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賢人活動記録

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記事一覧

直正活動記録 20180520

大木喬任のこと
初代司法卿である江藤に次いで2代目の司法卿となったのが大木喬任じゃ。
6年5カ月の司法卿在任期間はほかに例を見ないほどの長い期間。(江藤は1年5カ月ほど)
目立たぬ大木は、地味に大きな仕事をしておったのじゃ。(直正)

直正活動記録 20180521

大木喬任のこと
大木喬任は明治14年からの4年間筆頭参議であった。
大木以前の筆頭参議は大久保利通に大隈重信。立場としては総理大臣とおなじくらいものじゃ。(直正)
※当時総理大臣という役職はまだなかった

直正活動記録 20180522

佐野常民のこと
佐野常民は西洋の近代技術の取入れだけではなく、文化の面でもおおいにはたらいた。
1868年のパリ万博にも参加し、このときにみた国際赤十字の活動がのちの日本赤十字社(博愛社)設立につながるのじゃ。(直正)

直正活動記録 20180523

江藤新平のこと
弘道館・義祭同盟で学んだ江藤は、早くから海外の情勢を意識しておった。
外国と条約を結び開国すること。才ある人を招き政治・経済・技術・学問を発展させること。
海軍を整備し北方経営を努めるべきである~という意見書「図海策」をまとめたのは、黒船来航の3年後。
江藤が二十三才の時である。(直正)

直正活動記録 20180524

副島種臣のこと
暴風に見舞われて横浜沖にきたペルー船で清国人苦力(人夫)が虐待を受けていたマリア・ルス号事件。
当時はまだ国交のないペルー船内の外国人同士の問題に日本国として関与すべきか、非常に難しい問題であった。
副島はこの難問に対し人道的な見地から裁判を行い清国人を開放したのだ。

直正活動記録 20180525

江藤新平のこと
弘道館時代、変わり者であった江藤に興味を持ったのは中野方蔵だった。
副島種臣は中野方蔵から江藤のことを「余程奇抜なところがございます」と教えられた。
江藤に会ってみたところ、その卓越した資質に驚かされたそうだ。
江藤は特に親しく交わったのが中野方蔵と大木喬任だ。
藩校への入寮が人より遅れて、身なりにもかまわず勉学に打ち込む江藤にはこのころに得難い友に出会うことができた。
このとき中

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直正活動記録 五月二十一日~二十二日

世を忍ぶ仮の姿で過ごす日

五月二十二日早朝に起床
先日のまちあるき(補佐)で参加者から聞かれた疑問について調査
「松原社白磁の鳥居は昔ここになかった問題」

博識な外国の友人寓繰殿に聞いてみたが情報なし

周辺情報を調査してみる

白磁の鳥居とは
佐嘉神社(というか松原神社)に奉納されている白磁製の鳥居
案内版によると下記の通り
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直正活動記録 五月二十日(日)

五月二十日の活動(出動予定なし)

五月二十日 晴天

起床 庭の草刈りと伸び放題の南天の剪定
気温があがる前に草刈りを実施
充電二回
うちの正雄(草刈り機)はよくはたらく

朝食を摂る
そうめん一把をゆで、納豆と卵と葱で食す
美味

献血に行く
献血は前回から二週間振り
献血中に「大隈重信と江副廉蔵」を読む
ちょうどスタンプがたまったためボールペンをもらう
佐野常民に感謝

八賢人とまちあるき

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