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「さよなら」——『さよならデパート』ができるまで(最終回)

父は、私が25歳の時に突然亡くなった。

実家から離れて、とはいえ車で15分かからないくらいの所にある借家に住んでいた頃だ。工業団地の木工会社に勤め、キッチン用の吊り戸などを組み立ていた。毎日握る電動ドリルやゴムハンマーのおかげで、腱鞘炎になるわ指が太くなるわで、「生活のために健康を支払っているのだ」なんてことを考えたものだ。

その日は休みだった。
友人の結婚式が開かれ、盛り上がりは3次会まで続いていた。
ふと携帯電話が鳴る。珍しく弟からだった。
祝いの場だし、いつもなら翌朝かけ直そうと電話を伏せるのだけども、その時はなぜか通話ボタンに親指を置いた。あまりに楽しかったものだから、その熱気を羨ましがらせてやろうと思ったのかもしれない。

「お父さんが死んだ」
しばらくの沈黙があって、弟は絞り出すように言った。

明くる朝、昔は自室だった実家の部屋で目を開いた。
布団には横たわっていたもののほとんど寝ていない。酔いが手伝って、眠りの池にちょっとつま先を浸しただけだった。

それでも、一瞬の間に父が居ないことを忘れていた。
改めて現実に気付かされて、喪失を再び味わうことになった。

母に頼まれ、死亡診断書をもらいに病院へ向かった。
腹が空っぽだったので、食欲は感じなかったけども途中のコンビニでおにぎりを買った。
運転席のシートを倒し、フロントガラスの向こうに広がる晴天を見上げながらおにぎりをかじる。皮肉なことにうまかった。

——お父さんはもう何も食べられないのに。
罪悪感のような感情に襲われる。
目尻から耳たぶまでを涙が伝っていった。

葬儀にはたくさんの人が集まった。
友人と出掛けるなんてほとんどしてこなかった父だったから、意外だった。色んな人が父の思い出を聞かせてくれて、私たち家族も過ぎた日を確認し合った。
会社を休み、しばらく実家で暮らした。悲しみがそばにあったけど、私たちは久しぶりに家族に戻ったような気がした。

『さよならデパート』はお葬式だったのだと思う。
山形は「大沼デパート」という家族を突然に失った。私が3次会を慌てて離席したように、多くの人が足早に帰路をたどったことだろう。

この場合の帰宅とは、「心の帰郷」を意味する。
住所を山形に置いていても、心も居住しているとは限らないからだ。

私は1980年に生まれ、小学生の頃には母に連れられて大沼デパートへ出掛けたり、少し学年が上がれば友達とバスに乗って七日町へ映画を観に行ったりした。まだ山形の街に憧れを抱いていた時期だ。

だが高校に入ってアルバイトを始め、財布の中身に余裕ができると、その行き先は仙台になった。仙山線や高速バスに乗って巨大な街の散策に向かう。帰りの車窓から夕景を眺めて、周りよりも大人になった気でいた。

日大芸術学部への受験に失敗して浪人生活を送っている時、インターネットに出会う。
椅子に座ったまま、画面越しに東京や大阪、九州の人と会話ができるなんてあまりに衝撃的だった。利用料金の安くなる深夜を待って接続し、空が白み始めるまでキーボードをたたいた。

もはや山形にあるのは体だけだった。
心は常に外の世界を飛び、新しい何かを探し回っていた。
似た状態にあった人は多いんじゃないかと思う。

「大沼」という家族の死によって、私たちは心の帰郷を迫られた。
思い出を振り返ったり、知らなかった物語に驚いたりして、生まれた地との親交を深めたことだろう。
『さよならデパート』には、その機会を用意する役割があったのかもしれない。

話は戻るが、父が死んでしばらく実家に居た後、私はどうしたか。
やがて元の住まいに引き返し、会社に復帰した。たまに父が夢に出てくると目に涙がにじむこともあるけど、一方でおいしいものを求めて旅に出たりもするようになった。

さて、大沼デパートのお葬式を終えた今、私たちの心は何を選択するのだろう。
故郷との関係を見つめ直し、改めてそこで暮らし始めるのだろうか。
それとも、傷が癒えたら再び飛び立ってゆくのだろうか。

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すみません。最後なので宣伝させてください。

まだ明かせませんが、来年、ある新聞での連載が決まりました。
お葬式の次に何をすべきか、私なりに考えを巡らせているところです。

『さよならデパート』全国書店にて発売中。
在庫のない書店でも取り寄せが可能です。
Amazon楽天ブックスなどでも販売中。
本体定価:1800円 + 税 / 304ページ ISBN:978-4-910800-00-4


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