見出し画像

パリとアムステルダム、歴史と芸術の旅。【アムステルダム後編】

今日もだらだらとヨーロッパ旅行記を綴る。前後編に分けたとか言いながら、今回もしっかり長いが気にしない。

アムステルダム中央駅前で売っているシティカードを買うと、カードの期間中はクルージングも、トラム(路面電車)も乗り放題になる。種類にもよるけど、美術館の入館料も込みのカードもある。こちらも全旅行者にオススメだ。

ぼくらはトラムに乗って、ファン・ゴッホ美術館にやってきた。アムステルダムは運河が有名なだけあって、地下鉄を張り巡らせるのには向いていない。だからなのか、みんな、移動にはもっぱら自転車かトラムを利用する。

これはぼくの個人的な見解だけど、ファン・ゴッホは、非常に素直だが同時に非常に繊細で、孤独を恐れ続ける生涯を送った人だと思う。ゴッホ美術館での体験を通じて、そう感じている。

彼が画家になると決めたのは、27歳。亡くなったのは37歳。

初期は暗い色調だったけど、パリでいろんな画家たちと交流したことがきっかけで多大な影響を受けて、少しずつ明るい色調になっていったそうだ。

そして補色を駆使した色彩表現と激しいタッチから、後年の渦巻くタッチへと変化していった。

彼は10年間の活動期間の中で、幻聴などに悩まされたり精神を病んだり、強い孤独感に苛まれて耳たぶを切り落としたりと、なかなかに壮絶な日々を送っている。そして銃による胸の傷がもとで亡くなった。自殺とも言われているが、確実な証拠はない。

これは館内唯一の写真スポット

ゴッホ美術館は、200点以上にも及ぶ、彼の素描や手紙、『黄色い家』『ひまわり』『花咲くアーモンドの木の枝』などの有名作を含めたたくさんの絵画を通じて、そんな彼の生涯に触れることができる。

おばあちゃんは、彼の生涯をどう受け止めたのだろう?

この日も夕日が最高に綺麗だった。文字通り、街をオレンジに染めていた。

夕食までの時間を部屋でのんびりしていたとき、アムステルダムのマグカップが欲しかったことを思い出して、ぼくは中心部にあるスターバックスへ行った。そのときもパシャパシャと写真を撮りながら歩いていると、黒い大きなラブラドールを連れた快活なおじさんに声をかけられた。

「やあ!すごい形のカメラを使ってるね。どこのメーカーなの?昔カメラマンだったから、すごく気になるんだよ」

「そうなんですか!これはSIGMAっていう、レンズメーカーとして有名な日本のカメラです。形とクオリティの高さが気に入ってるんです」

盗難防止のショルダー紐は持ったまま、ぼくは彼にカメラを触らせた。彼は犬のリードをぼくに預けた。

「そうなんだね〜。ここがシャッターで…なるほど、面白いもんだ。ところでひとつ聞いてもいいかい?」

「?はい、いいですよ!」

「ぼくの前の奥さんがそりゃあもうひどいBitchでさ、とんでもない裏切りにあってすべてを失ったんだよ。証明もできる。そこでさ、この子(大きな黒いラブラドール)を食わせるための援助を頼めないかな?」

一瞬だけ固まった。どうにも手慣れているようにも思えた。快活すぎて。

でも、そもそもぼくはスタバに行きたいだけだったので、カードしか持っていなかった。

彼にそれを伝えると、「それじゃあしょうがないよね。気にしないで!良い旅をね」と言って去っていった。

こんなとき、迷わずスッと出してしまう余裕を持つのは良いのか悪いのか。よくわからないけれど、「お金がない」ことと、「お金がなくなる恐怖」は人の"心の余裕"をなくし、どこまでも人を限定的にし、幻想を抱かせるものなのは間違いなさそうだ。

いくらお金があっても、全てを解決することにはならないのだろう。どれだけ稼いでも、時間がなければ、何もないのに等しいのかもしれない。

次の日、ぼくらはアムステルダム国立美術館に赴いた。建物前に設置されている「I amsterdam」というバカでかいモニュメントが有名な美術館だ。当然のごとくインスタ映えの餌食である。

ここには、オランダの黄金時代を飾った画家たちの絵画や王室で使われていたとされる食器や、デルフト陶器などが観られる。

絵画の前での授業が、あちこちで行われていた。デッサンしているこども達もたくさんいたのが印象的。

そして誰もが一度は教科書で見たことがあるであろう、レンブラントによる『夜警』もここにある(撮影OKでした)。「革新的な陰影と動きの表現が素晴らしい」と言われるだけあって、たしかに圧倒されるものがあった。レンブラント、上手い。誰目線や。

フェルメールによる『牛乳を注ぐ女』も元々はここにある作品なのだけど、ぼくらが訪れたときは、ちょうど上野の森美術館に展示されている時期だった。すごいタイミング。『恋文』は観られた。

それから、『ワーテルロー(ウォータールーとも言う)の戦い』も間近で観ることができる。ものすごい大きさに思わず声が漏れること請け合いである。とにかく大きい。人がたくさんいたのもあって、写真が撮れないほどだ。

それから驚いたのが、貴重な文献が所狭しと並ぶ図書館があることだった。中ではたくさんの人が資料として文献を参考にしながら、勉強や研究にあたっていた。これ以上の環境をぼくはまだ見たことがない。

短い時間だったけど、ミッフィーが生まれた街、ユトレヒトにも行った。ドム教会の鐘の音を中心とした、ほんとうに静かな街だった。

ミッフィー信号があるからなのか、コーヒーかビールを飲んでいるか、チャリに乗っている人がほとんどだった(すごい独断)。けれど、アイスクリームを食べながら帰る親子や、ミッフィー像に抱きつくこども達の姿もあった。

この子、すごい楽しそうに歩いてた。

世界一かっこいい散歩シーン。

アムステルダムに戻って、最後にひとりで散歩することにした。ここは『FEBO』という有名なコロッケ屋さんで、自販機で熱々のコロッケが買えるお店だ。これが結構ウマイのである。

駅前の横は自転車で埋め尽くされている。この光景見たことあるなと思ったら、大阪ミナミだった。心斎橋のあたり。フライドポテトをすごい勢いで食べながら歩くおばちゃんもいたので、ここはもしかしたらミナミなのかもしれない。

もう少し歩いて行くと、大きな橋があった。さらにこの向こうに行くと、変わった建物が多く建ち並ぶ一帯に辿り着くらしいのだけど、時間が危うかったので戻ることに。

「帰るか」と振り返ったらこれだ。アムステルダムは侮れない。

この旅で最も癒された瞬間。お土産を選んでいたときに、騒がしい声がして振り返ったらこれである。侮れないぞアムステルダム!彼らの乗るバギーにはBye-Bye-Buggyとある。これを見たのは最終日だ。可愛くて面白いという最高の偶然も、世の中にはあるものだ。

そういえば最後の日、おばあちゃんはひとつ、忘れられない言葉をくれた。

私はよく、"お前はこうすべきだ"と言われることがあったのよ。
最初はね、間違ってないし、むしろ正しいことを言っているから、
"その通りだ"って思って従ってた。
だけど、それが"私にとっての正解ではない"ことの方が多かったのよね。
時間はかかったけれど、正論はほとんど相手の都合だと気づいたわ。
自分なりに、思いやりながら、楽しんでやればいいのよ。きっとね。

正しさにかまけない、というのはとても大切だ。正しくあろうとしすぎると、息が苦しくなることもある。「いい加減だ、テキトーだ」というのは、たいてい悪い意味で使われることが多いけれど、「良い加減だ、適当だ」と見れば、途端に素晴らしい意味合いをもつ。

良い加減に、適当に生きて、素敵なジジイになろう

そんな風に感じることができた、素晴らしい旅だった。

ものっそい喜びます。より一層身を引きしめて毎日をエンジョイします。