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ジョン・ヘイダックが教えてくれたこと(その③)

「主体」と建築

唐突ですが、「利用者みんなのための建築」という命題について考えてみたいと思います。このフレーズを聞いて何を感じるでしょうか。ワードセンスが絶望的に冴えないことに目を瞑るなら、特に異論を呼ぶこともなさそうな、なんか優等生っぽい解答にみえます。むしろ、(個人住宅などを除けば)現代の建築がソーシャルあるいはポリティカルに備えるべきアタリマエ、といった感じでしょうか。

でも、このアタリマエ、が建築の長い長い歴史の中で見るとごく最近確立された常識だったとしたら?さっきの冴えないキャッチコピーをもう一度見てみましょう。例えば「利用者」という言葉、これは建築を「利用(USE)」する対象とみなす考え方と明らかに表裏一体です。そして「利用」という概念は、建築が機能(FUNCTION)のアセンブリーであるという機能主義のコンセプトと少なからず関連しています。少なくとも、なんにも機能しない建築にいる人を、「利用者」とは呼びませんよね。で、言わずもがな、「機能主義」とはせいぜい百何十年の歴史しかない近代の産物なわけです。

「みんな」という言葉も同様です。よく考えたら、あらゆる社会階層の人々が建築の受益者として当然のように想定されるようになったのも、せいぜいここ1~2世紀のことではないでしょうか。誰もがその恩恵を享受できる公共施設や共同住宅が建築史の表舞台に登場したのは、社会の民主化と近代化、そして当時の建築家達の努力の賜物です。それまでは、【建築】とは限られた社会階層の人々に奉仕するための技術・芸術であったはずです。

いや、なんなら、ある時まで建築の主役は生きた人間ですらありませんでした。ピラミッドにせよ、古墳にせよ、今に遺る古代の【建築】は、かなりの割合で死者に捧げられたものです。あるいは、神社に代表されるような姿の見えないカミサマのためのもの。伊勢神宮にせよ出雲大社にせよ、あれだけ立派な建物に対して我々人間は基本的に立ち入ることすらできません。

時間的スパンで考えるなら、「建築」は、生きる人間がその主役、言い換えるなら「主体(SUBJECT)」ではなかった期間のほうが長いともいえます。

あ、いや、「利用者みんなのための建築」なんてやめちまえ、とか言いたい訳ではありません。きっと滅多なことがない限り機能のハナシを抜きにしてこれから建築をつくることはできないし、何よりあらゆる人々のために建築家・設計者が貢献できるというのは、先人が苦労して切り開いた素晴らしいフレームワークです。

でも、「建築の主体」=「(生きてる)人間」=「利用者」=「みんな」という今当然の認識は、長いパースペクティブで見ると大分限られた期間の常識でしかなくて、その実「建築」と「主体」の関係は思っているよりフラジャイルで相対的なんじゃないかと思うのです。

あるいは、「人間」そのものだって、時代によって思考・行動・慣習その他あらゆることが変わってくるわけです。建築の主体として当たり前に「利用者みんな」を想定しようにも、その言葉が実際に表す「みんな」のありようは今と昔で全く違うだろうことは、深く想像するまでもないことです。

「建築」と「主体」の関係は相対的なもので、「建築の主体」としての我々人間そのものも、時代によって移ろい、変化している。この事実が、建築家として直視すべきイシューであると気づかせてくれたのが、ジョン・ヘイダックが後半生にその情熱を傾けた一連の作品群でした。


MASQUEシリーズ・・・「先入観のないプログラム」とは?

その作品群は、「MASQUEシリーズ」と名づけられています。今までの記事で紹介した「DIAMOND HOUSE」や「WALL HOUSE」より後年の、1980年代に制作・発表されたプロジェクトです。この作品も基本的にアンビルトだったのですが、その趣は前期の住宅プロジェクトとは大きく異なります。

タイトルの「MASQUE」は「仮面劇」という意味です。正直、この作品は単なる建築というよりは、一種の祝祭計画として捉えたほうがしっくりくるかもしれません。建築プロジェクトでありながら、そのプレゼンテーションは図面や建物の説明文に留まらず、作品内の登場人物や彼らにまつわるストーリー、時には詩が添えられていました。一例を引用してみましょう。

Park Attendant (公園の係員) 
公園の守衛。彼はゲート・ハウス(公園の入口)に住んでいる。ゲート・ハウスは2つの時計塔の間にある。片方のタワーには、0 から 13 までの数字が、塔の上から下に向かって取付けられている。反対のタワーには、0 から 13 までの数字が、下から上に向かって取付けられてい る。空白の正方形が、現在の時間を隠すようにして、それぞれのタワーの数字の上を動いてゆく。 2つの空白の正方形が、並列に動く。

引用:『VICTIMS』Hejduk / AA Publications / 1986 / 筆者訳


これが一人の登場人物のためのナラティブです。同様な物語が他のキャラクターのためにも用意されており、プロジェクトによってはその総数は60を超えます。もはやそれなりにボリュームのある読み物です。

もう一つ、この「MASQUE」シリーズの特徴は、登場人物一人につき、ひとつの建築がデザインされていること。つまり、60人が登場するプロジェクトであれば、建物も60棟以上が敷地内に設計されます。必然的に、それぞれの建物はパビリオン的小建築の趣を帯びます。

図版上から:GATE HOUSE / STUDIO A & STUDIO B
図版出典:『VICTIMS』Hejduk / AA Publications / 1986


これら小建築の集合体が、一種のマスタープランとなります。「MASQUE」シリーズを観察する人は、このマスタープランと個別の建築・登場人物を往復しながらプロジェクト内容を読み解くことになるのですが、はっきり言ってその全容はかなり複雑で、難解な部分も多々含まれます。

図版:「VICTIMS」マスタープラン
図版出典:『VICTIMS』Hejduk / AA Publications / 1986


今までの記事に目を通してくださった方がいれば感じられるかもしれませんが、この「MASQUE」シリーズの複雑さ・難解さは、前期の明快な住宅シリーズと比べると随分ギャップがあります。これは当時の建築批評家にも指摘されていたことで、例えば建築史の大家ケネス・フランプトンはこう述べています。

「ニューヨーク五人組(ファイブ)」は、自律的建築という理念に傾倒して、「新即物主義(ノイエ・ザッ ハリヒカイト)」による還元的機能主義と見なされるものはことごとく退けた。そうした結果が無条件に表現されているのが、1972年、アイゼンマンによるコネティカット州ウエスト・コーンウォール に建てられた《フランク低、ハウスVI》であり、ヘイダックの挑発的な計画案《ダイアモンド・ハウス》 のシリーズ(1963~67年)であり、わけても《ウォール・ハウス》(1970年)であった。その後、ヘイダックは初期の形式主義を放棄して、全精力を一連の神秘的な装置の創作に傾倒した。それは、1981年の《ベルリン・マスク》などに代表されるであろう。

引用:『現代建築史』フランプトン著・中村敏男訳 / 青土社 / 2003


「ニューヨーク・ファイブ」時代の洗練された作風からの変貌は、当時からそれなりにショッキングだったようで、必ずしも好意的に受け止められた訳でなかったことが、資料なんかを見ていても何となく伝わってきます。

でも、何故ヘイダックは長年培ってきた手法やスタイルをガラッと変える必要があったのでしょうか。どうやらそのヒントになりそうな、「転回点」と思しき作品が住宅シリーズと「MASQUE」シリーズを隔てる期間に制作されています。

出来事があったのは1978年、場所はヴェネチアでした。ヘイダックは当時IAUSという研究・教育機関を主宰していたピーター・アイゼンマンの呼びかけに応じ、ある企画に参加します。そのタイトルは「ヴェネチアの10のイメージ」というもので、アメリカとイタリアから招聘された10名の建築家がヴェネチアの市街に架空のハウジングを計画し、プレゼンテーションするというものでした。アイゼンマン、ヘイダックの他には、ラファエル・モネオやアルド・ロッシが名を参加者に名を連ねています。

この企画のために、ヘイダックはいくつかのプロジェクトを制作しました。「13 WATCHTOWERS OF CANNAREGIO(カナレッジオの13の監視塔)」や「HOUSE FOR INHABITANT WHO REFUSED TO PARTICIPATE(参加を拒否した住民の家)」と名付けられたこのプロジェクトには、ドローイングと同じくらいのウエイトでナラティブが添えられています。ナラティブには、建築の構成とそこでの出来事の両者が記述されていて、住宅シリーズと「MASQUE」シリーズの過渡期的性質を備えています。ちょっと長いですが一部を引用してみましょう。

「カナレッジオの13の塔は次のように構成されている」
13の塔は互いに4フィートずつ離れて置かれる。各々の塔の寸法は、幅16フィート、奥行き16フィート、高さ96フィートである。それらは鉄筋コンクリート造ー石造でできており、セメントースタッコ仕上げされている。
(中略)
1階は入口扉、エレヴェータ(透明ガラスでできている)、大きな暖炉(タイルが貼られた暖房要素)から成る。
2階(外部から独立して浮いている8フィート立方の閉じた淡いブルーのエレメント)は浴室の領域から成る。
(以下3階・4階・・・と続く。中略)
一つの立面は、雨除けのある窓、日光遮蔽装置付き窓、バルコニー、望遠鏡、換気窓からなり、(中略)一つの立面は、露出の梁端部から成る。
(中略)
ヴェネチア市は、一生の居住用にと、各々の塔に一人ずつ合計13人の男を選ぶ。一人が一つの塔に暮らし、彼だけがその塔にはいり住むことができる。
(中略)
13の塔の住人は、その内部の彩色を明らかにしないよう誓約させられる。
(中略)
塔の住人の一人が死んだ時、カンポの家の男がその死んだ住人と入れ替わる。カンポの家の住人は新しく選ばれる。
「参加を拒否した住人の家」
別のあるカンポを見おろすこの都市のどこかに、参加することを拒否した人に住まわれている家がある。そのカンポには6x6x72フィートの石の塔がある。
この孤独な居住者の家は、12の独立したユニットから成る。各ユニットは6x6x9フィートの寸法である。ユニットは壁から吊るされている。
(中略)
「拒否関係者」からのセルと全く同じレベルに、鏡がカンポの塔に貼り付けられている。
(中略)
市民は誰でも梯子を登りその石の塔に入ることができる。塔に入れば、市民はカンポ越しにセルの中にいる孤独な居住者を見ることができる。市民は、その家の居住者を映す鏡の反対側から透かして見る。それは片方だけ鏡面の鏡である。市民は見られることなく見ることができる。

引用:『a+u  80:10』


割合ドライな建物の説明に比べて、出来事の記述はどこか普通でないと言わざるを得ません。秘密を守らされたり、死んで交替するルールだったり、一方的に覗かれないといけなかったり、、、ちょっと偏執的な感じもします。

図版上:13 WATCHTOWERS OF CANNAREGIO
図版中・下:HOUSE FOR INHABITANT WHO REFUSED TO PARTICIPATE
図版出典:『a+u  80:10』


ここまでラディカルな表現をヘイダックが急に持ち出したのには、何か理由があったのだと考えるべきです。それについて彼は、示唆的な言説を残しています。

この最近の4年間において、私の建築は「楽観主義の建築」から私が叫ぶ「悲観主義の建築」へと移行しているように思える。

引用:『a+u  80:10』


ここで彼の述べる耳慣れない用語、「楽観主義の建築」「悲観主義の建築」とは一体何なのでしょうか。文脈をたどると、まず「楽観主義の建築」とは、ヘイダックの考えるモダニズム建築の性質だということがわかります。以下は著書『Mask of Medusa』に収録されたインタビューからの引用です。

20 年代と 30 年代、そこには楽観主義の一般的「プログラム」が存在していました : これは「楽観主義のプログラムによる建築」を生産したのです。(中略)モダン・ムーブメントの時代、そこには楽観主義のプログラムしかなくなってしまったのです。学校、運動場、コミュニティー・センター、病院。(中略)さて、「ガルシュの邸宅」や「サヴォア邸」というのは楽観主義のプログラムでした。ロフト・スペースもオープン・スペースも、厳格に分割されることもなく、圧縮もされていない ....(中略)「楽観主義の建築」!光は降り注がれ、全てにおいて健全!

(インタビュアー):プライバシーは最小限ですね。

まさにそうです。ベッドルームもなく、キッチンもなく、全体的空間の感覚 .... それは非常にユートピ ア的な、光が満ちて楽観的な未来像です。

引用:『Mask of Medusa』Hejduk / Rizzori / 1989


オープンで連続した明るい空間、最小限のプライバシー等、ヘイダック自身がその例としてコルビュジェを挙げている通り、これは「近代建築の五原則」が可能にした「モダン」なアトリビュートです。

そして、この「楽観主義」に対する「悲観主義の建築」。こちらはヴェネチアで創作されたヘイダック自身の作品を指していると考えられます。ここで改めて「13の監視塔」と「参加を拒否した住民の家」を見てみましょう。すると、両プロジェクトの備える特徴は、どれもヘイダックが「楽観主義」と呼んだ性質と相反することに気づきます。両プロジェクトとも空間は細分化され、開口を絞り日除けなどのエレメントを強調することでどこか暗さが引き立てられています。何より、「秘密」「死ぬまで住み続ける」「一方的に覗かれる」といった、プライバシーを過剰に意識させ、時にそれを侵犯するような仕組みが全体に散りばめられています。

これらの事柄を踏まえると、前期の住宅とは似ても似つかないヴェネチアの作品群は、ヘイダックにとってモダニズムを相対化し、そこから離れていくための試行であったという構図が浮上します。それは、空間や形態といった建築の物理的属性だけでなく、そこに存在する「主体像」にまで踏み込むものでした。ヘイダックの描くヴェネチアに住まう人々は、行動が制限され、健康的には見えず、確かに彼の言う「悲観的」そのものな感じがします。例えばそれは、彼の半世紀前にコルビュジェが描いた、明るい部屋でサンドバッグを叩く、健康的で理想的な「モダニズムの主体」とは似ても似つきません。

図版:Le Corbusier「Projects Wanner, Geneve」


でも、なぜ彼はこのような痛々しい計画をつくらねばならなかったのか。きっとそれは、モダニズム建築の理想がもう時代に応えられないという事実を、ヘイダックなりに引き受けねばならないと考えたからではないでしょうか。だからヘイダックは「守・破・離」の作法じゃないですが、まずは徹底的にモダニズムを相対化した。その過程で、モダニストが描いたのとは全然異なる「主体」の姿が、建築自体の形態や空間にまして要請されたのではないかと思います。その結果が、「13の住人」や「参加を拒否する住人」として表現されたのだと考えられます。

以上に述べたヴェネチアの計画を一種の踏み台として、1980年代、ヘイダックは作家としての円熟期を「MASQUE」シリーズに捧げます。先述のとおり、どの作品も沢山のドローイングとナラティブで構成され、その全体像を本稿で説明し切ることはできませんが、とにかくこれらのプロジェクトでは、建築のデザインであり、理論であり、あるいは詩や文学・演劇のシナリオでもあるような、ヘイダックのオリジナルな創作領域が確立されています。

図版:BERLIN MASQUE 模型写真
図版出典:『Mask of Medusa』Hejduk / Rizzori / 1989


そして、この作品で重要な役割を担うのが、各建築に対応する主体(SUBJECT)であることは疑いありません。記事前半で説明したとおり、「MASQUE」シリーズのすべての建築には主体が設定され、彼らの様子は60人いれば60人違います。彼らには異なる背景・過去・思想・行動原理があり、そんな人々が関係し合うことで結ばれる社会的ネットワークが、個々のナラティブをつなぎ合わせることで浮かび上がってきます。

この主体像は、コルビュジェの描いた理想的だけどユニフォーマルで、どこか現実味のない人物とは全く違うし、その否定を試みた「ヴェネチア」の住民の束縛性からも解放されたものです。ここにきてヘイダックは、一人一人が異なる主体性を持つ、という前提から組み立てられる建築のヴィジョンを描こうとしたのです。主体が変われば建築も変わる。結果生まれたのは、強烈な個性を湛えた数多くの小建築たちでした。これらの幾つかは、アンビルト・プロジェクトの枠をついに突破し、実際にベルリンやプラハ、オスロなどで建設されました。

図版:『a+u 91:01』表紙・オスロに実現したMASQUEの建築


ヘイダックは、自ら「MASQUE」シリーズのことを指して、「私たちの時代の問題に根差した、先入観のないプログラム」と呼んでいました。この言説も、彼が歩んだ軌跡を踏まえれば納得することができます。コルビュジェやミース、絵画から徹底的に学び血肉化したキャリア前期、それを自ら破りに行った一種アンチ・モダニズム的な「ヴェネチア」の作品群。その上に築かれた「MASQUE」シリーズは、反モダニズムを超えた、さらにその先にある風景であり、ヘイダックでなければ描き得なかった作品世界であると述べることができます。

「MASQUE」シリーズに取り組んだ1980年代、ヘイダックは当時の世界について感じていることを幾つか言説に残しています。それらはどれも楽観的なものではなく、冷戦による世界の構造的分断や、価値観・テクノロジーの変化が人々を社会的に断片化していく様子への懸念の表明でした。今回紹介した「MASQUE」シリーズにも、当時の社会に向けた提言という側面がありました。事実、この作品群のいくつかは、当時壁で分断されていたベルリンが敷地として想定されており、そのなかの1つ(作品「VICTIMS」)はゲシュタポ本部跡地という極めて象徴的な場所でした。

ユダヤの家系に生まれ、青年期に第二次大戦・ナチスによる虐殺という事件に触れたヘイダックにとって、この敷地は直視するだけでも苦しいものだったのでは、、、と想像します。いうなれば自ら寿命を擦り減らすような選択。そこまでして彼に「MASQUE」シリーズの制作を駆り立てさせたものは何だったのでしょうか。それは、悲惨な経験(戦争や虐殺)を乗り越えてなお不安が漂い(冷戦や社会・個人の断片化)、大きな理想がもはや信じられないポスト・モダンの世界に生きる人々を見つめる作家ジョン・ヘイダックのまなざし、そして彼らに向けた建築のありようを真摯に追求しようとした建築家としての使命感なのではないかと思います。

ヘイダックが「MASQUE」シリーズを世に問うてから、今では40年近い歳月が経過しています。彼の作品を見返すと、僕たちはいま現在の「主体と建築」のあるべき姿を見つめられているのだろうか、という思いを抱かずにはおれません。で、その答えは恐らく「NO」でしょう。

例えば、ヘイダックが掲げた社会問題よりは身近な例ですが、、、、今僕たちは時間さえあればスマートフォンを眺めていると言っても過言ではありません。電車の中なんて特に顕著ですが、そこから降りた駅・空港のラウンジ、あるいはカフェ、そして当然家といった建築の中でも、僕たちの視線と意識はスマートフォンの向こうです。

今しがた「身近」とは言ったものの、同時にこれは大袈裟でなく人間の行動様式の大変革で、10年前と今とでは建築に居る人々がつくる風景は様変わりしています。でも、今のところ、建築を構想したり設計する人々は、その状況の正確な判断すらできていないと言わざるを得ません。何となく好ましくない振る舞い、くらいがせいぜい暗黙の共通認識でしょうか。取り敢えず、スマホを眺めている人たちを「正直に」いっぱい描いて、彼らに真面目にアプローチしたコンペやプロポーザル提案を、僕は見たことはありません。

あるいは建築の主体が(再び)人間ではなくなってきているという時代の状況。記事冒頭で、かつて建築の主体が(生きた)人間じゃなかったことについて触れました。これについて、無用な振り返りと思われたかもしれません。でも、よく考えれば建築の主体の「脱人間化」といえる状況は、今まさに起こっています。

例えば、もう僕たちにとってはほぼ空気みたいなインターネット、スマホ画面の先にある情報は、大量のサーバが並んだデータセンターに保管されています。この【建築】は、往々にして何千・何万㎡という面積でありながら、サーバーエリアの中に普段人間はいません。内部も、寸法・構造・空調システムなどのすべてがサーバーの「快適性」のために設定されています。モデュロールが役に立たない世界観です。「住宅は住むための機械」じゃなくて、ほぼ比喩抜きで「機械のための住宅」なわけです。

あるいは自動化技術に基づくロボットが跳梁跋扈する工場や配送センター。ルンバみたいなマシーンが次々と物品を捌く様子をいつだか動画で見て、僕は衝撃を受けました。ヒューマニズムをベースとしたモダニズム建築理論から跳躍してしまったような【建築】が、建築家が呼ばれないところではたくさん建っているのです。

最後に随分偉そうなことを書いてしまいましたが・・・僕自身、データセンターや自動化工場を建築家のスコープとして取り扱う術はまだイメージ出来ていないし、「サンドバッグをスマホに取り替えた人」のための建築については、手掛かりすらサッパリで悔しい限りです。

でも、ジョン・ヘイダックから学ぶ中で、「主体と建築」という問題構制に気づかされた僕としては、このテーマは考えていきたいと思っています。それが、急速で不連続な変化が避けられない21世紀に、建築家・設計者として世界に貢献する手段であると考えるからです。そこには、21世紀固有の、「私たちの時代の問題に根差した、先入観のないプログラム」が必要となるでしょう。身に余るような気がしないでもないですが、答えのない問いが転がっていると、今のところは前向きに捉えたいです。

(了)

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