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【えいごコラムBN(42)】The Spider Thread

ゼミの学生が芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の英語版について研究しています。

それがあんまり面白いので、了承をもらって一部を紹介することにしました。
 

この物語は、お釈迦様が極楽の蓮池のほとりをそぞろ歩いておられる場面から始まります。

そこには次のような描写があります。

池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匀が、絶間なくあたりへ溢れております。極楽は丁度朝なのでございましょう。(p.8)

この「極楽は丁度朝なのでございましょう」ですが、英語版では次のようになっています。

I think it must have been morning in Paradise. (p.38)

“ I ” って・・・誰? 私はこのとき初めて、この物語が「語り手」によって語られていることに気づきました。

考えてみれば、「朝なのでございましょう」ということは、その場面を「見て」朝なのだろうと「思って」いる誰かがいるはずです。

日本人読者はたぶん(私だけじゃないと思いますが)この語り手の存在をほとんど意識しないでしょう。

しかし英語では、語り手による「推測」を文中で表現するためには、推測しているのは誰かを明示しなければならないのです。
 

実をいうと、この英語版はこんなふうに始まっています。

And now, children, let me tell you a story about Lord Buddha Shakyamuni. (p.38)
(さあ、子どもたち、お釈迦様の話をしてあげよう。)

この一文はもちろん原作にはありません。

語り手の存在を不自然なものにしないために、誰かが子どもたちに話を聞かせる、という設定を最初に導入せざるを得なかったのでしょう。
 

しかし「蜘蛛の糸」の語りは、このような設定だけでは解決のつかない問題をはらんでいます。

たとえば先ほど日本語で引用した場面ですが、語り手はこの極楽の池や蓮の花を「いつ」見ているのでしょう。

花を見、香りをかいで「朝なのだろう」と思っているのですから、いま目の前にある光景を、まるでスポーツの実況のように、見ながら語っているという印象を受けます。

この部分の英訳は次のようになっています。

The blossoms on the pond were like perfect white pearls, and from their golden centers wafted forth a never-ending fragrance wonderful beyond description. (p.38)

細かい点はともかく、この文が「単純過去」で書かれていることに注意してください。

単純過去は「現在と切り離された過去のことがら」を表すのに用いられます。

単純過去で記すことにより、池や花は「過去の存在」となり、目の前のことを語っているかのような原作の趣は失われてしまいます。
 

もう少し先のところで、語り手は罪人の犍陀多についてこのように述べています。

・・・それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、或時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。(p.8)

英訳は次の通りです。

But it seems that Kandata had performed one single act of goodness. Passing through a deep wood one day, he had noticed a tiny spider creeping along the wayside. (p.38)

ここには「過去完了」が使われています。

これは「過去のある時点を基準として、それよりさらに過去のことを表す」表現です。

ここではお釈迦様が池のほとりにいる時点を基準として、それより過去のことである犍陀多の行為について述べるために使われているわけです。
 

しかし妙だと思いませんか?

極楽が朝なのか昼なのかもよく分かっていない語り手が、なぜ、それこそ「お釈迦様しかご存じない」はずの犍陀多の過去について当然のように語っているのでしょう。

この語り手は、対象との距離を自在に変え、あるときは物語内の光景を幻のように見ているかと思えば、あるときは物語内のことがらはお釈迦様の考えに至るまで承知しているという立場をとります。

この語り手の立ち位置の微妙な変化こそ「蜘蛛の糸」の真骨頂なのです。
 

英語でこれを表現するのはきわめて難しいでしょう。

この英訳の単純過去や過去完了は語り手と対象との距離をがっちり固定し、物語全体に「すでに終わった過去の出来事」という印象を与えています。
 

この名作が、たんなる「おじいさんの昔話」になってしまうとは・・・。

翻訳というのは恐ろしいものですねぇ。

(N. Hishida) 

【引用文献】

  • 芥川龍之介、「蜘蛛の糸」、『蜘蛛の糸・杜子春』、新潮社、1984年、8~12頁

  • Akutagawa, Ryunosuke, “The Spider Tread.” Rashomon and Seventeen Other Stories. Intro. Haruki Murakami. Trans. Jay Rubin. London: Penguin, 2009. 38-41.

(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2013年12月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)

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