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懐メロの歌詞を味わってみた

Apple MusicとYouTubeプレミアムを契約している。ふと、昭和の演歌で記憶に残っているものをあつめて聴いてみた。こどものころ親が聴いていたようなやつだ。子供のころは意味がわからなかったけれど、その頃の自分の親よりも年上になった今、あらためて聴いてみるとなかなか面白い。

今回は金田たつえさんの「花街の母」。もともと民謡歌手だった金田さんの歌謡・演歌デビュー曲。昭和48年に自主制作版としてリリース、3人も入れば満員の、西成のキャバレーから行脚をはじめて、昭和53年に250万枚の大ヒットに。正直なところ、この歌しか知らない。民謡出身の金田さんの歌い方とか、歌の途中ではいる一人語りみたいなセリフが、子供心におもしろくて記憶に残っているんだと思う。

主人公はバツイチで芸者として働き10代前半の娘を育てているシングルマザー。夫に先立たれて10年、死別したころは何度も自殺を考えたが、乳飲み子だった娘の泣き声で思いとどまった。

若いころ数々の浮名をながしたが、いまは盛りは過ぎてもう自分の時代じゃないと思っている。周りには娘のことを年の離れた妹で通せるくらいの年齢。アラサ金田さん自身、17歳の時に事務所の社長と結婚しているので、歌の主人公が20代だとしてもおかしくはない。自分のことを「姥桜」(若い頃は過ぎたが美人を保っている人の意)と呼んでいるので、なかなかの美人か、少なくとも本人はそう思っている。

娘を嫁に出すまでは芸者を続けたいので、厚化粧をして座敷にでて、つらい現実を酒で紛らわす生活をしている。夫さえ死なければこんな苦労はしなくて済んだのに、と思っている。

子持ちの芸者だと馬鹿にされることもあるが、娘を嫁に出す(=幸せにする)という夢がある。芸者をしていたっていつかは幸福が来ると信じて生きてきた。

金田たつえさんの公式プロフィールによると、生後80日で芸者の養女になり、養母さんが芸者のあと、民謡の先生をしながら育てられたんだそう。歌手になるため、北海道にのこしてきた養母さんの姿が重なり、何年経ってでも世に出そうとがんばったんだそう。いい話。


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