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自分らしく生きることが処世術

こんにちは。ガクです。

今日は髪を染めようと思って美容室に行きましたが、パーマをかけていたのでブリーチができないということで、思っていた色にならなくて悲しいです。笑

ということで、今自分がしたいを全てやっている最中です。

24年という時間を生きてきました。

多いか少ないかは分かりませんが、成人しているので多少の経験はしてきているつもりです。

その経験を今振り返り人生をどう生きるべきかを書こうと思います。

自分のしたいはなんだ?

私は5歳からサッカーをやらせてもらってました。

それまでは英会話やピアノなどの教室に通っていました。

でもどれも続かず、最後に至ったのがサッカーでした。

正直サッカーも最初はやりたい!と思って始めたものではなく、祖父がサッカーをしていてたまたま始めた年に日韓W杯が開催されTVで見たのがきっかけでした。

今思うと、当時は自分の自我より仕方なくやった感が強かったしサッカーのルールも知らずただ体を動かすのが好きだったという感じでした。

それでも小学生になり友人をチームに呼んで、仲良くサッカーするのは楽しかったしおかげでサッカーで知り合った友人が多くなりました。(むしろサッカーをやっていなかったら根暗インキャまっしぐらだっただろう)

結果的にサッカーをやらしてもらって本当に良かったし、最高に楽しい経験、悲しい経験をさせてもらいました。

でも最近思うことがあります。

サッカーは自分がやりたくて始めたわけではありません。

今サッカー以外やりたいことありますか?と聞かれても正直思い浮かばないのです。

サッカーを好きになったのは結果論であり、後付け理論なのです。

では本当に好きなことややりたいことはなんなんだろうか。

これは就活の時にもぶち当たった壁でした。

仕事なんてやりたくないし、その嫌な仕事の中からせめて興味が持てるものを選ぼうそんな感じで就活してました。

その結果が、先日退職した会社に入社し1年と少しで退職になったのです。

好きなことは無我夢中になれること

好きなことはなんだと聞かれたら、夢中になって時間を忘れられるものと答えましょう。

私はサッカーが結果的にそうなりました。

でも社会人になり、サッカーをする機会はなくなったし何より体力がなくなってしまったので、今ではむしろ拷問のようなものです。笑

そうなると新しく、無我夢中になれるものを見つける必要があります。

今の私の候補は旅行、綺麗な景色を見にいく、友人と遊ぶです。

これらは所謂余暇の時間を埋めるためのものです。

人生の為になるかと聞かれれば?マークが残ります。

でも自分の好きなことなのだからやるべきなのです。

今では、大会に出てお金を稼げたり動画配信をして実況でお金を稼ぐ人も出てきたゲーム。

これも私が子供の時は無駄な時間を過ごすものとして扱われてきました。

親は「ゲームなんてしている時間があるなら勉強しなさい」

とよく自分に叱ってきました。

でも自分としてはゲームをしたいからゲームをするわけです。

この時間を何に使うかという権利は誰にも邪魔することはできません。

自分がしたいことをする=自分に気持ちに素直になり本当に夢中になれることに時間を費やすということです。

この感覚は歳を取れば取るほど鈍っていきます。

24歳の今ですら、昔のように無邪気にやりたいことだけやるなんてことを言えないようになりました。

これを人間の成長と呼ぶのだと思いますが、自分は後退していると感じます。

なぜなら本来あるべき姿である、自分の欲望に素直に生きることが年齢を重ねるにつれ、責任や覚悟、義務、倫理観、道徳的などといった言葉に押しつぶされ本来の感覚を失っていくと考えるからです。

とはいえ、自分もまた10月から会社員に戻ります。

また社会が定めた規制の中で生きていかなければいけないのです。

皆さんはどうしますか?

お金を稼ぐ方法は現代の世の中にはごまんと存在します。

社会的体裁、社会的地位を気にして生きるか。

本当に自由に生きるか。

選ぶのは自分次第です。

私は30歳まではきちんと働いてお金を貯めて、あとは流れに身を任せて生きていくつもりです。

自分の人生は自分で決めましょう。






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