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「甘やかし」と「過保護」の境界線

僕は「甘い親だね。」と言われることが多い。そんなことを言われても「フーン。」としか思えない。なぜなら僕は「甘やかしと過保護の境界線」を知っているからだ。

つか僕に「甘い親だね。」って言ってくる人は、その境界線を知らないから言ってくるんじゃね?後述するが過保護な親ほど「子育ては手がかかってしんどい。」とかのたまう。一生、手かけてればいいよ。

そんな過保護な親との違和感を感じたエピソード。


妻が保育園で感じた違和感

妻が保育園の親子で陶芸をするっていうイベントがあり、妻が参加し、そこで感じた違和感を教えてくれました。

娘(当時6歳) 陶芸イベントには保育園の先生と、外部から陶芸の先生が来られていました。イベント中、妻はというと、娘が作りたいようにさせて、困ったり手を貸して欲しいと言う時に少し手伝うように遠目から見ていたようです(不器用だからしなかった説あり)。

 娘は、他の子がどう作っていようがおかまいなしで無我夢中に独特なものを作っていたようです。ダックスフンドを型抜きして尻尾のところに目をつけたりとか。 妻もほったらかしって訳ではなくて、事前に先生からこうするのはダメですよってことを、娘がしていると「それってしてよかった?」と注意していたようです。

 妻がふと、周りの親子さんの様子を見ると、ほとんどの親が子どもの隣に座ってべったり。一緒になって製作課題のペン立てを作っていたようです。中には親が型抜きをし、柄付けをしたりほとんどの作業をしているところも。それを子どもが横に座って見ているだけのところもあったようで。中にはあまりにもお母さんがやるもんだから「これは私のやー」と泣き出す子もいたとか。

 それを見た妻は「私ももっと一緒にやってやらなあかんのかな、放任すぎなのかな」と少し思ったけども「けど、作るんは子どもやろ」と思ってそのまま同じ態度でいたようです。

 その周りの親の関わり方と、自分の関わり方の違いを感じ「どう思う?」と話してくれました。

 まあ娘はまだ6歳だし、手をかけるのもアリかなと思うけれど、僕は妻の関わり方がすごく良いと思いました。自分でやりたいようにやりたいならさせてあげればいいし、困って教えて欲しいと言うときには手を貸せばいいし。

 みたいなことを伝えると「私もそう思うねんなーそりゃあれだけ親が手をかけて作ったらきれいにできるかもしれんけど、それって子どもが作ったもんじゃないやんか。うちの子の作品はボコボコでいびつな形してたけど、本人は満足してたしな」と妻が言いました。

 実はこの感じ、僕も3歳の息子の参観日に行ったときにくるくる回すコマを一緒に作ったときに妻と同じことを感じました。コマの飾り付けのときに僕は息子がやりたいようにやらせて、貼って欲しいって言うときには貼り方を教えるくらいであまり綺麗に飾り付けできませんでした。けど満足そうにコマをくるくる回していました。周りは、親が紙を切って貼ってきれいな飾り付けができたコマを作っていました。

 確かにまだまだ小さいから手をかけるべき時もあるけれど、あまりに過保護なのはどうなのかなって思います。「私が娘やったら隣でこうしたら?ああしたら?とか手出されたらギャーってなってやる気なくなるわ」って妻が言うように、子どもの主体性を奪っているように感じました。

「それって読書感想文を代筆してるのと一緒やな」と笑いました。


過保護は子どもをダメにする

 やる気があるときにはその気持ちを尊重してやらせる、失敗したり、できなくて教えて欲しいとお願いにきたら応えてあげる。その繰り返しでどんどん自立していくんだろうなと思います。親に余裕のないときはそんなことは言ってられないけれど。
つまり「子どもの甘えたいという欲求を満たすことは大事、欲求以上に甘やかすのが過保護」ってことなんでえす。

そして過保護は子どもの主体性も奪います。一生懸命に土をこねている親の隣に興味なく座っている子どものように。



 卒園式に持って帰る娘の作品は、他の子の作品よりもきっとボコボコでいびつな形をしているかもしれないけど「これ私が作ったんやー!」とドヤ顔で教えてくれる娘の顔を、僕はすごく楽しみしている。



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