でもありました。
落ち着いた心で将来を考えられ、充実感でいっぱいです。
神聖なこの湖で過ごしたこの時間は、僕にとって大きなものでした。
***
さいごに
豫園、新天地、田子坊、七宝、南京西路。ここには書ききれなかったものの、上海には魅力的な場所がたくさんありました。
中国のその長い歴史から感じる濃い文化は、僕の琴線に触れる刺激の宝庫でした。
上海と杭州というごく一部分ではあるものの、中国という国を肌で触れて、よりこの国に興味が出てきました。
また、東洋人として、西洋とは違う東洋のアイデンティティを強く実感させられました。
僕は多くの日本人同様、西洋的な文化が好きで、ずっとそれを追い求めてきました。しかし、今回の中国では「東洋的なもの」への価値を強く感じました。
東洋には東洋にしかない文化があるし、それを大事にして生きたい。日本人としての矜持も感じました。
想像以上に街は綺麗で、ゴミは落ちてない。トイレも綺麗だったし、人々も優しい。
日本人が持つ悪い評判とは裏腹に、中国は良いところでした。
政治的なところを言及するつもりはないけれど、同じ東洋人として通じ合える部分もあるのではないかと感じました。
Googleやインスタは使えないと言われているけれど、ローミングすれば全然見れます。QRコード決済により、現金どころかクレジットカードすらも一度も使いません。
中国のそのIT施策は使い方次第では、とても便利なものでした。
百聞は一見にしかず。
僕は上海という中国のごく一部しか見ていないけれど、それでも学ぶ部分はたくさんありました。
その意味でも、今回上海に行った甲斐がありました。
マクドナルドやスターバックスが跋扈している状況には、中国政府がアメリカ資本を脅威的に見る気持ちがわかります。
中国の人々も日本同様、西洋的な流行が好きなのだと、道ゆく人を見て思いました。
大衆から支持されるセンス良いものが勝ち残る。結局世の中はそういった流れになっていくのだなと、少し悲しい見方もできました。
年の変わり目に自分を振り返り、世の中を俯瞰できた。
そんな上海への短い旅でした。
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