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少年サンデーの六田登、そして島本和彦。

みんな文庫本の収納どうしてんの?

この数年ボクのライフワークと化してるのが書庫整理だ。先日とりあえず大量のCDを捨てた。絶対に聞かない自信があるやつを500枚単位で処分処分(作曲/伊藤銀次)。だけどスッキリウキウキウォッチングには程遠い。

なにがネックかって今ぶち当たってる問題が文庫なんですよね。これがどこにもハマらない。まさに「まいっタネ」(by才野茂fromまんが道「漫画少年」読者投稿コーナー)だ。ネットで収納棚を探すもコレだよネってやつが見つからない。DIYですかね。もはや。このままだと気持ちがプアーなままだ。それはよくないよ!

コミックの整理はグッドなのだが「鬼滅の刃」の13巻が行方不明なことが発覚。不覚である。アチャーである。ダメだ。書庫の管理体制がしっかりしてないとこういうことは多発する。マンガ買い始めの頃はそうじゃなかったのにね。そもそもの蔵書量の問題もあるけど昔は自分の棚にどこになにを陳列してるかバッチリ記憶してたもんだ。学生の頃までは把握できたんですけどね。今はダメ。

ああ、1巻欠けてるだけで下がるよ、テンションどん底。ぴしっと揃えたいじゃないの。やはり棚に陳列して巻数が欠けてたりすると一気にプアーなフィーリング。一刻も早く補充しないといけない。

さてボクのマンガ雑誌購入履歴だが、詳細に説明すると「冒険王」であり「テレビマガジン」に「テレビランド」をごっちゃごちゃで親に買ってもらっていた。テレビランドやテレビマガジンをマンガ雑誌というかは微妙だけども。テレビランドは徳間書店が出版してたとかアニメージュの母体でどうこうなんて話を知ったのはずいぶんあとだ。冒険王をなんで買ってもらったかは覚えてない。「宇宙戦艦ヤマト」絡みだったかもしれないけど覚えてないんですよね。

そしてコロコロコミックだ。コロコロが「おもコロ」と教えてくれたのは同じクラスで委員長をしていた佐藤くんだ。バレンタインのチョコレート獲得数は3年連続校内トップで成績優秀、運動神経も抜群のまさに戦後昭和の時代トップランナー(ただし小学生)キャラ。なぜか特別何の取り柄もないボクと佐藤くんは仲が良かった。当時のボクといえば毎日何が楽しかったのか。主義主張もなく周囲に誘われるまま草野球(もちろん下手)、同じクラスのEという少年に万引き疑惑をなすりつけられそうになったり(もちろん犯人はE)なんでしょうな、誘われるがまま流されるがままでパキッと自分の中のスイッチが入る感覚がない日々が続いていた印象なんですよ。

それがコロコロコミックでパキッと入ったんですよね。このスイッチが入ったあとに従兄弟の家で山積みにされ、毎週更新(購入)される週刊少年ジャンプとチャンピオン。マンガってヤバいね面白いねとどかどか入っていっちゃうんです。なんだろう。当時のマンガってズカっとしてる(©黒澤明)じゃないですか。それは絵柄がとか作風がとかがってことじゃない。もう存在が。

じゃあボクはコロコロのあとに毎週ジャンプやチャンピオンを買ってたかっていうと残念ながらそうじゃない。どちらも吟味に吟味を重ねてコミックスを買ったりジャンプなら表紙が「キン肉マン」の号(おそらく連載開始号)でありチャンピオンなら手塚治虫の「ドン・ドラキュラ」連載開始号が自分で購入した最初の号じゃないかと思う。あとは従兄弟の部屋(愛車は内装がピンクのスカイラインで土足厳禁)でKISSや矢沢永吉が爆音で流れる部屋におそるおそる入りジャンプやチャンピオンのバックナンバーをむさぼり読んだ。

結局コロコロ卒業後、毎週買うようになったのは週刊少年サンデーである。

流れを説明すると惰性でコロコロを毎月買ってたのは小5までだ。卒業のきっかけはガンプラブームで財政的にそっち優先になりコロコロ買いをやめた。ちなみにガンプラは半年ぐらいか。実家の押入れにはまだ手つかずの旧型ザク、ズゴックやゲルググ、アーバオア・クーのジオラマキッドが眠ってるはずだ。ギャン、好きだったんですけどね。入手困難で諦めました。最初に買ったのはシャア専用ザクの2000円のやつでした。理由は売れ残ってたから。うまく作れず途中で放棄ですよ。やっと買えた700円のガンダムも同様。

いろいろ割愛するけどボクがマンガの最前線に復帰したのは中1の秋だった。週刊少年サンデー。高橋留美子の「うる星やつら」、村上もとか「六三四の剣」に石渡治「火の玉ボーイ」、原秀則「さよなら三角」、そしてあだち充の「タッチ」という強力すぎるラインナップ。後年集英社系のスーパージャンプへ移籍する里見佳の「なんか妖怪かい」、島本和彦が「炎の転校生」をまだ連載する前で「ほとんどヒーロー」の短期集中連載には間に合ったと思っている。あ、忘れちゃいけない。ボクがサンデーを購入してた時期、みやたけしの「はしれ走」というサッカーマンガも連載されてたんだよ。主人公の走(かける)が住むのはお婆ちゃんがやってるお好み焼き屋。バナナ入りのやつとかメニューにあったな、そういや。

サンデーを買ってた理由は高橋留美子ですよ。当時のボクはまずいことに日本のSF作家にかぶれ始めた時期。星新一、筒井康隆、眉村卓の短編集も好きだったな。小松左京はね、初心者には難しくてねえ。星新一や筒井康隆の小説のノリをなんとなく高橋留美子の作品に感じたんでしょうね。けも・こびるの日記とかさ。あれ、単行本とかにならないんでしょうかね。

あとボクはネクストブレイクとして島本和彦。この漫画家はくるね絶対と思っていた。個人的には「炎の転校生」連載タイミングは半年遅いんです。ボクの読者アンテナなら83年年明け即が正しいタイミング。だけど編集部は「ほとんどヒーロー」の短期集中連載を挟み込んできた。今でも思いますよ。正しいタイミングは83年年明け即。だけど始まったのは83年の31号なんですよ。

当時サンデー1000なる増刊というかムック的というか・・要するに注目の(編集部が売り出したい)作家の短編を交えつつ高橋留美子の既発短編などを詰め込んだ1000ページに渡る雑誌を時折発刊していたんですよ、小学館は。そこで売り出しプッシュをかけられていたのが(そう受け取れるのが)安永航一郎、鈴宮和由、中津賢也、島本和彦だった。ボクは断然島本派でしたね。この新人枠、のちに上條淳士も加わる流れ(のように見えた)。ちなみに本誌連載陣のアーカイブやデビュー作、初期作品を再録なんかもしていてサンデー1000でボクは六田登の初期短編、原秀則の「春よ恋」(だったと思う)を読んでいる。

特撮マニアでもアニメヲタを自称するには薄っぺらい当時のボクの感性からしても島本マンガの土台が石ノ森章太郎や松本零士あたりのエッセンスを濃厚に読み取れたし東映特撮番組の影響もグッド。要するに世代的にばっちりだったんですよね。なので「炎の転校生」以後「燃えるV」を経て各誌で転々と連載を立ち上げるのも見守ってたし竹書房から出た初版「燃えよペン」も神保町コミック高岡で購入した。「吼えろ〜」になって小学館復帰は拍手喝采、もちろん「アオイホノオ」も読んでいるし今はもう閉店してしまった札幌白石区のTSUTAYAも訪れた経験がある・・というか知らなかったんですよね。知らないで通ってた。なんで通ってたかは割愛。近くにあった味噌ラーメン屋なんだっけな。熱々で美味しかったんですけどね。


とにかくサンデーは優秀すぎるほど優秀な作品が揃っていた。だけども雑誌で追いかけるよりも単行本で買いたい&読みたい作品なわけです。「タッチ」はまさにそれ。壮大な青春ドラマになりつつあった「六三四の剣」もそう。週刊ベースで読ませる力があった六田登の少年誌マンガ家としての失速も痛かった。「ダッシュ勝平」に続く超能力少年を主人公にした(バンドマンって設定)「その名もあがろう」、ボクシングを題材にした「陽気なカモメ」はどちらも不発。ボクはどっちも好きだったんですけどね。だけど同時に思ってたのは高橋留美子、あだち充っていう看板が当時のサンデー・ブランドの要だったことで六田の泥臭さが読者にとって邪魔になってたのかなと。なのでスピリッツで描いた「F-エフ-」のほうが六田としても爆発できたんだと思いますよ。だけどその両立が出来なかったことが後々の原因にもなると思うんです。そう、ジャンプ、マガジンの後塵を長くポジショニングされちゃうってことです。

「うる星やつら」、「タッチ」の人気が落ち着いて、上條淳士の「TO-Y」が始まりますがサンデーでなきゃいけない作品ではないですよ。むしろこのマンガだけ読むだけって読者が増えたんじゃないですかね(ボクもそうだった)。だけどサンデーコミックスの装丁と「TO-Y」の相性はとてもよかった気はします。ボクは好き。だけども作品の嗜好性でいえばスピリッツで掲載されているべきマンガだったんじゃないでしょうかね。

さてそういえばと思いこの頃のチャンピオンを考えると水島新司の「大甲子園」か。あとは覚えてないというかボクは読んでさえいないんじゃないかな。「大甲子園」も単行本でフォローしていたし。あ、続く「虹を呼ぶ男」も好きだった。ヤクルトスワローズを舞台にしつつ後半なぜか大相撲へ流れる不思議なストーリー。だけどマンガなのでOK。ハートにOKはファントム・ギフト。

とりあえずなにが言いたいかって六田登と島本和彦はサンデー史を語る上でとても大事な作家だってことです。そして六田は過小評価されすぎ。おかしいよ!

「その名もあがろう」の主人公の超能力のしょうもなさが最高。「超能力学園Z」とか彷彿とさせるし大声で歌って窓ガラス破壊、とか青春SFとして断然アリ。バンドマンって設定で主人公が組んでるバンドの名前がスーパーコンビニエンスバンド。ネーミングが80年代っぽい。フュージョンバンドとかで実在してそうなリアリティもいいじゃないですか。「陽気なカモメ」の主人公の特技がスリってのもよし。手数のスピードが常人離れってところが読み手としてワクワクしましたよね。あとは小学六年生に連載されてた「1,2の夫婦」。コレは小学生版同棲物語。おそらく未単行本化ですよね。「F-エフ-」からヤングサンデーの「ICHIGO-二都物語-」と重厚な作品が続きますけどボクはその直前の軽いノリの作品群も嫌いじゃない。とゆうか好きですね、はい。

さっきもちょいとだけ触れたけど六田の初期短編作品に「最終テスト」って作品がある。あのぎりぎりの心理描写。永井豪の「ススムちゃん大ショック」にも通じる子供の恐怖心の描写は見事過ぎるし、のちに描かれる「F-エフ-」や「ICHIGO-二都物語-」の萌芽はすでにあるんですよ。たとえば快活な青春コメディ「ダッシュ勝平」って浦沢直樹における「YAWARA!」や「Happy!」だと思うんです。どっかで作家チャンネルがマーケティングを意識している(面白いですけどね)のはアリっちゃアリ。だけどどうせなら本質をあからさまにモロ出ししてるほうにボクなんかは惹かれる。万人受け狙いの勝平よりもやっぱり赤木軍馬なんですよね。無意識に父を乗り越えようとする男の生き様。中盤の終戦直後、赤木財閥のくだりを長期間に渡って描いたのもちっとも長く感じない。むしろこの描写が単なるレースマンガに終わらない重みを作品に与えたんだと思います。

ヤングサンデーに連載された「ICHIGO-二都物語-」の冒頭からかっ飛ばすヘヴィネス。最後の最後まで救いがない物語。だけどこの退廃感がいいし、どっかで北野ブルーにも通じる匂いを感じるんです。あたたかい血の匂い、粘りつくような汗の感触。この作品がちゃんと長期連載されてた90年代がいかによき時代だったか。


のち描かれた作品の中で個人的に好きなのはモーニングに連載していた「たのむから静かにしてくれ」とビッグコミック連載の「シネマ」ですかね。「F-エフ-」続編は驚きましたが赤木軍馬のその後の描き方はそうくるかと。やっぱり六田登は一筋縄ではいかない作家だと思いましたよね。アクションに連載されていた「歌麿」もアリ。あとはニチブンコミックスで刊行された「クマトラ」もいいんだ。だけど六田作品はじっくり腰を据えて読みたいですよね。単行本巻数、最低でも10巻以上。これぐらいの規模感は必要だと思いますよ。

ちなみにボクは六田登を読むとむしょうにカーペンターズが聴きたくなる。共通してるのは「死」の匂いだ。ボクはカーペンターズの圧倒的かつ絶対的に普遍性でしかないポップ・ミュージックのスタイルに「死」を感じるクチだ。それはカレンがとっくに故人だとかそういうこととはまったく無関係。「イエスタディ・ワンスモア」にも「見つめ合う恋」にも。バート・バカラックの一連の作品にも。そしてリチャードの笑顔にも同様の無情さを感じる。完璧なアレンジが施されたトラックに乗ってカレンの歌声はイージー・リスニング的なものを飛び越えて少なくてもボクの耳には痛々しく、かつ瑞々しく輝いた過ぎ去りし日々への哀悼を感じさせる。なんだろうな、六田登の「F-エフ-」や「ICHIGO-二都物語-」には同じようなものを感じるのだ。なぜだかわからないけど。

書庫整理をしていると普段なかなか思いを馳せない作家や作品との思いがけない再会があるから嫌いじゃない。だけどなかなかすすまないのがちとツラい。さっさとピシっと整理された書庫に椅子やらデスクやら整えたいんですけどね。この黄金週間中に終えたかったんだけどなァ。無理だなァ。テキパキと整理しようとしてつい手をとめ床に座り込み読み込んでしまうのはよくないよくない。

とりあえず山積み&放置中の文庫本たち。これをどうするかだよ!
(ここで冒頭に戻る)

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